■第10話 幼馴染としての間柄

 保健室から戻ってきて早々、俺はクラスメイトからからかわれることになった。普段はまともに話しかけてくることもないのに、こういう時だけ話しかけられるのは正直苦手だ。


 普通に世間話をするだけなら構わない。しかし、聞かれるのは委員長の抱き心地はどうだったとか、保健室で委員長と二人きりでどうだったとか、人のゴシップのような話ばかり。迷惑をかけた俺が言える立場ではないかもしれないが、もうちょっと委員長を気遣ったりしてやることは出来ないのだろうか。


 一頻り質問攻めにあい、欲求を満たしたクラスメイト達が散ったあたりで、今度は美奈が話しかけてきた。


「柊」

「美奈か、どうした?」


 からかいにきたクラスメイトとは違い、美奈の顔は真面目だった。昨日に続き、今回も女の子を困らせるような失態を犯してしまっただけに、美奈がそんな顔をしているのは俺に対する怒りではないかと不安がよぎる。


「委員長、大丈夫だった? 泣いてたみたいだったけれど」


 真面目な顔の理由が委員長の心配だったことで、俺は少しほっとした。同時に他のクラスメイトとは違い、他人の心配が出来る美奈の人柄に嬉しい気持ちにもなる。


「もうすっかり泣き止んだし大丈夫だ」

「柊は? 委員長と険悪になったりとか、クラスの人たちに変なこと言われたりしてない?」

「きちんと謝った後に世間話をするくらいだったし、委員長とは険悪にはなってないと思う。クラスの奴らはからかってきただけだし、多分大丈夫だろ」

「そう、よかった……」


 本当に心配してくれたのだろう。大丈夫という言葉を聞いた時の美奈は、大きく安堵のため息をもらした。


「ところで、どうして美奈がそんなこと気にするんだ?」


 クラスメイトと違い、真剣な面持ちで心配をしてくれるのは嬉しいが、何故美奈がそんなに心配そうにしているのかが分からない。委員長とは普段から接しているようには見えないし、俺だって昨日の件もあって心配してもらえるような立場ではない気がする。


「私のせいなのかなって」


 思ってもみない言葉だった。授業中のことに美奈は全く関係がない筈なのに、自分のせいだと思う理由に見当がつかない。


「美奈のせい? 授業中のことなら、どう考えてもただ単に俺が悪かっただろ」


 俺が寝不足だっただけだし、それに委員長に抱きついたのもただの事故だ。美奈が責任を感じる必要など微塵もないと思うが。


「昨日、私が柊に対してひどい態度を取ったせいで寝不足になったのかと思って……私もちょっとやり過ぎだったと思うの。仕事中やバイト帰りに自分のしたことを思うと――」


 ただの俺の身から出た錆なだけだとは思うが、美奈は美奈で真面目に俺のことを考えてくれていたらしい。そんな風に俺を心配してくれていたと分かっただけで、今まで悩み、心細く感じていた気持ちが晴れていくのを感じ、美奈は本当に俺の大事な幼馴染であると同時に、心からの親友だと改めて痛感した。


 しかし、昨日も今日も明らかに俺が悪い。美奈や楓とのこれからを考えていて眠りが浅かったということはあるかもしれないが、だからと言って俺がしでかした問題で自分を責めてほしくはない。


「いやいや、美奈は全然関係ないって! それに寝不足だったのはどちらかと言えば楓が原因だから」


 楓すまん。美奈のためとはいえ、咄嗟にお前のせいにしてしまったこの兄を許してくれ。


「バイトから家に帰ってすぐ、楓といろいろあってな。それが何故かゲーム勝負することになって、その勝負が大分夜遅くだったから寝不足だったのかもしれない」


 寝不足の原因を説明し、美奈のせいではないということを伝えたい。しかし、美奈は罰の悪そうな顔で話を聞いているままだ。


「それにそのゲーム勝負なんだけどさ、楓が昔と違って滅茶苦茶強くてコテンパンにやられたんだよ。俺が楓相手にゲームで一方的に負けたっていうのがすげー悔しかったから、もしかしたらそれがショックで疲れていたのかもな」


 楓にボロ負けした事実を恥ずかしながらも告白したが、やはり美奈の表情は変わらない。美奈が俺にしたこととやらを自分の中で悔いているのだろうが、俺からして見れば当然の報いを受けたくらいにしか思っていないのに。


「昨日の件を私が楓ちゃんに伝えたから、それでやっぱり――」

「だから美奈のせいじゃないって」

「でも……」


 昨日はあんな態度だったけど、やはり美奈は真面目で優しい女の子だと俺は心の中でそう思った。そうでなければ、このように自分を責めながら人の心配など出来ない。


「美奈、ちょっと自分を責めすぎじゃないか」

「え?」

「俺としては、美奈にそんな顔をさせてしまったことのほうがツラい。美奈の性格的に、そうなっちゃうのはしょうがないのかもしれないけどさ」


 ただでさえ昨日から失態続きで美奈に迷惑をかけてしまっている。俺のせいで美奈を困らせるなど、幼馴染失格ではないかとずっと思っていた。


 だが今はそう思わない。美奈がこうやって俺を心配し助けてくれるように、俺も美奈が困っていたらそばにいてやりたいし助けたい。


 例え助けを求められなくても、美奈がこんな顔をしてしまっているのはごめんだ。俺の美奈を不幸にするやつは俺が許さない! なんてカッコつけすぎか。というか、よく考えたら今回の原因俺じゃん……


「とりあえず俺のことは心配するな」

「柊……」

「それにお見舞いの時、美奈は言ったじゃないか。俺は明るくいてくれるだけでいいって」


 美奈が落ち込むと俺まで悲しくなってくる。朝みたいに変なダジャレを言いながら笑いあえる間柄がちょうどいいのに、自分がそれさえ叶えることの出来ない男だと思うとズキズキと胸も痛くなる。


「美奈の言葉があって、俺が落ち込むわけにはいかないと思った。昨日と今日の失態があっても俺が真っ直ぐいられるのは、そう言ってくれた美奈のおかげなんだ」

「私のおかげだなんてそんな……」

「だから俺が落ち込まずに明るく出来ているうちは、美奈だって朝の時みたいに明るい感じでいてくれ。そうでなきゃ、俺は美奈と一緒にいる資格がなくなっちまうぜ」


 美奈は俯いたまま、何も言わなくなってしまった。心なしか、美奈の体がぷるぷるとふるえているような気がする。


「美奈が落ち込んで暗い顔をするくらいなら、俺も一緒にその暗い気持ちを背負ってやる。そのくらいしか俺にしてやれることはないからな。だからつらいことがあったのなら何でも言ってくれ。俺も一緒に受け止めてやるから、な?」

「…………」


 もしかすると、自責の念にかられすぎて泣く一歩手前まできているのかもしれない。美奈を励ます為にも、ここは一発冗談でもかましてみるか。


「でも朝のアレは酷かったなあ。発情している虫は無視に限るわね――って、発情している虫扱いは酷いし、ダジャレのセンスもアレだし、いくらあの状況の俺でもズッコケる寸前だったんだぜ? いくら俺でも悪口とスベッたダジャレは受け止め切れない――」


 美奈を明るくさせようと思い、咄嗟に適当な話題に切り替えた。がしかし、顔を上げた美奈は頬を赤く染め、泣きそうな顔になりながら俺を睨んでくる。


 言ってから気付いたが、捻り出した話題がダメ過ぎた。そりゃ、こんなこと言われりゃ恥ずかしくてそんな顔になるのも当然だわな……


「人が真剣に心配してるのに……柊のバカ!」

「ごめん! ごめんって!」


 ポカポカと美奈に叩かれながらも、いつもの美奈が戻ってきたように感じた俺はどこか安心していた。やはり俺達の間柄はこのくらいが心地よい。一応言っておくが、叩かれるのが心地よいわけではないからな?


 とりあえず結果オーライだろう。一頻り俺を叩いてすっとしたのか、しばらくして美奈は落ち着きを取り戻した。


「ごめん、柊。もう大丈夫」

「俺のことは別にいいが……顔はまだ赤いみたいだし、美奈も保健室行くか?」

「大丈夫って言ってるじゃない、もう」


 まだ泣きそうな顔をしているくせに、美奈は笑ってごまかそうとしてくる。昨日といい今日といい、機嫌がころころ変わって大変だ。


「さっきはいろいろ変なことを言ってごめんなさい」

「だから悪いのは俺の方だって。話終わったなら次の授業の用意しようぜ。次は体育だから、早く着替えないと授業に遅れちまう」

「そうね。ありがとう、柊。行ってくるわ」


 美奈は体操着を持って、いそいそと女子更衣室へと向かっていった。その後ろ姿からは先程までの心配を抱えた雰囲気は感じられず、俺は安心して体育の授業へと向かった。


 ちなみに、走っていった美奈のスカートがめくれて下着が見えていたのは俺だけの秘密にしておこう。言ったら、また男に対する恐怖心を煽ってしまいかねないしな。よし、脳内の美奈フォルダに保存完了っと。



 体育の授業からは特に目ぼしい出来事もなく、平和に学園での一日が過ぎていった。一時間目にやらかした失態の汚名を返上すべく、今日は一段と授業に集中した甲斐もあってか、一時間目終了時のようにからかわれることもなかった。


 しかし失態についての罰まではなくならない。放課後になった今、俺は重い足取りで愛音先生のところへと向かった。

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