(挿絵別途有)■第12話 委員長の悩み
先生に職員室から閉め出され、その上空き教室の場所が分からず、途方に暮れていたところに突然現れた和服の女性。
身長が俺より大分低くて幼い感じなのに、凛とした立ち姿に目を奪われる。真っ直ぐに伸びた背筋、短いのに上品に着こなされている和服と、まるで同じ学生とは思えない気品を感じる。
楓ほどの小さな体なのに豊かな胸。あ、いや別に胸を比べているわけではないが、とにかく第一印象が衝撃的で、俺はその姿を見て一瞬固まってしまった。
「見た感じ、困ってるように見えるけど――」
固まっているところに改めて話しかけられ、ふっと我にかえる。
「あ、いえ! だ、大丈夫、です」
清廉で、それでいてとびきりの愛くるしさ。住んでいる世界が違いそうな目の前の女性に対し、俺はしどろもどろになりながらも何とか返事をした。
「ほんとう? さっき、どの空き教室か聞いてねーって叫んでたよ?」
可愛い口調で、前髪をかきあげながら俺の顔を覗いてくる。近い! 近いですって!
こういう仕草が、俺の純真な男心をくすぐってきてやばい。流麗でウェーブがかった紫色の髪からふわっと香るいい匂い、そして見下ろした視線の先、和服から覗いた胸の谷間が興奮を誘う。落ち着け、落ち着くんだ俺!
「ねえ、君。大丈夫?」
鼻息を荒くしているところに話しかけられ、慌てて目の前の女性から目を逸らす。知らない女性に初対面から心配されてしまうとは、何ともカッコ悪い。
煩悩よ消えろ。まずは深呼吸して――すーっ、はーっ。
「落ち着いた?」
「はい、すいません」
「うん! いい子だねー」
深呼吸によってなんとか冷静さを取り戻したのも束の間、何故か頭をなでられ、また少し動揺してしまった。
「あ、あの……」
「あ、ごめんね。私つい癖で……嫌だった?」
嫌ではないが、なんか子供のように扱われているようで少し恥ずかしい。おそらく天然系の人っぽいし、子供のように扱っている意図はないのだろうけれど。
「大丈夫です。ちょっとびっくりしただけですから」
「よかったー。じゃあ、どうしたのか聞かせてくれる?」
「えーっと、実は――」
何とか落ち着きを取り戻し、目の前の女性に事の次第を説明する。
「――と、そんなわけでして、整理を頼まれた空き教室が分からないんです。先生には閉め出されるし、もう一度職員室に入るのも気後れしてしまって」
出会ったばかりの人に相談するのもどうかとは思ったが、不思議とこの人には心を許してしまうような優しい雰囲気を感じ、今までの経緯を洗いざらい話した。それはもう、愛音先生に対する愚痴まで全て。
「ふふっ。女の子の為に先生に意見するなんて君、優しい男の子なんだね」
「いえ、俺は当然のことを言ったまでです」
「いいなー。私がそんなことされちゃったらキュンってきちゃうよー」
「あ、いや、はは……」
何ともふんわりとした感じの会話に、俺は少し照れてしまった。終始この人の会話のペースに引き込まれてしまい、まるで身内、それも姉に可愛がられる弟のような心情を抱く。
「それで、愛音先生が顧問する予定の部室だよね。それなら心あたりがあるから案内するね」
「本当ですか! マジ助かります! ありがとうございます!」
これは思わぬ収穫だ。きっと神様が困った俺を見ていて下さった、いや、この人自体が神様なのかもしれない。
こんな意味の分からない考えになるくらい、予想もしなかった嬉しい誤算にちょっとしたガッツポーズを決める。目の前の女性も、ふふっと笑みを浮かべ、夕焼けに染まった廊下を歩き出した。
「じゃあこっち、ついてきて」
言われるがままに和服の女性についていく。後ろからついて行くと、鼻の先から先ほども嗅いだいい匂いが漂ってきて、何とも幸せな気分だ。
「どうしたの?」
「何でもないです!」
いい匂いに興奮していた、なんてもちろん言えない。こういうことでよく美奈や楓にも叱られることがあるが、俺ってそんなに顔に出るようないやらしい表情でもしているのだろうか。
「っと、あそこじゃないかな?」
窓ガラスに映った自分の顔を凝視している内に、どうやら目的の空き教室に着いたらしい。女性が指差したあたりには委員長の姿もあった。
「はい! 間違いないと思います」
委員長がいるってことは大正解だろう。一時はどうなるかと思ったが、辿り着けて本当に良かった……
「あ、ありがとうございます! えーっと……」
案内してもらったお礼を言おうと思ったが、よく考えたらまだ名前も聞いていないことに気付き、言葉に詰まる。
「そういえば自己紹介がまだだったね。私は花椿(はなつばき)ゆい、二年生よ」
「俺は能美柊、一年生です。花椿先輩、どうもありがとうございました!」
「ふふ、どういたしまして。私は隣の和室にいることが多いから、良かったらいつでも遊びにきてね」
自己紹介とお礼を言い終え、花椿先輩は笑顔で手を振りながら和室へと入っていった。
和服で和室に用ってことは茶道部の人なのかな? それにしてもふんわりとして、いい人だったなあ……
「能美君、鼻の下伸びてますよ」
花椿先輩を見送りながら先輩の残り香に浸っていたところ、いきなり委員長がからかってきた。
「伸ばしてねーよ!?」
とりあえず誤魔化したのはいいが、本当にエロい感情が表情となって表に出ているのではないかと、割と本気で心配になってきた。今度自分の顔を動画で撮って見てみよう。
「ふふ、冗談です。さあ入りましょうか」
「……ま、いいか」
いつも一人で今日まで俺と接点もなかった委員長が、今ではすっかり冗談が言いあえるようになったことを微笑ましく思った。抱きついたことは悪かったとは思うが、そのおかげでこうして委員長と仲良くなれたことを思えば、これも天の巡り合わせなのかとも感じる。
そんな運命めいたことを真面目に考えている自分ってバカだなぁと思いつつ、屈託のない笑顔で楽しそうにしている委員長と共に空き教室に入った。
「うわっ、こりゃひどいな」
元々は整理が行き届いていた教室だったのだろうが、物置のような使われ方をしていたのか、床や机の上にダンボール箱や物が散乱している。その上ほとんどの物には埃が被っており、長い間使用されていない雰囲気を醸し出していた。
とはいえ、そんなに時間がかかるような量ではなさそうだ。確かに女の子一人では大変そうだが、二人でやればすぐ終わると言っていた委員長の言葉にも頷ける。
「では私は埃を掃除するので、能美君はダンボール箱とか大きい荷物を片付けていってもらっていいですか?」
「お安い御用だ! 任せろ委員長」
適材適所な委員長の指示の元、早速整理に取りかかった。さっさと終わらせないと約束に間に合わない為、黙々と床や机の上の物を集めては空いている箱に詰めていく。こうやって集中してやれば、きっと三十分もかからないだろう。
「ね、ねえ、能美君」
「ん?」
黙々と作業していた手を止めて、突然委員長が声をかけてきた。
「あの、さ。その、なんていうか――」
いきなり話しかけてきた割には歯切りが悪い。言い辛いことでも言おうとしているのか、それとも俺の整理のやり方がおかしいとかだろうか。
「どうした? なんか作業に問題でもあったか?」
「い、いや、作業は全く問題はないけど……」
何故か言い淀む委員長。もしかすると、授業中に抱きついたことについてだろうか。そう思うと、聞いている俺も少し緊張してくる。
「い、いや、やっぱり何でもないです!」
自分から話しかけてきて何でもないことはないと思うが……気にはなるけど時間もおしている為、とりあえず作業に戻った。
黙々と作業を続けること数分。委員長の方へ目を向けると掃除が全然進んでいないことに気付いた。どうも先ほどから様子がおかしい。
それでも俺は作業を続けた。しかし、さっき何でもないと言ってから十分も経たないうちに、もう一度委員長が話しかけてきた。
「こ、こほん。能美君、ひとつお願いがあるんだけどいいかな?」
初めてこほんと口にする人を見た気がする。ちょっと気取っているようで可愛い。
「ああ、俺で出来ることなら」
委員長が俺にお願いしたいことなど全く見当もつかないが、失態の分の名誉挽回も兼ねて、俺はすぐに了承した。
「大したことじゃないんだけど――」
恥ずかしそうな顔で、またしも言い淀む委員長。そんな表情をされると、ないとは分かっていても年頃の男女に関することではないかと期待してしまう。
委員長も黙ってしまい、教室内を沈黙が支配する。これはもしかすると告白ではないか? そう思ってしまうと、急に俺の心臓もドキドキし始めた。
「私のこと……」
か細い声で委員長が呟く。私のこと、私のことの後は何だ! 俺の心臓もうるさいほどに速くなっていき、この心臓の音が委員長に聞こえるのではないかと心配になるくらいに興奮していた。
そして委員長が顔を赤くして、恥ずかしそうに口を開いた。
「私のこと、委員長って呼ぶのやめてもらえませんか!?」
――がくっ。
告白ではないと分かってはいたが、心のどこかでは期待していたのだろう。俺の身勝手な期待のせいで、俺は一人残念な気持ちになる。ちくしょー。
それはそうと、委員長と呼ぶのをやめろということは、俺はどこかで委員長に嫌な思いをさせていたということだ。勝手に友達になれたと思っていたのは、ただの一人よがりだったのかもしれない。
「ごめん、まさか委員長って呼ばれるのが嫌だと思ってなかった。気付かなくてすまん」
「え? あ、違うんです! 嫌とか迷惑とかそういうんじゃなくて――」
「そりゃ、あんなこともあったっていうのにそうだよな。悪い、俺が無神経だった」
いいんだ、そんな気を使わなくても。事故だとしても、セクハラまがいのことをしてきた奴に、馴れ馴れしく委員長、委員長って呼び捨てのように呼ばれるのは嫌だろうさ。
「だから! それとは関係なくて、ただ自分が委員長っていう立場で見られながら人付き合いするっていうのが耐えられないんです!」
「……え?」
「せっかく同じクラスの人と仲良くなれるかもって思ったのに、委員長って役割だけで私と関わってるのかなって考えると、遠い感じがして悲しいから」
意外な言葉だった。告白だとかセクハラだとか、そういう考えでしか考えられなかった自分を蹴飛ばしてやりたいくらいに、委員長の気持ちを理解していなかったんだと痛感した。
「仲良くって……俺とか?」
「はい!」
委員長も俺と同じ気持ちだったんだなとやっと分かった。俺が高等部で初めてクラスの友達が出来たと喜んでいたように、委員長もまた俺のような友達が出来たと、きっと心から喜んでいたのだろう。
それなのに俺は、委員長、委員長と呼んでいた。一人の女の子としてではなく、自分でも気がつかないところで、クラスの委員長として見ていた部分が大きかったのかもしれない。
「そうだな……俺は確かに委員長っていう色眼鏡を通して見ていた気がする。すまない」
「別に委員長として見られるのが嫌ってわけじゃないんです。ただ、友達になれそうなのに、このままだと心から仲良くなれないと思って」
この人は聖女か何かなんだろうか。セクハラ事件の加害者とも言える俺に対して、責めるどころか仲良くなりたいとまで言ってくれるなんて、とんだ人柄だ。
「だから能美君は謝らないで下さい。これはただの私の我が儘なんですから」
なんと優しいのだろうか。今目の前の女の子に相対している自分が情けなくてしょうがない。
「もう一度言います。委員長っていう呼び方を変えていただけると嬉しいです」
今度は恥ずかしさを感じさせない言い方で、きっぱりと言い切った。既にこの時、俺から見た委員長は、クラスの委員長としてではなく、一人の女の子として目の前に立っていた。
「分かった。俺も仲良くなりたいと思っていたし、仲良くなりたいと言ってもらえて本当に嬉しいよ」
「ありがとうございます! 能美君」
委員長の真剣な頼みに見合うよう、俺も真面目に応えた。気恥ずかしさはあるが、これからは委員長ではなく、一人の女の子として接していきたい。
「じゃあ、これからは友達としてよろしくな。ええと――」
「あ、呼び方は好きなように呼んでもらえればと……」
委員長がちょっと赤くなりながら細々とした声で言った。やはり恥ずかしい気持ちもまだあると知り、先ほどまでいたたまれなかった気持ちになっていた自分にも少し余裕が出来た。
「そうだな。雛森梅乃だから――うーちゃんとか」
「え?」
冗談半分で言ってみたのだが、何故か委員長は少し驚いたような顔になって俺に聞き返してくる。
「名前が梅乃だろ? だからうーちゃん、とか。なーんて、ははは……」
「能美君それって――」
女の子の呼び名を決めるのに照れ、恥ずかしいのを誤魔化しながらもう一度問い直した。
委員長は驚いた表情のまま、何かを考えている。やはりうーちゃんはちょっと行き過ぎだったのかもしれない。
「冗談、冗談だよ! ちょっと調子に乗って言ってみただけだから!」
「…………」
委員長は何も言わない。恥ずかしそうな顔でもないし、冗談に怒ってしまったのだろうか。
「やっぱり呼び方は雛森さんで――」
「いいです」
「え?」
「うーちゃんでいいです!」
「えー!」
マジか。提案しておいてなんだが、正直言って、言う方も言われる方もかなり恥ずかしいと思うんだが……
「委員長、やっぱりそれはやめた方が――」
「委員長じゃなくてうーちゃんです!」
完全に身から出た錆。適当な提案なんてするものじゃないと、この時俺は深く心に刻んだ。
「その、う、うーちゃん?」
「はい!」
「じゃあこの呼び方でこれからもよろしく……」
「はい! 能美君!」
うーちゃんと呼ばれ、きらきらした笑顔で返事をする委員長。いや、うーちゃん。
こうして俺の頭から委員長のイメージが消え去り、笑顔が可愛い無邪気な女の子のイメージが新たに植え付けられたのであった。ていうか俺は苗字のままなのね……
「それじゃあ、そろそろ作業を再開しようか」
「あ、はい! ごめんなさい、用事もあるのに手を止めさせてしまって」
「気にすんなって」
ここからは真面目に掃除をするため黙々と作業進める。うーちゃんは機嫌がいいのか、鼻歌を歌いながら作業を進めていた。
「っと、こんなもんかな」
二十分後、俺は散乱していた大体の荷物を片付け終わったが、うーちゃんはまだ掃除を続けている。
「俺終わったけど、何か手伝おうか?」
「いえ! こっちももうそろそろ終わりますから大丈夫です」
明るい声と笑顔で返事をするうーちゃん。今まで委員長として見ていたせいか、ちょっと暗いイメージで内気な性格だと勝手に思っていた。
しかし委員長という箱の蓋が開いた今、目の前にいるのは無邪気で可愛い普通の女の子だった。敬語なのは変わらないけど。
「能美君、確か用事があるんじゃなかったですか? 私はもう大丈夫ですから、そっちへ行ってもらって大丈夫ですよ」
「え、でもまだうーちゃん終わってないし手伝うよ」
「いいえ、能美君。確か妹さんとの約束ですよね? 女の子を待たせちゃダメですよ!」
「女の子って……彼女とかなら分かるけど妹だぞ?」
「の・う・み・く・ん?」
うーちゃんの謎の猛プッシュに俺はたじろぐ。友達になったってだけで、随分な変わり様だ。
「分かった! 分かったから!」
こういう、女の子の気持ちの話をされた場合、無理に男側の気持ちを通すとろくなことがない。うーちゃんを残して俺だけ帰るのも気が引けたが、仕方なく俺は従うことにした。
「じゃあ俺は帰ることにするよ。ありがとな、うーちゃん」
「どういたしまして、能美君」
女の子ってこういうところは頑固だなぁと思いながら俺は空き教室を出た。この時間なら十分約束に間に合うし、助かったのも事実か。
俺は心の中でもう一度うーちゃんにお礼を言い、学園を後にした。
「よしっ、じゃあ私もさっさと終わらせて――」
突然空き教室内に響き渡る通知音。どうやら落ちているスマートフォンから聞こえてくるようだ。
「ん? これは能美君のスマホ?」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます