青い薔薇 2
高橋輝にとって、その日は最悪な日だった。
五月の連休に入るのに、まったくわくわくした気分にならない。アルバイト先が忙しくなって、なかなか遊びに行けないからだ。友人と遊んでも時間に限りがある。夜まで遊べないのだ。まるで小学生のように、日が暮れる時間に友人と別れなければいけなくなっていた。それに加えて、最近はなぜか森高町子が友人二人を引き連れて部活の見学に着始めていた。彼女らは何かしら部活を持っているはずだ。サボってきているのだろうか。
輝は、部活の合間に少しだけ、森高たちに目をやった。すると、嬉しそうに手を振ってきた。何なのだろうか、あの三人は。あきれ返った輝は、部長に掛け合って少しの間休憩をもらった。あのふざけた女三人と話し合うためだ。
輝が森高たちのもとへ向かっていくと、部員が輝に冷たいまなざしを送ってきた。そういえば森高は学園のマドンナだ。みんなの森高だ。部員の中にはひそひそ話をするものが出始めた。高橋はいつ森高と知り合ったのだろうとか、どうして高橋が、だとか、そういった声が聞こえてきて、背中が痛かった。
輝が森高たちのもとに着くと、彼女たちは輝を誘うようにその腕を握ってグイっと引っ張った。そして、サッカー部の練習しているグラウンドを離れ、だれもいない学校の中庭に引きずり込んでいった。そこで、町子は彼女の二人の友人を紹介した。
短いポニーテールの女子は、名前を田中朝美といい、弓道部所属だった。この学校は弓道部が強い。毎年必ず全国大会に出場している強豪だった。少し茶色がかった髪の毛をゆらゆらさせて、田中朝美は輝に握手を求めてきた。それに応じると、その手の力強さに輝はハッとした。これは、男性並みに強い。握力が半端なものではなかった。
そして、次に握手を求めてきたのは、長い黒髪を風になびかせた女子で、目が悪いのか、眼鏡をかけていた。図書委員で、部活も文科系の部活だという。文芸部なのかと思ったが、この学校に文芸部はない。他の部活なのだろう。名を吉江友子といった。握手をしたその手は白くて柔らかく、田中朝美とは正反対だった。
「そういえば」
二人とのひとかどのあいさつを終え、輝は町子をじっと見た。まだ彼女の部活を輝は知らない。この学校は部活動に入らなければならない規則になっていた。帰宅部というものは存在しないのだ。だから、輝はいつもふらふらとしている森高が部活をやっているのか気になっていた。そういえば学園のマドンナであること以外、彼女のことを詳しく知る人間は輝の周りにはいない。謎の存在だった。
「森高、お前部活は何なんだ?」
思い切って聞いてみた。すると、森高は笑顔で輝に笑いかけた。
「女は謎が多いほうがいいんだよ。そのほうがモテるの。これ、受け売りだけどね」
そう言って、おどけて見せた。その森高の姿を見ていると、それでもいいかと思えてくる。そういえば、彼女は『見るもの』と呼ばれていた。得体のしれないその『見るもの』という役割のせいでいろいろ話せないことがあるのだろうか。輝は考え込んだ。すると、町子のすぐ後ろに少女が見えた。そうだ少女。この少女のこともソラートが言っていた。あの大天使ウリエルだというアフリカ系アメリカ人のFBI捜査官だ。この少女の名は確かテン。テンは座敷童だったか。しかしなぜこんなところにいるのだろうか。町子にくっついてきているのだろうが、大方町子の家に居候しているのだろう。全く困ったものだ。
そこまで考えて、輝は自分が何か不自然な思考に陥っていることに気が付いた。おかしい。何かがおかしい。そうだ。なぜ、こんなところにテンがいるのだろう。そして、なぜ、自分にも座敷童が見えるのだろう。
そこまで気が付いて、輝は、あっと声を上げてのけぞった。
「森高! なんでこんなところにあれが!」
すると、町子の後ろからテンが出てきて、輝に向かって舌を出した。
「あっかんべー。輝に見られるなんて、あたしもヤキが回ったもんだわ。だいたいマチコ、こんなのが『戻すもの』だなんて、本当なの?」
町子は、テンのほうを向いて、舌を出して笑った。
「私も自信なくなってきたわ。でも見えるものは見えちゃうんだよねえ。シリンにしか見えないはずの座敷童のあんたの姿が」
そう言って、町子は友人二人と視線を合わせた。朝美と友子は頷いて、町子に加勢した。
「私たちには見えないの、そのテンって女の子。だから、あなたがシリンとしての自覚がない以上『戻すもの』として認めるしかないのよ」
友子が説明を始めた。
「町子は昔から自覚があったの。私たち幼馴染には秘密も全部明かしてくれたわ。だけど、この子、他の人には心を閉ざしているところがあってね。ある事件をきっかけにそうなっちゃったんだけど、なかなか人になつかないっていうか、本当に信頼のおける人にしか自分を出さないの。だから、町子のことはいろいろ秘密なの。もし、輝さん、あなたにその力があるのなら、町子は自然と、少しずつ、あなたに心を開いて秘密を教えていくと思うわ。でも今は、多くを探らないでほしいの。真夜中のラジオの件でかなりいろいろあって混乱しているでしょうし、知りたいこともたくさんあると思うの。でも、一気に知ったところで消化不良になるだけでしょ。だったら、少しずつ知っていけばいいんじゃないかしら」
友子の説明に、朝美が相槌を打った。
「そう急ぐなってことだね。友子は理系女子だから、ものごとをそうやって理論的に把握できるけどさ、私や輝くんみたいなのには、ぶつかっていくしか道がないのよね。輝君が裸でぶつかってきてくれたらさ、町子もこたえられると思うから」
二人の支援に、町子は頬を赤らめた。まさかそこまで言われるとは思わなかった。少なくともあの事件のせいで、町子は輝に対して少しだけ、心を開きかけていた。テンの話を聞く限りでは、あの時テンと町子を炎の中から助け出したのは『大きなお父様』だった。輝ではなかった。しかし、成り行きとはいえ町子と一緒にテンを助けに炎の中に入ってくれたことは確かだった。それに何より、輝は、町子が空を翔けることができることを、だれにも話さないでいてくれていた。それだけでも嬉しかった。
「心から信頼したわけじゃないけどね」
町子は、照れていた。輝の前であそこまで話されたことに対して恥ずかしい思いもあったが、自分の中で輝に対して少しでも心を許したことを恥じてもいた。
「でも、これだけは言っておく。『戻すもの』である以上、輝、あなたにはもっとしっかりしてもらわなきゃいけないってね。今回の件で、きっとそれが分かると思う」
「今回の件?」
町子は、頷いた。そして、表情を戻すと、一回咳払いをして制服のポケットの中から一通の手紙を出した。
エアメールだった。
中身を読めと言われたので、空いている封筒の中から手紙を出して読もうとした。するとその文面を見て輝は町子に手紙を突き返した。
「フランス語じゃないか。お前が読めよ」
すると、町子はしたり顔で輝を見た。
「『戻すもの』なら、どんな言語でも読めるはず。実際、どうしてそんなミミズみたいな筆記体のアルファベットの手紙がフランス語だって分かったの? 普通なら英語だって勘違いするでしょ」
そう言えばそうだ。しかし、どうしてこの手紙がフランス語だと分かったのだろうか。輝には自分自身のことがまるで分らなかった。『戻すもの』とは、いったい何者のことを言うのだろう。輝は頭を抱えた。そして、ため息をついた。今はとにかく町子の言うことを信じるしかない。輝は手紙の文面を受け取って読んでみることにした。
すると、信じられないことが起こった。
フランス語が分かる。すらすらと文面が頭の中に入ってきて、瞬時にすべての単語と文法を頭が理解していった。日本語に訳すまでもなく、内容が頭の中に入ってくる。
内容は、こうだった。
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