逃げ悪魔

 絵に閉じ込められた悪魔の話。

 ※「抜け雀」という古典落語のオマージュです。


 *   *   *   *   *


 元来、絵には生命が宿ると信じられてきましたが、なにも生命だけしか宿らぬわけではございません。

 生き物を描いた絵には生命が宿るとして、愛を描いた絵には思いが宿る。

 ならば餅を描いた絵には餅が宿るかと言われれば、残念ながらそんな事はありえません。焼いても膨らむ事はなく、ただただ灰になるだけにございます。


 さて、このたび語るは一枚の悪魔の絵の話。

 当然その絵に宿るのは、一匹の悪魔にございます。


 その絵、元は王国で悪さをした悪魔をおびき寄せ、そして葬る為の絵にございました。

 古の悪魔祓いが描いたという悪魔退治の為のその絵には、まんまと引っかかった悪魔が一匹。

 額縁を越えて外に逃げる事ができず、絵の中をブンブンと羽を広げて飛び回っておりました。


 いくら無敵の悪魔とて、このまま羽を広げて飛び続ければ、数百年で力尽きて滅びてしまう。

 悪魔はその事にただただ絶望し、しかし休むこともできずに飛び回っておりました。


 そのまま王国の倉にでも放置しておけば万事解決となったのですが、残念ながら人間の業は深きもの。

 悪魔祓いも当時の王も死んでしばらく経った後、事情を知らぬひとりの王がその絵に見惚れてしまったのでございます。

 なにしろ悪魔が飛び続ける絵ですから、これは珍しい、これこそ国宝だと倉から引っ張りだしてきて、大広間に飾っては国賓に見せ自慢する始末。

 気味悪がった部下の訴えも、あまつさえ学者の忠告にも無視を決め込む愚王にございました。


 しめたと思った絵の悪魔、王の御前でわざとフラフラ飛びながら、必死の声で訴えた。


「王よ、この姿せいぜい見ておくが良い。間もなく見れぬものだから」

「なんだと? なにゆえ見れなくなるのか」

「知れたこと。この絵はおいらを疲れ果てさせて殺す為のもの。その時近しという事さ」

「それは困る。そなたは国宝、死ぬことは許さぬぞ」

「ならば、ここから出してくれ。少し休んだら必ず絵に戻ると約束しよう」

「ふん、馬鹿を申すな。悪魔を絵から出すほど馬鹿ではないわ」


 さすがにこれでは出して貰えぬか、と悪魔はさらに知恵を絞ります。


「しからば王よ、せめて椅子を描いてくれ。そうすりゃおいらも座って休める」

「なるほど、椅子か。しかし絵に一筆描き足して、それで貴様の封印が解けては困る」

「その程度で解ける封印ならば、ホコリがついても解けてるさ」

「ずっと座られても困る。動かぬ絵には価値がない」

「だったら契約しようじゃないか。王が絵に椅子を描いてくれるなら、人前ではずっと飛んでみせよう」


 王は悪魔の言葉に納得し、自分で椅子を描き始めた。

 絵心なき愚王の椅子は、なんとも線の薄い小さな椅子へと仕上がった。


「おいおい、こんな細い椅子じゃあ腰かけたら割れちまうよ。もっと太く描いてくれ」

「なるほど、こうか?」

「まだまだ、こんな薄い椅子じゃあ腰かけたらすり抜けちまうよ。もっと濃く描いてくれ」

「うーむ、これでどうだ?」

「もうちょっと、もうちょっと」


 王や悪魔の言われるままに、絵の具をたっぷり絵に塗り付けた。

 しかしあんまりたっぷりつけたもんだから、絵の具がつーっと垂れて額縁にまで達してしまった。

 その瞬間、しめたと悪魔が垂れた絵の具にしがみつき、絵の具を伝って額縁の外に飛び出したのでございます。

 呆気にとられた王様でしたがすぐに我を取り戻し、喜ぶ悪魔に声をかけた。


「まて、こら、逃げるな。約束が違うぞ」

「違うものか。おいらは契約通り、こうしてお前の前で飛び回っているだろう?」


 悪魔はそう言って王を笑うと、そのまま城の外に飛び出していったのでございました。



 さて、こうして悪魔は世に解き放たれたわけですが、この話には蛇足がございまして。

 絵から逃げ出た悪魔ですが、王との契約に縛られて、人前では飛び続けねばなりません。

 その羽音がブンブンとうるさいものですから、悪魔と契約しようという心の弱い人間でも気になって気になって仕方ない。

 ブンブンうるさい、うるさいブンブン、うるせーぶぶ、ベルゼブブと呼ばれ、蠅の様にたいそううるさい悪魔として世に知られる事となりました。


 お後がよろしいようで。

 

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