落ち葉

木の葉

 春になると、わたしは、目印の木の葉っぱの一枚になっていました。


 目印の木が、根元で息絶えたわたしを、生まれ変わらせてくれたのです。


 目印の木のこずえからは、道路を通る車がよく見えました。

 ここを通る車の数は、そう多くはありません。

 目印の木の葉っぱでいれば、おとうさんの車が来た時、すぐにわかります。

 わたしは、来る日も来る日も、こずえから、車を見ていました。

 でも、わたしが待っている車は、一向いっこうに来てはくれませんでした。


 目印の木には、鳥たちも、たくさん、やってきました。

 道路ばかり見ているわたしの横で、鳥たちは歌い、巣を作り、大空を飛び回りました。

 わたしは、鳥たちをうらやましく思いました。

 ああやって大空を飛び回ったら、空から、おとうさんとおかあさんのいるおうちを見つけて、すぐにでも帰ることができるでしょうに。

 目印の木には、虫たちもやってきました。

 虫たちは、いつも、なんだか忙しそうでした。虫たちは、生きる時間が短いからかもしれません。


 夏のある日、ナナフシが、わたしに言いました。


「こんなに気持ちの良い朝なのに、なんで、生きていることを楽しまないのさ。道路の車ばっかり気にしてたって、わざわざ木の葉を迎えにくる車なんて、あるはずがないだろ」


 そうして、ナナフシは、わたしの木の葉の体に穴を開けました。


 でも、わたしは、ナナフシなんか、無視しました。

 わたしは、何がなんでも信じていました。必ず、わたしを迎えに車が来てくれることを。だって、わたしがこんなに信じて、ずっとずっと、待ち続けているのですもの。


 目印の木に、お花が咲き、実がなりました。

 その実を食べた小鳥たちが、実の中の種子たねを、遠くに運んで行きました。小鳥のフンといっしょに落ちた種子は、また、そこで、芽を出し、木になり、わたしのような葉っぱをいっぱいつけて花を咲かせ、その花がまた、実を結ぶのでしょう。

 目印の木も、小鳥や虫たちと同じように、今を精一杯、生きているようでした。

 でも、わたしは違いました。

 小犬のわたしが息絶えた木の根元を見ると、葉っぱのわたしは、いつも悲しみでいっぱいになりました。

 朝が来て、夜が来て、また朝が来る。

 みんな、今日を生きていることに、いっしょうけんめいなのに、わたしだけが、なんだか、取り残されている気がしました。

 今のわたしは目印の木の葉っぱとして生きているのに、小犬の時の思いにとらわれて、まわりの木の葉たちのように精一杯生きていないことが、わかっていたのかもしれません。


 でも、わたしは、小犬の時に待ちわびていた迎えの車が来ることを、木の葉になった今でも信じずにはいられないのです。

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