戻す者 8

 その頃、台所ではシリウスを加えた三人が輝の分の昼食の用意をしていた。食器の後片付けは終わったので、少し手のかかるベーコンポテトパイの手伝いをしてほしいと言われ、シリウスは戸惑っていた。二人の指示のままに動きながら、シリウスは、こんなはずではなかったと後悔した。本当なら町子とドロシーをつつきながらからかって食器洗いをするはずだった。それが何だこの状態は。

 そのうえ、ナギはアースや輝とともに外へ行ってしまった。女二人に囲まれて逃げ場のないシリウスは、かつてない緊張とストレスの中にいた。

 女子たちはシリウスがいるのを承知で、恋愛話を続けていた。時には恐ろしい内容もあったが、十代の女の子らしい一面をのぞかせる部分もあった。しかし、シリウスがそれを聞いている暇はなかった。女性たちが次々と指示を飛ばしてくるからだ。

「そうは言ったって、気にはなっているんでしょ、輝君のこと」

 ドロシーが、そう言って町子を小突いた。町子は今、使っていた道具や食器を洗っていて手がふさがっている。少しイラっとしながら町子はこう答えた。

「気にはなっているよ。でも、好きとかそういうんじゃないから。ただ、私より後に分かったのに、私より先に覚醒したから、なんか気に入らないんだよね。それだけのことだよ」

「ふうん」

 そう言って、ドロシーは目を座らせた。何かを企んでいる。そういう顔だ。

 町子は、洗い物を終えると、パイの焼き具合を見るためにオーブンを覗き込んだ。この家にはきちんと電気が通っている。なぜなのかはわからないが、こんな大草原の真中にあって電気や水道がきちんと使えるのは不思議なことだった。誰が、どうやってこんな場所に電線や水道を引いたのだろう。

 オーブンの中のパイは、まだ焦げ色がついていなかった。少し待とうと思ってシリウスに休みましょうと言おうとして振り返ったその時。

 町子の正面に、ドロシーの笑顔が現れた。

「町子は輝のことが好き。輝は町子のことが好き」

 そう言って、笑いながらシリウスのほうへ駆けていった。

「違う!」

 町子は、拳を振り上げると、ドロシーを追いかけまわした。いくら片付いているとはいえ、台所でバタバタするのはよくない。そう言おうとしたが、シリウスもその追いかけっこに巻き込まれて右往左往するしかなかった。

「輝は町子のこと好きだと思うな。じゃなきゃ、あんな庇い方もしなかったし、腕に傷を負うこともなかった」

 ふと、ドロシーが立ち止まって真剣な顔で言った。町子も思わず立ち止まって、ドロシーの話を聞いた。

「あれは、シリウスさんに守れって言われたからそうしたんでしょ。私のこと好きだからじゃない。それに、だからってなんで私が輝のこと好きだってことになるの?」

「まあ、待て町子。俺は逃げろとは言ったが守れとは言っていない。輝に聞いてもそのことは知っているはずだ」

 シリウスが口を出すと、町子の鬼のような顔がシリウスに向けられた。

「だから何?」

 怖かった。

 およそシリウスの知りうる顔の中で一番怖い顔が、今の町子の顔だった。なぜ、彼女はそこまでして輝のことを否定したがるのだろうか。本当に、例のことが悔しかっただけなのか。だったらなぜ、こんなに神経質になってまで丁寧にパイなど焼こうとしているのか。

 不思議だったが、そのことについて言及すると、余計その逆鱗に触れてしまいそうだった。シリウスはそれ以上、何も言うことがなかった。いや、言えなかった。

 目の前では、ドロシーと町子がにらみ合いをしていた。

 この状況は、あまりいいものではない。輝が外の散歩から帰ってきて、町子が輝に冷たい態度をとったらどうなるだろう。

 おそらく、傷つくはずだ。

 この二人は、止めなければならない。町子を煽るドロシーも、それに操られている町子も。両方を止めなければ新しい問題が出てきてしまう。

「町子、ドロシー」

 にらみ合う二人の間に入って、シリウスは両方をまず遠ざけた。冷静にならなければ、いくら話をしたところで聞いてもらえるわけはない。あの鬼のような顔をされるのは覚悟の上だった。

「とにかく頭を冷やせ。お前らは輝を傷つけたいのか?」

 シリウスの言葉に、ドロシーも、町子も一瞬冷静になった。だが、またにらみ合いを始めようとシリウスをどかそうとしたところを、二人とも、腕を握って遠ざけられてしまった。

「頭冷やせって言ってるだろ! 輝はお前らがこんな場所で喧嘩をして、自分のことがぐちゃぐちゃにされていることを知らないんだぞ! 町子、気持ちはどうあれ輝はお前を庇って戦った。それなのに、散歩して帰ってきただけで嫌われていた。その時の輝の気持ちを考えられないのか! ドロシー、お前はさっき、輝のことを友達だと言ったな。その友達が町子に嫌われるようなことに火をつけて、本当にそれでいいと思っているのか?」

 シリウスに窘められて、二人の女子は急に静かになった。町子は顔を赤面させて悔しそうに泣き、ドロシーはそんな町子を見てすまなそうに二階へ上がっていった。

 ベーコンポテトパイが、いい匂いをさせてきた。ちょうどいい感じに焼けてきたので、町子はそっと、それをオーブンから出した。



 輝の腕の傷の抜糸も終わり、あとは以前のように動かせるようになるまでちょっとしたリハビリをすればいい、そういう段になると、一行は皆でいったん英国にある自宅に帰ることにした。ドロシーはいったんドイツにあるシリウスの家にお世話になることになった。アースやナギは、フォーラと一緒の大きな部屋で過ごすことになった。

 輝たちは世界を回る際、今までは航空機や船舶、鉄道や車を使って移動してきた。しかし、惑星間渡航者がいる限り、町子たちがどこへ行ってもシリウスが助けに駆けつけることができる。ドロシーの渡航能力は、惑星間だけでなく、地球上でも有効だったからだ。それに、アースも同じような能力を持っていた。正しくは、惑星間渡航者が地球のシリンの能力の一部を使っているということになるのだが。だから、アースがいれば地球上はおろか宇宙でさえも、どこにでも行けることになる。これで、今までのようにいちいち渡航先でパスポートを見せたり荷物検査に引っかかったりすることがなく、スムーズに旅行ができるようになった。

 そして、自宅に帰って三日目、ついに、町子と輝は、地元の学校に通うことになった。

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