戻す者 6
輝は、自分を強くしてほしい、そう言った。
それは決して悪い傾向ではない。アースはそれを受諾することにした。しかし、その前にやるべきことがあった。
「分かった。だが、輝、その前に、やるべきことがある」
「やるべきこと?」
アースは、頷いた。そして、輝の右手を取ると、その手を輝の額に乗せた。そして、その上に自分の右手を重ねた。
「戻す者・高橋輝よ、最後の仕上げとして、お前に絡みついた鎖をほどかなけらばならない」
戻す者に絡みついた鎖。
それはいったい何なのだろうか。輝が疑問に思っていると、アースはすべての手をどかして、輝の体を楽にさせた。そのうえで輝の額に自分の右手の指を二本、突き付けてこういった。
「散れ!」
その瞬間だった。
輝の目の前から、アースが消えた。
目の前にあった家や窓や草原さえも消え、そこにはただ、広い海が広がっていた、輝の意識は今海の上にあった。そして、その意識は一瞬のうちに地球のすべての場所を巡った。山、川、谷、砂漠、湿原、森、草原、全ての場所を頭に叩き込まれ、体に刻み込まれた。
そして、輝の意識は突然、地球の外に出た。宇宙だ。青い地球を眼下に、輝の意識は大きな渦の中を巡った。
ああ、これが静かなる自然の環。シリンが生まれる場所。
そこまで理解したとき、輝の意識は元の場所に戻ってきた。
「これが、目覚め」
体が軽くなっている。けがは治ったわけではないが、今までに比べてだるさも熱っぽさもなくなっている。不思議な感じだった。そして、戻す者がどういうものなのかを理解した輝は、また、自分のやらなければならないことも分かってきていた。ただ、輝の体にいきなり入り込んできた情報があまりにも多かったので、輝は少しめまいを覚えた。
「今はすべてを理解できないかもしれない」
アースは、そう言って笑った。
その笑顔に、輝は大きな安心を覚えた。先程の情報が体にしみこんでいく。そんな感覚を覚えて、大きな安心とともに眠気を覚えた。アースは輝の額に手を当てると、優しく撫でてくれた。その手のぬくもりが、嬉しかった。
「今は休んでおくといい、輝」
その言葉を聞くか聞かないか、輝は、暖かい大地のぬくもりを感じながら、眠りに落ちていった。
輝は、自分でも知らないうちに、丸一日眠り込んでしまっていた。その間、実にさまざまな夢を見た。言葉では言い表せないし、見たものすべてを覚えているわけではなかったから、どんな夢を見たのかはわからない。ただ、それが確実に戻す者の能力と関係あるものであることは確かだった。おそらくは脳と体がそれを吸収するときに、輝の夢となってあふれ出ているものなのだろう。
目を覚ますと、そこにはシリウスと一緒に二人の見知らぬ人間がいた。
一人は、黒髪を背中まで伸ばしたきれいな女の人だった。紺色のタイトスカートに、白いブラウスを着ている。瞳はきりっとしていて、顔立ちは東洋人にも西洋人にも見えた。マリンブルーの美しい瞳をしていて、笑顔が素敵だった。
もう一人は、肩まで下がった金色のポニーテールを揺らして、輝のほうに駆け寄ってきた。好奇心旺盛そうな瞳でこちらを見る。顔に少しそばかすがあるが、どこにでもいる普通の女の子に見えた。
そんな二人が輝の目覚めに気が付いて寄ってくるので、シリウスも気が付いて輝のほうに歩いてきた。三人はそろって、昼食をとっていた。
「目覚めたか、輝。気分はどうだ?」
シリウスが笑って言ったので、輝はホッとして頷いた。
「気分はいいです。起きられそうかも」
そう言ってベッドから起き上がろうとすると、すんなりと腰までしっかり起き上がることができた。
「回復力は上がっているな。戻す者の能力の一つだ」
黒い髪の女性はそう言って、輝の手を取ってベッドからおろした。
立ち上がってみると、体が軽い気がした。ふつう、三日も寝ていれば体力は落ちるはずなのに。
びっくりしていると、今輝をベッドからおろしてくれた女性は、輝に手を差し伸べて握手を求めていた。
「外科医のナギ・フジだ。医療全般をアースから教わってね。まあ、詳しいことはあとで話すよ。海のシリンだ。よろしく」
海のシリン、ああ、あのマリンブルーの瞳はそのせいだったのか。
必ずどこかにその人物がそのシリンたるゆえんがあるのだ。輝はそれを理解して、ナギの手を取った。すると、もう一人の女の子が輝に明るい笑顔を向けて話しかけてきた。
「あなたが高橋輝くんだよね! 下の町子ちゃんって、カノジョ?」
そう言って瞳を輝かせてきた女の子に、輝は戸惑った。
町子のことは確かに気になる。守ってやらなければならない存在だし、好きか嫌いかと言われれば、好きかもしれない。だが、向こうもこちらのことを好きとは限らない。もしかして、輝のほうが先に覚醒したことで嫌われているかもしれないのだ。
「分からないんだ、ごめん」
輝が苦笑いをして答えると、女の子は、がっかりしたように肩を落とした。
そんな女の子を見て、輝は町子を再び思い出した。彼女とその女の子はおそらくそう年齢は変わらないだろう。そして、この突き抜けたような、からっとした明るさはいったいどこから来るのだろうか。
そこまで考えて輝はハッとした。
そういえば、この女の子の名前をまだ聞いていない。
「そういえば、俺、まだ君の名前聞いていない」
すると、女の子は飛び上がってびっくりした。このリアクションは何なのだろう。アメリカ人のすべてがこうであるわけはないだろうが、この国の多様性を改めて感じずにはいられなかった。
女の子は、飛び上がった後、照れたように舌を半分出してごまかし笑いをした。
そして、自分の名前と、自分が何者であるのかを名乗った。
「あたしは、ドロシー。ドロシー・グラデアスよ。姓はフォーラさんの旧姓と同じだけど、間柄はいとこ。この星の惑星間渡航者よ。よろしくね」
ドロシーは、笑顔でその右手を差し出してきた。ナギがやったように、握手を求めると、その手を握り返してきた輝の手を両手で包み込んで上下に振った。
「やった! これで私と輝はお友達!」
「ドロシー」
はしゃぐドロシーの肩を、ナギが叩いた。振られているのは右手だからいいものの、左腕にも少し負荷がかかっている。痛みが少し出てきて、輝は苦笑してナギを見た。
あっという声を上げてドロシーは輝の手を離した。輝は、ベッドに座ると傷の部分を庇うように腕を持ち上げた。
「ナギ先生、シリウスさん、惑星間渡航者が彼女ということは、これでいったん家に帰れるんですね」
輝の問いに、ナギは頷いた。
「輝の傷が治ったら、ね」
輝の問いに答えるナギの瞳は、優しかった。
ナギは、輝の背中を優しく叩くと、ドロシーを連れて、食事の後片付けをしているシリウスを手伝った。そして、ドロシーだけ先に食器をもって一階に降りていった。代わりに、アースが二階に上がってきた。その瞬間、輝のいる部屋の空間が少し重くなった気がしたが、今は気にしないようにした。
アースが二階に上がってきて、下に町子とドロシーの二人だけになったとたん、輝にはドロシーが町子に絡んでいる様子が想像できた。その想像通り、二人の恐ろしげな会話が二階まで響いてきた。
「町子、あなたのことについて、輝はわからないみたい!」
「分からない? 何のこと?」
「輝って町子の彼氏じゃないの?」
「彼氏?」
「うん彼氏」
「そんなの、分からないよ。私がもし輝のことを好きでも、輝が私のことを好きだとは限らないじゃん。それに、彼氏とか今いらないから私」
「なんで?」
ここまで聞いて、輝は、部屋の中のほとんどの人間が耳をそばだてていることを知った。ナギだけがあきれ顔で、女の子二人の会話と、聞き耳を立てている男たちを見ていた。
「姪っ子のこととなると話は別か」
そう言って、ナギは輝のところにやってきて、ベッドの空いている部分、輝の隣に座った。そして、少しうれしそうに目の前の男二人を見た。
「テルストラの国王としてのアース・フェマルコートは、大した男だった。マリンゴートの医師としてもだ。出来すぎていたと言ってもいい。だからこそ、今のようなあの呆けた顔を見ると嬉しくなるよ。あいつは、少年時代を貧困と戦乱の中で過ごし、テルストラの王子であるにもかかわらずひどい扱いを受けて育ってきた。苦労人なんだよ。だからこそ自分の苦労を見せたくないというのはあるんだろう」
そう言って、ナギは、寂しげな表情を見せた。
この人たちはいったいどういう人たちなんだろう。輝は、ナギの横顔を見ながら少し考えた。アースが苦労人だというのはなんとなくわかる。彼は他人の気持ちに寄り添うことができる人だ。限りなく優しい。今までの印象ではそうだった。少なくとも、輝がかかわった限りでは。だから、寄りかかろうとは思わなかった。
「輝」
ナギは、真剣な顔をして輝を見た。ふと、目が合う。
「輝、あなたにはつらいことかもしれないが、この先、いろいろな試練があなたに降りかかることだろう。それは、あなた一人で乗り越えていかなければならないことも多いはずだ。もちろん、私やアースも手伝える部分は手伝えるだろう。しかし、この先は戻す者が主体となってくる。これから出会うシリンたちを率いていく役割もあなたが担うことになるだろう。すまない。私たちもなるべく早く、あのわけのわからない集団をどうにかする。しばらくは耐えてほしい」
輝は、その話を聞いて少しだけ、身構えた。これから先は自分が主体となって動かなければならない。その責任を重く感じた。しかし、あまり話のスケールが大きすぎてピンとこない部分がたくさんあった。
しかし、このナギという人物は何者なのだろうか。町子からは何も聞いていないが、アースとは親しい関係のようだ。
「ナギ先生」
輝は、今までの疑問をそのままナギにぶつけてみることにした。
「あなたは、おじさんとどういう関係なんですか?」
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