幕間

「これは…狸?」

猿石村を出立した私達3人は旅の道中、林道にて休憩をしていた。

これはその時、私が見かけた動物に対して述べた台詞。

「ああ、狭子。それは、まみだよ」

 私の疑問に、信乃が答える。

 休息を取っている私達の目の前に現れたのは、茶色くて顔が丸く、尻尾の毛が太い獣。

  そっか…。思えば、この時代では“狸”という呼称はない…かな?

 私はふとそんな事を思う。実際にまみは狸の異名と辞書には書かれている。また、原作者の滝沢馬琴も、この獣については方々で調べまわっていたという話を知るのは、しばらく先の出来事であった。

まみと申せば…」

「現八…?」

私や信乃の会話に、今度は現八が割って入ってくる。

「わしが古賀におった頃、一人の武士と腕比べをした事がある」

武士もののふ…?」

 その言葉に、私の歴史好き魂が震える。

 現八はそんな私の視線に気が付いたが――――――――罰が悪そうに違う方向を向いてしまう。

「左様…。終いにはわしが勝利したが、その男…玉坂飛伴太たまさかひばんたは、人の子ではなかったそうな」

「どういう意味だ…?」

 今度は信乃が現八の台詞に首を傾げる。

「あれ…?その玉坂なんとか…っていう男性ひとって…」

 珍しい名だからというわけではないが、私にはその名前に聞き覚えがあった。

 私が何を言いたいのか察したのか、首を縦に振ってから現八は話を進める。

「誰を師として仰いだかは知らぬが…どうやら、猯が人の子に化けて剣術を学んでいたそうだ」

「!!」

 その台詞に、私と信乃の表情が変わる。

「猯が人に化けておったとは…!」

「化けるのは、猫だけではない…という事ね」

「狭子…?」

 私は二人に聞こえない位の声で呟いたつもりだったが、現八には筒抜けだったようだ。

「何でもない!」

 私は誤魔化すように顔をそっぽに向ける。

  …いくらなんでも、これから起こりうるであろう未来の話をしても仕方ないしね…

 私はボンヤリしながらたき火の火を見つめる。私達3人は今、次の犬士を迎えるために下野国へ向かっている。その犬士の名は、犬村大角礼儀いぬむらだいかくまさのり。“礼”の玉を持つ。そのため、これから起こりうる展開は手に取るようにわかっていた。ただし、玉坂飛伴太たまさかひばんたがかつて現八に戦いを挑んでいたという話には、正直に驚いていた。

 ちなみに、その人物は本来、大角の父・赤岩一角に成りすました化け猫の弟子で、化け猫が退治された後は、庚申山で山の神に処刑されるらしい。また、その正体がまみというのも一部の文献には記されている。

  いや、現八と腕試し…って展開は、もしやこの世界が“八犬伝のパラレルワールド”のような所だから、違った設定があるのかも…?

 私はこの時、今自分がいるこの大地が書物の世界でも現実の世界でもない、異端の地なのだと改めて悟る。そして、この世界に飛ばされて1年は経過したであろう。未だ、現代へ帰る手がかりが見つからない。

  信乃は亡き許嫁の浜路が忘れられないみたいだし、現八は相変わらず無愛想だし…何だか、やってられなくなるなぁー…

「犬士捜しの旅」という、本来ならときめきが止まらないシチュエーションなのに、私の心は自暴自棄になりかけていた。

「あ…」

 気が付くと、最初に見かけたまみが私の近くにより、指をペロペロと舐め始める。

 狸の生態はよく知らないが、おそらくこれは懐いている証なのであろうか。

「狭子。現八の話が誠なれば、あまりそいつに近づく事は承服しかねるが…」

 まみが懐いているのに気が付いていたのか、信乃が言いづらそうな表情かおをしながら私に警告をする。

「あはは、大丈夫でしょ!」

「だが…」

「仮に、この子が化けまみだとしても…ってか、そうならとっくに人に化けて現れるのでは?」

 信乃の気まずそうな表情が火に油を注いだのか…苛立った私は眉間にしわを寄せながら彼に言い放つ。

 その剣幕に流石の信乃も言い返す事ができず、黙り込んでしまう。

「少し…周囲を見回ってくる」

 しょんぼりとした表情をしながら、信乃は独り、その場から去ってしまう。

「全く…何をそんなに苛立っているのだ?お主は」

「ごめん…現八」

 私達の会話を傍聴していた現八が、ため息交じりで話す。

 それを聞いた途端、私は罪悪感と共に惨めな気持ちになる。

  信乃に八つ当たりしちゃったな…。浜路さんの事はともかく、私が現代むこうへ帰れないのは、彼のせいでもないのに…ね

 そんな事を思いながら、自分に懐くまみの頭を撫でる。

  こんな想いばっかりするのならば…いっそ、この世界から消えて現代に逃げ帰りたいよ…

 信乃との対話によって、余計に現代へ帰りたいという想いがつのるのであった。


「あれ…霧?」

 気が付くと、周囲が白い霧に包まれていた。

  ここは山の上じゃないから、霧はそうできないはずだけど…

 白い霧の存在を疑問に思っていた私だったが、すぐ目の前で起きている事態に気が付く。

「現八!!?」

 気が付くと、眉間にしわを寄せた現八が、何かに耐えるような表情で身体を震わせていた。

「この…霧…。狭子…触れて…は…駄目…だ」

「現ぱ…!!」

現八が苦しそうな表情でそう述べると、そのまま瞳を閉じて倒れてしまう。

 彼の名を呼ぼうとした私もまた、急激な睡魔に襲われる。

  この霧…。霧というより、催眠…ガス…?

 そんな事を思いながら、私の意識は闇に溶けていく。



「ん…」

意識が戻り始めた私は、重たくなった瞼を開く。

そんな自分の視界に最初入ってきたのは、多くの木々や葉っぱだった。そして、誰かに抱きかかえられている事に気が付く。

「貴方は…?」

 顔をあげると、そこには直綴じきとつという鎌倉時代以降のお坊さんが着ていたとされる黒い僧衣を身に着けた青年がいた。

 どうやら、私を抱きかかえて運んでいるようだった。

「僕は…特に名はございません。しかし、貴女様をお助けするためにこうしてお連れしました」

「え…?」

 意識が朦朧としていたのか、その突拍子もない台詞にもあまり驚く所為はなかった。

 そして、この黄金色の髪をした青年はこうも付け足す。

「…ごめんなさい。意識が朦朧としているかも…。それは僕のせい…ですが、僕は今、貴女の望みをかなえるために、移動しているのですよ」

「……」

 何も答えず虚ろな瞳をした私の視界に、ある物が目に入る。

 それは黄金色の髪から見え隠れしている茶色い物――――――――じっくりとは見えないが、それはまるで獣の耳のようであった。

「そういえば、現八…!!!」

 やっと意識がはっきりした私は、思わず身を起こそうとする。

「わわ!!暴れないでっ!!」

 青年は、子供をあやすような口調で私に言い放つ。

「あんな…あんな僕らを迫害するような人間、眠らせておけばいいじゃん!!」

「え…」

 その台詞を聞いた途端、私の表情が固まる。

 すると、青年は「しまった」と言わんばかりの表情で唇をかみしめる。その時に私の視界に入ってきた獣の耳が、何の耳を意味するのかを瞬時に悟る。

「貴方…さっき、私に懐いていたまみ!!?」

 私は何度も瞬きをしながら叫ぶ。

 その声を聞いた青年は、フッと純粋無垢ともいえる微笑みを見せた。

「そう…。先ほど、貴女に触れた時…その美しき心にある一点の曇りと…強き霊力を感じたんだ。故に、ちょっとだけ生気を戴いたんだよ」

「妖…怪…?」

無邪気そうな笑みをしながら口にした言葉は、決して穏やかな内容ではない。

この時私は初めて、この青年に恐怖を感じる。しかし、精神こころとは裏腹に、私の身体は石のように重かった。こいつが言う「生気を戴いた」という台詞に関連しているのか――――――――

「ああ…でもね」

 明るげな態度を崩さぬまま、人に化けたまみは話を続ける。

「僕はあの化け猫みたいに、貴女の血肉は食べない。でなきゃ、貴女は今ここにいないでしょう?」

「それはわかったけど…現八は?信乃も近くにいたはずだし…!」

 疑惑のを向ける私に対し、青年は呆れたような表情になる。

「霧の術で寝てもらった後は、そのまま放っておいた!…人間の雄の生気なんて、興味ないしね」

「私をどうするつもりなの…?」

「お姉さん…己が生まれ育った地へ帰りたいのでしょう?」

「えっ!!?」

 心の中を見られたようで、心臓が強く脈打つ。

その表情を見たまみの青年は、フッと笑みを浮かべながら話を続ける。

「この先に、“現世うつしよには在らぬ物が現れる”と噂のある坂道がある」

「!?」

 彼の台詞は、まるで心臓が止まるくらい驚きを隠せない言葉だった。

  “現世うつしよには在らぬ物”って…もしや、それって…!!

「ふふ…。お姉さんが行きたい場所に、たどり着けるやもしれないよ?」

 そう囁くまみの表情は不気味な笑みを浮かべていた。

  まさか…現代むこうに…帰…れる!!?

私は青年の腕の中でそんな事を思いながら、林道を移動していったのであった。


「さて、到達したよ」

「ここが…」

 たどり着いた先には、確かに少し入り組んではいるが坂になっている林道があった。

「おっと!」

 地面に降り立った私はまだ身体がふらついたのか、まみの青年が肩を支えてくれた。

「生まれ故郷からこの地に参った時…如何なる状況だったの?」

「状況…」

 その台詞を聞いた私は、現代から戦国時代こちらにタイムスリップする直前を思い出す。

 頭に響いた女性の声の後、学校の階段で足を踏み外した私は、そのまま頭から下へと転落したのである。どうやら、この青年は私の心が読み取れるのかもしれない。全ての事を悟ったような表情をしながら、薄い笑みを浮かべて口を開く。

「ならば、その時の状況を…再び体現してみれば、同じ事象が起こるのでは…?」

「!」

戸惑う私に、青年は追い討ちをかけるような言葉をかける。

 しかし、彼が言う事も最もだ。よくあるタイムスリップ物の作品は、飛ばされる前と同じ行動をすれば、元の場所に戻れたなんて話も少なくはない。

  この坂から、転げ落ちる…

 私は坂を見下ろした途端、つばをゴクリと飲み込む。

 普通の滑らかな坂ならば、わざと転べば良いだけの事。しかし、木の根っこや岩が点在するこの坂は――――――――下手すれば、転げ落ちる前に頭を打って死んでしまうだけだ。その事を考えると、少しためらってしまう。

「…やるの?やらないの??」

 横から、苛立っているような青年の声が聴こえる。

 それに圧力プレッシャーを感じた私はゆっくりと歩き出し、坂とは反対の方へと振り向く。

  もし、このまま現代へ戻れればベストね…。でも、仮に失敗して死んでしまったとしても…報われぬ想いを抱えたままこの時代にいるよりは、楽…なのかも

 そう思った私は、不思議と死への恐怖が消えていた。それと同時に思い浮かんだのは、信乃の表情かお。やはり好きな男性ひとが他の女性ひとをまだ想っている事に、私は耐えられなかったのかもしれない。ましてや、相手は既に亡くなった人物。死者を想う生者を邪魔するなんて、私には到底できない。それならば、いっそ―――――――――そんな事を考えながら、ゆっくりと身を倒そうとしたその時であった。


「狭っ!!!」

ドサッ…という音と共に、聞き慣れた声が響く。

 そのまま落下しようとしていた私を受け止めたのは、私を探しに来たであろう信乃だった。

「信…乃…?」

 「これは夢か」と自分の目を疑ったが――――――――身体に感じる温もりは、明らかに生きた者の証。紛れもない信乃本人であった。

「お前…術で眠っていたはずでは…!!?」

 信乃に抱き起こされて体勢を元に戻すと、そこには顔が真っ青になった青年がいた。

 すると、信乃は懐から犬士の証たる珠を取り出す。

「あの時…偶然、珠が掌にあった。おそらく、珠が術を無効にしたのであろう」

「な…!!?」

 信乃は呟くようにして、相手の問いに答える。

 しかし、そう述べる彼の表情はあまり生き生きとしていなかった。

「怪我はないか?狭子」

「う…うん。大丈夫…」

 一方で、私に対してはとても心配そうな表情かおをしながら述べる信乃。

「さて…と。某達を眠らせ、狭を連れ去った罪…その命を以って償ってもらおうか!!」

「っ!!」

 信乃は村雨丸を強く握りしめながら、物凄い剣幕でまみの青年を睨みつける。

 その強い殺気に、青年は相当怯えていた。しかし―――――――――

「…と思ったりはしたが、お主は、狭子や現八を傷つけたりはしなかった。故に…」

 怒りを抑えたような低い声で呟きながら、信乃は構えていた村雨丸を鞘に戻す。

「命までは奪わぬ。だが…早々に、我らの元から立ち去れ。物の怪よ…!」

「ひ…ひぃぃぃぃぃぃっ…!!!」

 信乃がそう言い放つと、まみの青年はあっという間にその場を去ってしまうのである。


「さて…と」

一息ついた信乃は、私を見下ろす。

「し、信乃…」

 私は助けてくれた彼に礼を述べようとしたその時であった。

清々しいくらいの音と共に、私の頬に痛みが走る。本当に一瞬の事で気が付かなかったが、信乃の構えと徐々に感じ始める痛みに気が付いたとたん、自分は彼に平手打ちされたのを悟る。

「何故…何故、あのような真似をしたのだ!!?」

「っ…!!!」

 物凄い形相で私を睨みつける信乃。

 そのあまりの勢いに、私は身体が硬直してしまう。しかし、私が怖がっているのを察したのか――――――――深いため息をつきながら、信乃は口を開く。

「あのあやかしに何を吹き込まれたかは知らぬが…何故、命を捨てるような真似をしたのだ…!?」

 その表情は怒りというより、苛立ちに似たようなものだった。

 普段以上に感情的であった信乃は、気が付けば両手で私の肩を掴んでいた。

「何も所以がなく、あのような事をしようとしたのか?」

「違う…それは、絶対に違うっ…!!」

 私は全く逆の事を信乃に言われ、つい反論してしまう。

「っ…!!」

 しかし、言えない。

 「報われない想いを抱えて生きるのが嫌で死にたかった」など…ましてや、当の本人の目の前で――――――――――

 私は、自殺行為の本当の理由を信乃に説明できずにいた。

「信乃…?」

 それを見かねたのかまではわからないが、信乃は突然、私の腕を掴んで引っ張る。

 気が付くと、私の顔は彼の胸の中で蹲っていた。突然の行為に、何が起きているのかわからず、思考が止まってしまう。

「そなたが坂から落ちようとしておった刹那…」

「?」

 信乃が私を抱きしめながら、小さく呟く。

「誠に心の臓が止まりそうだったわ」

「!!」

「無事で…良かった…」

  信乃…!!

 表情は見えずとも、その声音で私は悟る。彼は本気で私の事を心配してくれているのだと。それに気が付いた私は、自分がどれだけ愚かな行為をしていたのかがよくわかる。私の心臓の鼓動と共に、信乃の小刻みで動く心臓の音が耳に響く。

「ごめん…なさい…!」

 私は半べそになりながらも、彼の腕の中で本人に謝罪をする。

  この先…現代へ帰れる手がかりが見つかったとしても、不確かな物の場合は、頼らないでいこう。そして…いつかは戦国時代こちらで一生暮らす覚悟を決めなくては…!

 私はそう強く決意したのである。



こうして、原作にはない出逢いがありつつも、私達3人は次の犬士を迎えるために下野国・玉壁たまがえしの里を目指すのであった――――――――――――

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