■第9話 先入観による誤解
夢の中では地獄を、その間現実にて天国をさまよっていた俺は、委員長の強烈なビンタによって無理矢理現実に意識を戻され、犯してしまった行為に気が付いた。
「委員長!? ご、ごめん!」
委員長のわがままボディをがっちり、それはもうがっちりと抱きしめていたけしからん腕を離し、慌てて自分の後ろへと持っていった。それにしても委員長の体は柔らかくて気持ちよかったな――ってそんなこと考えてる場合じゃない!
「う……うう……」
少年誌とかではよくありそうなシチュエーションだが、いざとなるとどうすればいいのか全然分からない。とりあえず泣きそうになっている委員長をなんとかしないと!
「な、泣くなって委員長! わざとじゃないんだ」
「ぐすっ」
やばい。高校生にもなって女の子を泣かせるなんて誰が見たって最悪だ。それもよりにもよって学園という公衆の面前で。
「おい能美」
意識の外より自分へと向けられた低い声に、泣きそうな委員長を宥めるのに必死だった俺は我にかえった。そして周囲に目を向けると、そこはまさかの授業中。しかも担任のドSセクシー女王様――愛音奈央(あいねなお)先生の授業の真っ最中でこんな失態を犯してしまっている惨状に、今さらながら気が付いた。
これはある意味さっき見た夢より恐怖を感じることになるかもしれない。どっちも死ぬレベルっていうのは一緒なのだが。
「私を無視するとはいい度胸だな、能美」
「す、すみません!」
あまりの事態に呆けてしまっていた俺に、氷のように冷たく、つららのような鋭さを持った低い声が突き刺さる。肝を冷やした俺は、咄嗟に謝罪の言葉を口にした。
「お前今が何の時間か分かっているのか?」
「授業中ということに今気付いて……本当にすみません! ちなみに無視はしてない――」
「ああん? 授業中に堂々と居眠りのうえ、私がいくら呼んでも起きなかった奴がよく言うじゃないか」
「…………」
先生の言葉から察するに、俺は授業中に居眠りをしていた挙句、先生の声も届かないほどに眠りこけていたらしい。そのうえ事故とはいえ、委員長を辱しめた俺に弁解の余地はないに等しい。
これは万事休すか……まともな言い訳もさっぱり思いつかない。またもや黙りこける俺を見かねたのか、先生は泣きべそをかいている委員長の元へ寄り添う。
「雛森、いやな役をさせてしまってすまなかったな。もう泣くな」
「せんせぇ……」
先程の低い声とは打って変わって、とても優しい声で宥める先生。ドSの女王様も、こうやって見ると母性の溢れる素晴らしい女性に見え、大人の女性とは本当に不思議だと感じさせられる。
「それでは能美、今回の所業についての言い訳を聞こうじゃないか。内容によっては見逃してやらんこともないぞ?」
と思ったら、教鞭を鞭のようにしならせながら俺のところへ先生がやってきた。どうやら俺に対して溢れるのは母性ではなくサドっ気しかないようだ。
「……実を言うと、昨日の夜は予習復習を頑張りすぎてちょっと寝不足で」
無茶を承知で、いい子ぶったテンプレート台詞で窮地を脱することが出来ないか試みた。自分で言っておいてなんだが、もうちょっとうまい言い訳はなかったものかと思う。
「ほほう、では黒板に書いてある問題を解いてみろ。今日から入った新しい部分だが――予習がバッチリならもちろん解けるよな?」
黒板に目を向けると、全く意味の分からない数式が書かれているのが目に入る。俺の知らない記号が混じっている為、解ける気が全くしない。
「どうした、早く解けほらっ! ほらっ!」
黒板の数式を見て氷のように固まっている俺に対し、先生は満面の笑みを浮かべながら容赦なく教鞭で何度も俺の尻を叩いてきた。
「痛い! 痛いです先生! やめて下さい!」
人の尻を笑いながら鞭で叩くその姿は、完全に大人の世界を支配している女王様そのものだった。教師による生徒への体罰問題などどこ吹く風。噂によると、叩かれている側が幸せそうに見える術を会得しているらしく、学園で堂々と鞭を振るっても問題にならないのだとか。
「そうか? 叩かれている割には気持ちよさそうな顔をしているではないか。ほらっ!」
「痛い! それは先生の勝手な思い込みです! こんなんで気持ちよくなれるのはドM野郎だけです!」
「ドMだろ? 違うのか?」
「違います!」
鞭で叩かれて喜ぶなんて、高砂店長じゃあるまいしあるわけないぜ……世の中にはMじゃない男もいるってことを教えてやりたいが、今はそれどころではない。この窮地を脱するのが先だ。
「予習復習なんて嘘です! 無駄な言い訳してすみませんでした! 自分の不注意で先生の授業中に居眠りしたうえ、委員長に嫌な思いをさせてしまいました! 大変申し訳ありません!」
見え見えの嘘の言い訳がバレ、みっともないことこの上ないが、これ以上事態を悪化させるのはもっとまずいと思い謝罪の言葉を叫んだ。というかこんなドS女王様のオーラに威圧されれば、誰だってたとえ悪いことをしていなくても勝手に謝罪してしまう。
「ふぅ。最初から無駄な抵抗をせず、素直に謝ればいいんだ」
「はい……すみません」
くそぅ。言い訳しろって言ったから言い訳したのに。
「では能美、罰として放課後職員室に来るように」
「え……でも放課後は――」
放課後は楓との約束がある。いくら何でも今日ばかりは……
「もし来なかった場合は、分かってるな?」
「行きます! 行かせていただきます!」
女王様オーラを出して脅迫してくるのは卑怯だと思う、うん。この女王様の言いつけを拒否出来る奴がいたならば、そいつはその後に待っているお仕置きを喜びと感じることの出来るドMだ。
それにしても、放課後先生に何をされるのかを考えると震えが止まらない。確か昨日もこんな感覚だった気がする。
一応言っておくが、俺はMではないのでこの震えは恐怖によるものだ。勘違いしないように。
「では能美、まずは雛森を保健室に連れていってやってくれ」
「え? 俺がですか?」
「お前が泣かせたんじゃないか。保健室できっちり謝ってこい」
「はい、分かりました」
謝罪をするきっかけを与えてくれたのはありがたいが、普通こういうのを泣かせた張本人に付き添いさせるかね……などと文句を言いたい気分はやまやまだが、言うとまた何をされるか分かったものではないので、大人しく従うことにした。
「それじゃいこうか、委員長」
「ふぇ? う、うん。ぐすっ」
クラス中に笑い者にされながら、俺は委員長を連れて教室を出た。まだ少し泣きべそをかいている女の子と授業中に廊下を歩くというのはなんとも気まずい。道行く教師に出会ったらなんと言われるか分かったものではない。
委員長との会話もないため、俺は保健室へ向かいながらLUNEのチャットで楓宛にメッセージを打ち込む。放課後遅れる旨のメッセージを書き終わり送信したところで、ちょうど保健室に辿り着いた。
「失礼しまーす」
保健室の扉を開け挨拶をするも返事がない。どうやら誰もいないようだ。
「ぐすっ」
委員長も、やっと落ち着いたのかほぼ泣き止んできていた。保健室には誰もいないし、謝るなら今がしかないと思った俺は、委員長の方に向き直り頭を下げる。
「委員長、さっきはすまなかった」
「あ、そんな……頭を上げてください」
「故意ではないといえ、本当にごめん」
「ぐすっ。もう大丈夫です、すみません」
委員長は泣き止み、大丈夫だということをアピールするかのような笑顔で俺を許してくれた。天使かこの子は。
「許してくれてありがとな。じゃあ俺は戻るから」
「え? あ、ちょっと――」
許してくれたとはいえ、泣かせた俺がいつまでも一緒じゃまずいよな。というか、誰もいない保健室に年頃の男女二人きりっていうのが気まずくてしょうがない。
俺は委員長に背を向け、保健室を出ようとした。
「能美君!」
保健室の扉に手をかけた途端、後ろから委員長に呼び止められた。心なしか、委員長が少し緊張しているような雰囲気を感じる。
「どうした?」
「えっと、私こそ泣いてしまってごめんなさい。びっくりしちゃって……」
委員長からの思いがけない謝罪の言葉。
「あ、いや元はといえば寝てた俺が悪いんだし、委員長は全然悪くないよ」
「でも、私のせいで皆の前で恥を……」
「そんなの大丈夫だって! どっちかって言うと、俺が委員長に詫びなきゃいけないくらいで……」
「…………」
委員長までもが謝りだし、二人の間に微妙な空気が流れる。なんだよ、なんとか言ってくれ!
「じゃ、じゃあ――」
少しの沈黙の後、この何とも言えない空気を破り、委員長が意を決して言葉を絞り出した。
「放課後、少し付き合ってもらっていいですか!?」
そして出てきた言葉は、またしても俺にとって都合の悪い言葉だった。こんな状況だし、本来ならすぐ了承したいところだが、今回ばかりはそうもいかない。
「あ、いや放課後は先生に呼ばれてるからちょっと……」
ただでさえ楓との約束があり、そして先生による放課後のお仕置きもある。そこからさらに用事を入れるのは、楓との約束を反古にしてしまう可能性が高い。心苦しいが、ここは断らせてほしい。
「その先生に呼ばれた件なんですけど、多分私の用事なんです」
「ん? どういうことだ?」
委員長の言葉の意味がすぐに理解出来ない。先生が言っていた罰とは、委員長絡みの用事ってことか?
「実は、使ってない教室の整理を愛音先生に頼まれていたんですが、私一人では荷が重くて困っていたんです」
「げ、何故にそんな重労働を一人で……」
「毎年恒例の新芸祭に向けて、だそうです」
新芸祭? 何だそれ?
「へぇー。それで、何で使ってない教室を整理するのが委員長なんだ?」
「愛音先生が言うには、毎年一年生のクラス委員長に任せている、とのことでした」
「ふーん。広い教室を一人で整理するのか?」
「元々はそのつもりだったんじゃないかな、と思います」
各授業の用意とかクラス関係の仕事なら分かるけど、クラスに関係ないことをクラスの委員長にさせるかフツー。
「それ、うまい具合に先生に騙されてるんじゃ……」
「え?」
「学校行事に関する仕事をクラスの委員長がやる必要ないだろ」
「うーん。言われてみれば、確かにそうかもですね」
こりゃ典型的なお人好しだな。おそらく愛音先生が委員長のお人好しにつけ込んで、面倒な仕事を押し付けたんだろう。
「委員長、人がいいから頼みやすいんだと思う。おかしいと思ったら断るのも大事だぞ」
「すみません……でも、すぐにおかしいと気付かない私はいったいどうすればいいんでしょうか?」
おいおい。ここまでくると、変な詐欺とかにあってないか心配になってくるレベルだな……
「そうだな――とにかく何事においても、まずは一旦疑ってかかるとか」
「疑う……」
「そう。いきなり何でも受け入れたり信じたりするんじゃなくて、まずはおかしいところがないかを疑ってかかるんだ」
「えーっと……じゃあさっき抱きしめられたのは、もしかしたら事故じゃなくて――」
やばい! もしかすると自分で墓穴を掘ってしまったのか!?
「あー! それは思い出さなくていいし、間違いなく事故だから信じて!」
「ふふ、すみません。冗談です、冗談」
「ほんとに?」
「はい、からかってしまってすみません」
もうすっかり泣き止んだ委員長は、友達に見せるような可愛らしい笑顔で冗談と答えた。今まで話すこともろくになく、いつも敬語で近寄りがたい印象があったけれど、実は結構おちゃめで可愛い、普通の女の子なのかもしれない。
「はは。なんだ、委員長って結構しゃべれんじゃん」
「え?」
「いつも一人でいるイメージがあったからさ、人付き合い苦手なのかなって勝手に思ってた」
昼休みはいつも自分の席で本を読んでいるし、積極的に誰かと一緒にいるようなところも見たことがない。こういっては何だが、人付き合いが苦手な人物という先入観があった。
「得意かどうかは分かりませんが、それほど苦手でもないと思います。私だって昔は友達と遊んだりしてましたし」
「へーっ。例えばどんなことを?」
「いつも四人くらいで集まって、結構本格的なおままごととか、テレビゲームとかやってましたね。ほんと昔、小さい時の話ですけど」
昔からインドア派だったんだなあ。テレビゲームはちょっと意外だけど。
「昔は――って今はどうなんだ? 友達」
「ご存知だとは思うんですが、私は親の都合で何度か転校をしているんです。今年の四月にこちらに戻ってきたので、転校生のイメージはあまりないかもしれませんが」
そういえば一学が始まってすぐに転校してきたものだから、あたかも最初からいるように感じていた。それでその数日後にクラス委員選挙があり、転校の話題、真面目な性格とあいまってクラス委員長に任命されたんだっけか。
「そっか。じゃあこっちにはまだ友達はいないのか」
「いえ、初等部の最初の頃はこっちにいたので、一応その頃の友達はいるはずなのですが……」
「はず?」
「名前や顔をはっきり覚えていないんです。まあ十年近く経っているので、お互い顔を見ても分からないかもしれないですが」
俺も小さい頃の記憶は曖昧だし、そんなものなのかもしれない。でも、いつも遊んでいたような友達ならきっと今でも仲良くしてもらえるだろうし、委員長には明るくいてもらいたいと思う。ならば――
「一緒に探そうぜ、その友達。委員長さえよければだが」
「え? でも……」
「委員長は笑ってるほうが可愛いよ。さっきみたいに楽しそうな笑顔でいるのが似合うと思う。だから探そうぜ、友達!」
急に委員長の顔が赤くなった。咄嗟に口から出た言葉だったけれど、今思うとかなり恥ずかしい台詞を口走ったんじゃないだろうか。
「ほんとに……いいんですか?」
「お、おう! 今日のお詫びのようなもんだと思ってくれれば」
「ありがとうございます! 本当に……嬉しい!」
名前も顔も分からない友達を探す方法など全然思いつかないが、今回の失態の汚名返上と共に、俺にとっても高校生になって初めてクラスメイトの友達が出来る気がした。
「じゃあ、これからよろしくな」
「はい……!」
突然始まった委員長の友達探し。何故かまた泣きそうになった委員長を落ち着かせ、そうこうしている内に授業の終わるチャイムが鳴り響いた。
「それじゃあ、俺そろそろ教室戻るわ。今日はほんとにすまなかった」
「いいえ、こちらこそお騒がせしました」
「それと放課後なんだが、ちょうど今日は妹とジョイパラに行く約束をしてるんだ。先生のいう罰が空き教室の整理だったら、委員長に頼まれた手前、もちろん手伝う。出来るだけ早く終わらせたいんだがいいか?」
「ありがとうございます! 女手ひとつじゃ難しいと思ってましたが、男手もあればすぐ終わると思うので大丈夫だと思います」
「よかった。じゃあ、委員長はここでゆっくり休んでくれ」
「分かりました。ではまた後でよろしくお願いします」
委員長に別れを告げ、保健室を出て教室に戻る。休み時間中の教室に戻るやいなや、先程俺を笑い者にしたクラスメイト達にからかわれることになったのは言うまでもない。
しかし、ただの一人だけ真剣な顔つきで俺の席にやってきた人物がいた。
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