戻す者 7

 けがをして休んでいた輝の様子が変わった。

 そのことを真っ先に感じ取ったのは、シリウスだった。一緒にいたアースは、ナギの視線を拾うと、ため息をついて、そばにあったテーブルにあった三つのうち一つの椅子に座った。

「まさかナギがな」

 そう言って、視線を床に落とした。何かを考えている。それはこの部屋にいる誰もが感じ取っていることだった。ナギは、確実な答えを輝に提供した。その代わり、輝は重大な事実と事の重さを実感することになった。

 シリウスも、アースも、ナギの正体についてはよく知っていた。彼女がどのような女性で、どのように生まれ、どのように生きてきたか。海のシリン、ただそれだけの存在ではない。

「ナギ先生、それに、おじさん」

 輝の手は震えていた。冷や汗もかいている。目を閉じて、歯を食いしばる。とうに、左腕の痛みなど忘れていた。輝は、震える声でこう言った。

「俺は、これから何をすればいいんですか」

 すると、何かを考えこんでいたアースが、黙り込んでしまったナギに代わって答えた。

「今は何もしなくていい。しっかり休んで傷を癒すことだ」

 アースは椅子から立ち上がり、輝のほうに歩いてきた。そして、ナギとシリウスが見守る中、震える輝の体を抱いた。

「すまない。俺たちは何も知らないお前を危険な世界へ放り出してしまった」 

 すると、今度は輝の腕がアースの背を抱き返した。アースは暖かく、深かった。それにとても大きい。それを感じた時、輝の感じていた畏れは消えた。自然と、何かに抱かれるように心が晴れわたっていった。

 大丈夫。

 窓の外の大草原に、そう言われている気がした。大草原だけではない。空や、海や、空気といった自然現象すべてが輝を受け入れてくれている気がした。

「大丈夫です」

 輝はそう言って、自然とアースから離れた。傷の痛みを思い出した。

「それより、おじさんはいつものように堂々としていてくださいよ。俺、けっこう憧れているんですから」

 輝の言葉に、アースは周りを見た。シリウスが親指を立てて、真剣な顔でこちらを見ている。その顔に、輝は吹き出した。なんだか滑稽に見えたからだ。

「シリウス、やめないか」

 ナギが、咳払いをしてそう言ったので、シリウスはいったんそれをやめて指をひっこめた。だが、次は笑って三人を見て、なんとなく嬉しそうにしていた。

「ナギ先生もアースも、そうやっている時が一番かもな。輝のおかげで意外な一面を見られたよ」

 シリウスは、そう言って、手を振りながら階下に降りていった。町子たちの様子を見に行くのだろう。作業はまだ終わっていないだろうから、手伝いもするはずだ。

 三人は、シリウスが行ってしまうと、肩をなでおろした。これで、ここはかなりプライベートな空間になった。すでに、輝の中でナギもアースも特別な存在ではなくなっていた。

 ふと、輝は自分の近くにある窓から外を見た。気持ちのよさそうな草原だ。窓から吹き込んでくる風が気持ちいい。初夏の草原は、青くさわやかな草のにおいを風に乗せてどこまでも運んでいく。心地よかった。

「ナギ先生、おじさん」

 輝は、風を浴びながら、その心地よさをもっと体に体験させてやりたかった。アースとナギは、呼ばれると、輝の場所から立ち上がった。そして、アースが輝を立ち上がらせてくれた。輝は、右腕をアースの肩へ回してバランスをとると、何とか立ち上がった。フラフラするときは、アースに捕まることにした。そんな様子を見て、輝が何をしたいかを悟ったナギが、ふと笑った。

「外へ行くかい、輝」

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