第五章 庚申山の化け猫退治
第十七話 化け猫との対峙
「伏よ…。どうか、里見を……犬士達を守ってくれ…」
そう口にしながら、墓前で手を合わせる中年男性がいる。
久しぶりに見た八犬伝の夢は、不思議な雰囲気のある山の中という光景だった。その、少し見覚えのあるような風景を見て、私はそこが安房国にある
そして、上等そうな小袖を身にまとう男性の側で、一人の坊主―――――
「殿…。犬士達は皆、犬の姓と牡丹の痣を持っておりました」
「”犬の姓”…か。不思議なものよの…」
法師様は、その男性に向かって話しかけている。
彼が”殿”って呼んでいるという事は…あの
私は彼らの会話を聞きながら、そんな事を思っていた。また、それと同時に何か懐かしいモノが心の奥底からこみあげてくる――――――そんな不思議な感覚を、狭子は味わっていたのである。
「先日、行徳におられる
「そうか…もうすぐ、犬士達が揃うのじゃな…」
静かに語る法師様の方を見ながら、義実はポツリと呟く。
その後、少しの間だけ沈黙が続き、法師様が口を開く。
「それと…犬士達の話ではないのですが、少し気になる事が…」
「む…?」
その台詞を口にした時の法師様は、表情がとても深刻そうだった。
「どうした、大輔?…何かあるのならば、申してみよ」
黙り込んだ状態の法師様に、義実は首を傾げながら尋ねる。
「…彼らを探す旅の傍ら、某はとある
「…それが如何したか?」
今のやり取りを聞いて、私は自分の事だと確信をする。
…そういえば、なんだか夢の割には時間がリアルタイムというか…。本当にこの富山にいるような感覚がするのは何故だろう…?
私がそんな事を考えていると、彼らの会話が進んでいた。
しかし、その声は次第に遠くなっていく。
「先の世……ですが、…ほくろ……あり…」
「…伏に……か……?」
周囲の風景がどんどん暗くなっていく中、おぼろげに法師様と義実の会話が耳に入ってくる。しかし、所々聞こえなかったので、どんな会話をしていたのかわからないまま、この時見た夢から覚めていくのであった―――――――――
「…化け猫?」
信乃の声が周囲に響き渡る。
下野国に入った私・信乃・現八の3人は、庚申山に入っていた。この台詞は、その時に信乃が発したもの。
「…ああ。“千年生きる虎にも勝る”と
前に進みながら、現八が化け猫についての噂を語る。
私は、足元に気を配りながらその会話を静かに聞いていた。
そっか…。庚申山と言えば、そんな話もあったような…
私は2人を見ながら、ふとこの後起こるであろう事について考えていた。
「そういえば、村人たちも噂していたけど…。現八、貴方って赤岩一角って
「…?何故、それを知っている…?」
私が現八に向かって問いかけると、彼は不思議そうな
「…まぁ、勘…かな…?」
彼に問いかけられ、私は苦笑いをしながら答える。
その反応を見た現八は、ため息交じりで口を開く。
「…例の“先の世がわかる”というあれか。しかし、赤岩殿が如何した?」
「そういえば…その者の噂なら、某も聞いた事がある!…なんでも、村一番の武芸者である赤岩という者が、この庚申山に住む化け猫を退治しに行ったそうだ」
「…その後、どうなったの?」
私も聞いたその噂を、信乃が口にする。
その後の展開がわかっていても、聞かずにはいられない狭子であった。
「…うむ。後に山から下りてきた赤岩殿は、人が変わったような雰囲気となり、実の子にあたりちらしているとか…」
「角太郎に…!?」
この時、話を聞いていた現八の表情が深刻なものとなる。
“角太郎”って…犬村大角の事…?
現八の台詞を聞いた私は、ふとそんな事を思った。後から思い出すのだが、“大角”という名は、現八と同様で後に改名した時の名前なのである。また、“赤岩一角の息子”といえば彼しかいないので、角太郎と大角が同一人物である事がすぐわかる。
その後、私達は足場の悪い山道を延々と歩き続ける。この時ばかりは3人とも黙り込んでいたが、数十分が経過した後、信乃が最初に沈黙を破ることとなる。
「狭。お主の暮らしていた先の世では、このような山はないのか?」
「うーん…。なくはないけど、この時代の事を考えると…緑が失われているかも…」
山道を歩きながら、私と信乃はそんな話をしていた。
私がこの世界にタイムスリップして、早3か月が過ぎようとしている。ここまで来るのにいろんなことがありすぎて、時間がこれだけ過ぎている事など忘れていた。そして、「もとの時代へ帰りたい」とは思うものの、以前ほどそのようには考えなくなっている自分がいた。
そういえば、八犬伝の世界では安房国の富山。上野国の荒芽山…。そして、武蔵国にある
私は、信乃との会話の中でこんなことを考えていた。今挙げた山が実在していた山かはわからないが、私が生きてきた現代よりも自然が多いのがわかる。何しろ、今でいう高層ビルや道路などがこの時代には存在しなかったのだ。そのため、当然といえば、当然なのかもしれない。
それにしても…なんだか、昼間なのに昏い森だなぁ…
辺りを見回しながら、私は考える。木々が多いとはいえ、晴天である昼間にも関わらず、彼らに当たる陽の光はあまり多くない。
「!!」
すると、元々薄暗かった空が、陽がかげっていく事でさらに混沌へと姿を変えていく。
その状態に気が付いた私達は、注意深く周囲を見渡す。
わかっていても…ドキドキする…。やられないように、気をつけなくては…
私もすぐに手を出せるように構えながら辺りを見渡す。
すると、木の幹から、何かが動く音が聞こえる。その動く何かは、木々をつたって移動しているようだが、姿が確認できない。
「あ…!」
しかし、木の上を飛び回っていた“何か”が、太い木の上でこちらを見下ろした瞬間、私はそれの正体に気が付く。
それは全身が真っ黒い毛で覆われているが、目だけが異様に輝いている猫。しかし、鋭い牙と眼光を持つその姿は、猫…というよりは、黒豹に近いかもしれない。
「現れおったな…!」
現八と信乃が、化け猫の存在に気が付いた。
現八は、麓の村で手に入れた弓を。信乃は、道節から返してもらった村雨丸を構える。
「ぐぉぉっ!!」
現八が木の上にいる化け猫に向かって矢を放つと、敵は一瞬にして、その場から姿を消す。
「ひゃっ!?」
「くっ…!」
木から下りた化け猫は、私達の前や横をかけぬけるが、あまりも素早いために動きを捉える事ができない。
「狭…!大丈夫か…!?」
「うん…。かすり傷だから、大丈夫」
爪がかすったのか、私の二の腕に軽いひっかき傷がついていた。
「くそ…動きが速くて、捉えきれんな…」
そう呟きながら、現八は舌打ちをする。
すると、急に姿を消す化け猫。どこか岩陰に隠れたのかと、私達3人は周囲を見渡しながら武器を構える。周囲が緊迫した雰囲気となり、私はつばをゴクリと飲み込む。一方で、獲物を狙い定めるように私達を見下ろす化け猫は、気配を消しながら私達の背後に回ろうと動いている。
「信乃…!!」
この時、一瞬だけ私の脳裏に信乃が化け猫に押し倒される風景が浮かんできた。
それを見た私は、咄嗟に彼の上に覆いかぶさるようにして押し出す。この1秒もない瞬間に、化け猫は信乃目がけて突進してきたのだ。
「くっ…!!」
その勢いで現八が少し遠くに飛ばされ、私に押し出された信乃は、私と同じように地面に倒れる。
「狭っ!!!」
地面から起き上った信乃が、私の名前を叫ぶ。
当の私は、信乃をかばった事で自分が化け猫に押し倒されてしまう。
「っ…!!」
化け猫の牙が、私の喉笛を掻っ切ろうとするのに対し、私は必死で自分の上から引きはがそうとする。
「このっ…!!」
私は右足を使って、何度も化け猫に蹴りを入れる。
この蹴りで怯んではいるものの、私の上に乗っかっている身体をどけてくれる気配が全くない。
「ああっ…!!」
化け猫の牙が、私の小袖を引き裂く。
すると、肌が露わになるのと同時に、私が懐に隠し持っていたお守り刀が姿を現す。
「…っ…!?」
ほんの一瞬の出来事であったが…この時、私にとっては時間がスーパースローモーションになったような感覚がした。
刀にある牡丹花の紋章を見た化け猫が、思わず目を見張っていたからである。
しかしその後、化け猫の視線は風を切る音の方へと向く。
「えっ…!?」
その直後、私の上に乗っかっていた化け猫が地面に飛ばされる。
「ぎゃぁぉぉぉぉっ!!!」
地面に倒れた化け猫は、ものすごいうめき声をだしていた。
何が起きたのかが把握できない私は、ゆっくりと身を起こす。化け猫によって着物が破られたため、胸が少し顕になっていた狭子。しかし、妖に襲われた私は、それを恥ずかしいと思う余裕などない。震えた身体を見つめながら、うめき声の聴こえる地面を見つめる。
「あ…!」
よく見ると、化け猫の左目に矢が突き刺さっている。
どうやら、現八が射た矢のようだ。そうして、地面で痛みに苦しんだ後…化け猫は一目散に逃げ出してゆくのであった――――――
「狭…大丈夫か?」
「…あ…」
今までにない出来事に遭遇した私は、頭の中が真っ白になって茫然としていた。
それこそ、信乃が声をかけてくれなければ、そのままずっと呆けていたくらいに。
陽の光…
気が付くと、木々の隙間から太陽の光が戻ってきていた。そのせいか、先ほどよりも周囲が明るくなり始めている。
「どこも怪我はないか!!?」
「うん…。着物は破られちゃったけど、特に深い傷は負わなかったから…」
すごい形相をして訊いてくる信乃に対し、私は呆気に取られつつも自分が無事である事を伝える。
「…ありがとう、現八。私が無事だったのも、一重に貴方のおかげって事よね…」
いつもの調子に戻ってきた私は、現八の方を見て礼を言う。
「…無事で何よりじゃ」
私の台詞を聞いた現八は、少し頬を赤らめながらそのように呟いた。
…もしかして、照れているのかな…?
いつもは無表情で、あまり取り乱さない現八が頬を赤らめている。今夜が台風になりそうな出来事に、私は少し微笑ましくも感じていた。
『誰かそこにおるのか…?』
「えっ!!?」
すると、後ろの方から見知らぬ声が聞こえてくる。
「赤岩…殿…!!?」
現八が声のした方向を見て、驚いている。
振り向いてみると―――――――――そこには、落ち武者のように長い髪をし、全身が半透明色をした男性が立っていた。見た所50歳くらいの中年男性であり、こげ茶色の質素な着物を身にまとっている。
「“赤岩殿”って…。もしかして、赤岩一角…?」
その
その一角らしき男性は、私の方を一瞬見たが、すぐに現八の方を向く。
『お主…もしや、
「ああ…。赤岩殿…。もし…や…?」
目を見開いて驚く現八は、一角の身なりを見つめた後、彼の身に何が起きたのかを察したような表情になる。
そんな現八を見た一角は、少し黙り込んだ後に口を開く。
「…左様。わたしは、既に死んでおる…」
「一体、何が…?」
その後、一角は自分が化け猫に食い殺された事。そして、その化け猫が自分に成り代わって村で暮らし始めている事を私達に話してくれた。また、古賀にいる足利成氏に仕えていたはずの彼が、なぜ下野国にいるのかと現八が尋ねると、このように答えてくれた。
『
「妙椿…」
「…そういえば、某の刀を止めた男も…」
“妙椿”という名前に私が反応する一方で、そんな狭子の気持ちを代弁するかのように信乃が呟く。
そんな私達を見た一角は、何かを思い出したかのような口調で話し出す。
『そういえば…。その女祈祷師の側に…従者を名乗る男が控えておった。長い白髪で、面構えの良い男だったから、妙に覚えておる…』
「…!!!」
今の台詞を聞いた私の表情が一変する。
おそらく、信乃や現八もその男が
…玉梓の怨霊・妙椿――――――まさか、素藤は彼女と手を組んでいるという事…?
実際、原作でも妙椿と素藤は手を組んでいたらしいが、それについては私も知らなかった。故に、何が目的で手を組んでいるのかという疑問が生まれる。
私が考え事をしている内に、話は本題へと戻る。
『犬飼見八…。そして、犬塚信乃よ。そなたたちに頼みたいことがある…』
「…赤岩殿?」
現八が不思議そうな表情をすると、一角は改まった表情になって話し出す。
『わしは無念にも、このような最期を迎えてしまったが…。せがれは、わしが死んだ事は知らんのだよ…』
「という事は…角太郎殿は、偽の一角殿を父親と勘違いして…?」
『左様。わしの姿をした化け猫を、遠くから見ておったが…。息子を嬲り、家から追い出すわと、その悪事は留まる所を知らない…。ましてや、後妻なんぞを迎え…今度は角太郎の妻・
息子の事を語る一角の瞳が潤み、一筋の涙がこぼれる。
『…ゆえに、頼む…。息子に会って…わしが死んだ事。そして、そなたが父だと信じる“そやつ”は…化け物だと…。そう告げてやってはくれぬか…?』
涙ながらに語る彼は、そのまま私達に向かって頭を下げる。
そんな一角を見た現八と信乃は、困惑した表情を見せる。
大角の奥さんである
私は、息子の事を案じ…涙ながらに語る赤岩一角を見ながら、そのような事を考えていたのであった―――――――――
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