霊能少女緑子さん(29歳独身)

 

「……ん? ここは、どこだ?」


 自宅で缶ビール片手に深夜アニメを見ていたはずの緑子さんは、好きな男性声優の歌うOPが終わり本編が始まろうという瞬間、いきなり何もない真っ白な空間にとばされていました。

 その空間は無重力で、緑子さんはパジャマ姿であぐらをかいたまま、肘をついていたちゃぶ台とお尻に敷いていた座布団と共に漂います。左手に持っていた缶の入り口からビールが生き物の様に這い出してきたのを見て、緑子さんはとりあえず逃がすまいと口をつけてすすり、それ以上出てこないように親指で蓋をしました。


「お待ちしておりました、緑川緑子様」


 そう言いながら緑子さんの目の前に現れたのは、昔話に出てくる天女の様な色白の女性でした。白とピンクのレースを重ねたような服を纏い、長い黒髪は先端を紐で束ねています。


「初めまして緑子様。わたくしは女神ラフールリールと申します」

「……で?」

「どうか驚かずに聞いてください。緑子様にはこれよりわたくしの世界に転移していただき、そして世界を救っていただきたいのです」


 女神ラフールリールと名乗る女性の言葉に、緑子さんは口元が引きつりました。


「いま、わたくしの管理する世界『ラフール』には魔族達が発生し、元々いた住人達を次々とぎゃぶふう!?」


 何やら語り始めた自称女神にいらっとした緑子さんは、缶ビールを素早く振って、彼女の顔に目がけて親指を解き放ちました。泡を含んだいびつな球体となったビールの粒が、次々とラフールリールの顔面を襲います。

 無重力空間ではコップ一杯の水でも溺死する事があります。それは水が物体の表面を這うように移動していくからで、もしも無重力で鼻から大量に水が入ると、そのまま人の肺を水の膜が覆って呼吸できなくなってしまうのです。


「がはっ、ぺっ、にゃ、にゃにずるんでずか!」


 しかし残念ながら、緑子さんはビールをすでに半分以上飲んでいた為、ラフールリールを葬りさるだけの量は残っていませんでした。

 ラフールリールはハンカチを持っていないのか、天女の羽衣のような服の裾で顔を拭きます。羽衣には黄ばんだビールの染みが出来上がりました。


「興味ない。いいからさっさと地球に返せ」

「無理です。魔王を倒さないと、あなたを地球に送り返すだけの神力が溜まりません」

「あぁっ!?」


 緑子さんは舌打ちしてビールの缶を投げつけます――が、今度はラフールリールも警戒していた為、ヒョイッとかわされてしまいました。

 かわした後にドヤ顔を作るビール臭い女に、緑子さんは歯ぎしりをします。緑子さんは彼女に掴みかかろうとしましたが、しかしラフールリールは自分と緑子さんの間にゲートを開き、緑子さんはゲートへと吸い込まれてしまいました。

 

「それでは緑子様、元の世界に帰りたかったら頑張って下さいね。あ、私にはあなたにチートとかあげる神力は残ってないので自前の霊能力で何とかしてくださいねー」


 ラフールリールはゲートに向かってそう言い終えるとゲートを閉じようとして――


「いったいどこに向かって話しているんだ?」

「なっ!? がはぁっ……」


 背後から聞こえた声にラフールリールは慌てて振り返りましたが、背後にいた緑子さんは待ってましたとばかりにラフールリールに腹パンを食らわせます。


「ぐぅ……ど、どうやって」

「残念だったな自称女神。さっき投げたビールの缶の底に、こうして転移魔方陣を刻んでおいたのさ」


 そう言って、緑子さんはビールの缶の裏をラフールリールに見せました。

 そこには確かに幾何学的な模様の魔方陣が書き込まれています。緑子さんはこんなこともあろうかと、この空間に転移してからラフールリールが現れるまでの短い時間に魔方陣を刻んでおいたのです。


「な、なら今度はその缶ごと!」


 ラフールリールは手を伸ばし、緑子さんの背後にゲートを開きます。


「甘い!」


 緑子さんは引き込まれそうになりましたが、ラフールリールの伸ばしていた腕を取り、背負い投げの要領で彼女をゲートの中へと投げ込みました。


「そ、そんな、馬鹿なぁぁああああ!?」

「お前の世界だろ、お前で救って来い自称女神。ああ、これは選別な」


 緑子さんは手に持っていたビールの空き缶をゲートに向かって投げ込みます。


「――った!?」


 空き缶はラフールリールのおでこにぶつかって、カコンッといい音をさせました。


 そのままゲートに落ちたラフールリールの叫び声は徐々に遠くなり、それがやがて聞こえなくなると、彼女の開いたゲートも自然に閉まっていきました。

 そうしてゲートが閉じ終わった時、真っ白な無重力の空間には緑子さんとちゃぶ台と座布団だけが取り残されていました。


 さてどうやって家に帰ろうかと迷っていた緑子さんの前に、どこかからのゲートが開きます。

 よもやラフールリールが戻って来たかと身構えましたが、しかしゲートから出てきたのはタキシードを着た見知らぬ青年でした。

 青年は気障っぽくお辞儀をして、緑子さんに笑顔を向けます。


「初めまして、緑川緑子さん。僕の名前はピナッツエイヌ、こう見えてもとある世界を管理する神様さ」

「…………で?」

「こんな神々の白空間に取り残されては大変でしょう? 良かったら僕の世界に遊びに来ませんか? なに、退屈はさせませんから」


 そう言って営業スマイルを浮かべる自称神様に、緑子さんはぴくぴくするこめかみを抑えながらちゃぶ台の足に手を伸ばし、ばれない様にこっそりと魔方陣を書き始めました。


 緑子さんの戦いはまだまだ始まったばかりの様です。

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