真夜中のラジオ 11
内山牧師の家の炎が消えると、ソラートは即座にここから離れようと輝に提案した。警察が来ると、事情聴取や状況説明で時間を取られてしまうからだ。ソラートは町子を背負い、彼女の家に急いだ。彼女の家に着く前に、携帯で誰かに連絡を入れていた。その相手がフォーラであることは、すぐに分かった。町子の家の玄関で一行を待ち受けていたからだ。
フォーラは医者だ。精神科医とはいえ、実にいろいろなものを見ることができる医者だった。町子を彼女に託し、ソラートは町子の家の居間を借りて、輝と、座敷童と呼ばれた少女の説明を始めた。
「まず、私だが、アメリカ合衆国にあるFBIの捜査官で、ソラート・ダーンズという。しかし、この座敷童が言った通り、その正体は熾天使のうち一人である大天使ウリエル。いや、正しくは、キリスト教に与えられた信仰から生まれたウリエルのシリン、というべきか。この座敷童もそうだ。名はテン。家のシリンである彼女は、家へ与えられた人間の愛着が生んだシリン。座敷童の正体はシリンであると言っても過言ではない」
「シリン?」
何のことだろう。わからないことだらけだ。そもそもシリンとはなんなのだろう。人の名前ではなさそうだ。しかし名詞であることも確かだ。この謎の言葉さえしっかり理解できれば、ソラートの言っていることも八割がたは分かるのに。
「シリンとは、意思あるものすべてが人間に宿った姿のことだ」
ソラートは、そう言って説明を始めた。
「草木や花には意思がある。なのに彼らは外に自分の意思を伝える手段を持たないだろう。だから、人間の母胎に宿って、少し普通の人間とは違う、植物の意思を持った人間として生まれてくる。それをシリンという。基本は草木だが、人々の意思の具現化として、伝説上の生き物や信仰対象が姿を現すことがある。その中でも最も強い力を持つのが惑星のシリンだ。惑星のシリンとは、いわば、その惑星の情報をすべて持って生まれてくる存在。その星にあるすべてのものを統括し、因果律の外にいて、常にそれを監視する存在。惑星上のすべての生命の頂点に立ち、その能力はどんな存在をも凌ぐ。彼らが操作できるものは素粒子にまで及び、その星で発見されている、あらゆる真理に通じている。そして、この地球にもそのシリンが存在している」
「ちょっと待ってくれ」
輝は、ソラートの話を途中で遮って、頭を抱えた。
「話が大きすぎてよく見えてこないんだ。そもそも因果律って何なんだ?」
「因果律とは、因果をつかさどる法則。すべての結果には原因があるという因果を法則化したものだ」
「じゃあ、素粒子を操作するって、具体的には? いったい何ができるんだ?」
輝の質問に、ソラートはきちんと答えていった。わからないのは無理もない。こんな突拍子もないことを突然説明されてもすぐには理解できないだろう。だから、なるべく質問には答えてやることにした。
「素粒子を操ること、それは、すべての物質の組成に関与できるということだ。素粒子は現在確認されている、物質の最小単位のことだ。それは理解できるな?」
輝は、頷いた。
「それくらいは、勉強しているつもりだ」
「よろしい。では、話を進めよう。その素粒子を操作して、素粒子から構成される原子核、そして原子核からできる元素を、変化させることができるのだ。例えば、水素をウランに、ウランをプルトニウムに、といったように。もちろん、そんな危ないものだけではない。鉄を金に変えるといった、夢のようなこのもできてしまう。水を炎に変えることもできれば、空気中にあるすべての元素を使ってりんごを一個作ることもできる。惑星のシリンが素粒子を操るということはそういうことだ。そして、因果律の支配。これは、ヒトやモノ、すべてに対する運命や、過去、現在、未来に関するすべての事象を理解し、それを手中に収めているということだ。今、惑星のシリンが人を一人、転ばせようと思えば、自分の手を汚さずにできる。運命の糸を変えて、その人間のこの先の人生を支配してしまえばいい。そのようなことができるのが惑星のシリンだ。これは、我々草木や信仰のシリンには到底できないことだ。我々シリンでさえ、惑星のシリンの管轄下にあるのだから」
「なんだよそれ、そんなの反則じゃないか」
ソラートの説明は分かりやすかった。しかし、理解できればできるほど、輝の頭は混乱した。惑星のシリン、そんなものがここにいたとして、それを怒らせてしまったらどうなるのだろう。輝はそれが恐ろしくて仕方がなかった。そして、本当にそんなものがいるのか疑問になってきた。ソラートの言っていることは真実なのだろうか。
「普通に考えれば反則だな、そのような存在は」
ソラートは、苦笑いを浮かべた。しかし、それもすぐ真剣な顔に戻して、輝をしっかりと見つめた。ソラートの言っていることに嘘はないのだろう。しかし、輝にとってそれはにわかには信じがたいことだった。
「反則だからこそ、惑星のシリンはその能力を使っていないのだ。やろうと思えばいくらでもできる。しかし、それをやってしまえば、自然界のメカニズムが狂ってしまう。惑星のシリンだからこそ、彼らは私利私欲やしがらみと隔離された考えを持っていなければならない。自然界を知るものだからこそ、自然界に交じりこんで生きている。その存在を知るものがこの地球上にほとんどいないように、彼らはその存在をいつまでも隠して生きている」
「持っている力を使わないのか」
ソラートは、頷いた。
「彼らの持っている力は、使うためのものではない。すべてにおいて調和を乱さぬために、それを監視するためにあるものだ。惑星のシリンとは、惑星の意思そのものだと考えるといいだろう」
「惑星の意思か。そう考えるとわかりやすいかもな」
輝は、ソラートの話を少し、理解できた気がした。こんなスケールの大きな話をされれば、まるで夢を見ているような感覚に陥る。だからこそすべては理解しようとできなかった。
「すべてを理解しろとは言わない」
ソラートは、輝の心を知っているのだろうか。天使だから、読むことができるのだろうか。輝は心を読まれた気がして気持ちが悪かった。
「すまない。私が君だったらまだ混乱している、そう思っただけだ。いま、ここですべてを理解することは難しいだろう。だが、次第にわかってくるとは思う。この地球のシリンのことも、そして、森高町子のことも」
「森高のこと?」
ソラートは、頷いた。
「彼女とかかわっていれば、次第に物事は見えてくるはずだ。この私のことも」
そう言って、ソラートは目を閉じた。すると、突然強い光が部屋中を包み込み、その一瞬でソラートはその姿を天使へと変えた。
「これが私の真の姿。信じてもらえただろうか」
輝は、目の前の天使を見て、納得せざるを得なくなった。その姿はどこまでも神聖で、迫力があった。それは映像や人形などではなく、本物の天使だった。ウリエルは、輝に笑いかけると、静かに目を閉じた。すると、その熾天使に集まっていた光は消え、輝の目の前にはソラートが座っていた。
「これがシリン」
呆気に取られて輝は呟いた。本物の天使を見た。大天使ウリエルはキリスト教に出てくる存在だ。それが、何の宗教もまだ持っていない輝の目の前に現れた。なんと不思議なことだろう。
「シリンだから、信者以外の人にも見えるんだな」
輝が出したその答えに、ソラートは頷いて応えた。
「熾天使には、私のほかにミカエル、ガブリエル、ラファエルがいる。彼らもまたシリンとしてこの地球上に降り立っている。人間の姿をして、人間の生活を送っている。私もまたそうだ。そして、私には使命がある」
「使命?」
「そうだ」
ソラートは、そう言って少し暗い顔をした。なにか、彼にとって良くないことでも起こったのだろうか。輝がその顔を覗き込むと、ソラートは笑った。
「君には関係のないことだったな。説明を続けよう。私がFBIにいるということは説明したね。その私の職場にいた親友が、ある事件をきっかけに行方をくらませたのだ。私には彼を探す義務があってね。それで、彼の行方を捜査しているうちにここに来ていたのだ。そこで、君に会った。『戻すもの』である君にね」
「『戻すもの』そういえば、あなたは俺のことをそう言っていたな。いったいなんのことなんだ?」
輝の問いに、ソラートはこう答えた。
「『戻すもの』は、『見るもの』である森高町子とともにある存在。我々にもその程度しかわかっていない。しかし、人類の在り方を支える重要な存在であることは確かだ。詳しいことは地球のシリンくらいしか分からないだろう」
「じゃあ、その地球のシリンに聞けばわかるんだな。それって、誰なんだ? あなたたちには分かるんだろう?」
ソラートは、頷いた。しかし、はっきりとした答えをくれるわけではなかった。ソラートは、輝の顔を見て笑いかけ、こう言ったのだ。
「これから嫌でもかかわってくる存在だ。私の口から言わなくても自然に分かることだろう。輝よ、君はもうその人物に出会っている」
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