■第7話 約束の朝
部屋に細かく鳴り響く電子音。目覚まし時計の指す時間は午前6時30分。今日も新たな一日が始まろうとしているが、昨夜の約束の内容が心配で体が重く感じ、起き上がる力が湧かない。
「お兄ちゃーん」
俺を起こす声が階下から聞こえる。重い体を無理矢理起こし、まずは部屋のカーテンを開け日光を体に受ける。空は雲一つない快晴。あんな約束さえなければ、すごく心地良い朝だっただろう。
「お兄ちゃん起きてー。朝ごはんできたよー」
再度楓がモーニングコールの如く俺を呼ぶ。あんな約束さえなければ、可愛い妹に起こしてもらえる幸せを存分に堪能できたことだろう。おっとそこ、俺がシスコンだという発言は控えてもらおうか。
「おーう! 今行くー!」
いつもはこんな風に起こしてくれることなど滅多にない。きっとそれほど今日の約束とやらを期待しているのだろう。
仮病でも使ってなんとか今日一日を誤魔化してやろうかという考えも頭をよぎったが、仮病がバレたら殺されるだけじゃすまなさそうなのでやめておく。とりあえず身支度を整え、俺は朝食を摂りにダイニングへと顔を出した。
「楓、おはよう」
「おはようお兄ちゃん。天気もいいし、いい朝だね」
「ああ。それじゃいただきます」
「いただきます」
俺は素っ気無い挨拶をし、そのまま楓が用意したトーストを口にする。あまり食欲の湧かない今日の朝食は、シンプルにバターを塗ったトーストを二枚にコーヒーとちょうどよい。いつもはもう少し色のある食事が多いのだが、もしかすると楓なりに、俺を案じて簡単な食事にしてくれたのかもしれない。
「お兄ちゃん、今日の約束だけど――」
「あ、ああ」
俺の朝食が終わるタイミングを見計らっていたのか、食べ終わったところで楓が約束の話を切り出す。とうとうきてしまった。ここまできたら腹をくくって言うことを聞くしかない。
「放課後、駅前のジョイパラに来てくれる?」
「……ジョイパラ?」
何を言われるかと身構えていたが、想像以上に何の変哲のない言葉が投げかけられた。てっきり家を出ていけだの、二度と美奈に関わるなだの言われると思ったが、杞憂だったのかもしれない。
「ジョイパラってあの、ジョイパラダイスっていうゲームセンターのことか?」
「うん、そうだよ」
「そんなところに行って何するんだ?」
「うーん、それはまだ秘密」
肝心の内容については伏せられたまま。何が出るかは行ってのお楽しみってことか。鬼が出るか蛇が出るか……
「分かった。放課後どこで待ち合わせる? 俺と一緒に行くんだろ?」
「ううん、あたしは一緒に行かない。というか行けない。」
楓が首を振って否定する。誘っておいて一緒に行かないとか、さっぱり楓の意図が読めずに不安がよぎる。
「え? 俺一人でジョイパラに行くのか?」
「うん」
「行ってどうすればいいんだ?」
「うーん。まあ、行けばきっと分かるよ!」
何をやらせたいのか全く想像出来ないが、約束だから従うことにする。従わなければ、きっと本や金庫の中身が無事では済まないことだろう。
「心配しなくてもいいって! お兄ちゃんが来る前には連絡するし、それにすぐあたし達も顔を出すから」
「あ、ああ。学園から直接向かえばいいのか?」
「それはお兄ちゃんに任せるけど、出来れば遅くなってほしくはないかなぁ。とりあえず午後7時前には到着しててほしいかも。」
「分かった。じゃあこれが昨日の約束の一件だからな? 終わったら没収したもの返してくれよ。一応借り物も含まれてるからさ」
「分かってるって!」
あたし達の達って何だろうと疑問を感じながらも、軽い朝の食事を済ませた俺は、食器を片付けた後に楓と共に玄関へ向かった。まだ全ては明らかになっていないが、約束の内容が最悪の方向ではなさそうだということで、足取りも軽くなった気がする。
「じゃあ行ってきま~す」
「誰に言ってんだ、誰に」
「別に? ただの挨拶みたいなものだよ。日頃からちゃんとしてないとお兄ちゃんみたいになっちゃうからねー」
「俺みたいって何だよ。んじゃ俺も行ってきまーすっと」
いちいち嫌味なツッコミをいれる妹だなと思いながらも、自分も妹を真似て無人の家中に挨拶をして家を出る。決して妹の前で点数を稼いだつもりではないぞ? 決してな。
家を出ると、隣の家の玄関からもタイミング良く美奈が出てきた。美奈もちょうど学園へ向かうところのようだ。
「おっ美奈! おはよう」
「おはよう美奈ちゃん!」
「おはよう柊、楓ちゃん」
門を出て、お互いの玄関先で美奈と出会い挨拶を交わす。昨日の件もあり、ちょっと無理に元気良く挨拶してみたのだが、美奈がいつもと同じ感じの挨拶を返してくれたことで、俺は少しばかり心の中で安堵することが出来た。
「美奈ちゃん、待たせてごめんね」
「ううん、大丈夫よ」
「なんだ、二人で待ち合わせてたのか?」
「まあ、そんなとこ」
そういえばいつもは美奈が先に学園に向かうのだが、どうやら今日は楓が一緒に行く約束をしたみたいだ。昨夜から二人はどうもLUNEでこそこそと話をしていたようだが、それに関係があるのかもしれない。
「あ、変な虫が一匹いるけど気にしないでね」
「そうね、いつも発情している虫は無視に限るわね」
酷い。虫扱いが酷いのはもちろんだが、朝っぱらからそのくだらないダジャレはもっと酷い。ツッコミを入れたい気分はやまやまだが、昨日の件もあって強く出ることが出来ない為、ここはぐっと堪える。
「美奈ちゃん、そのダジャレはちょ――」
俺の代わりのように楓が美奈にツッコミを入れるのも構わず、俺はいきなり切り出した。
「美奈! 楓! 昨日は本当にすまなかった!」
俺は改めて二人に深々と頭を下げ真面目に謝罪した。二人にどうすればいいかを考えた挙句、俺の中で出た答えは、やはりまずは謝罪をするべきだと思ったからだ。突然の真面目な謝罪が意外だったのか、俺を虫扱いしてからかった二人は、おちゃらけた雰囲気から立ち戻って少しばつが悪そうな顔で俺を見る。
「俺がもうちょっと人の事考えて行動しなきゃいけなかった。美奈や楓に嫌な思いさせたことですげー自己嫌悪になってさ。美奈や楓がいない人生考えたら、寝る時にちょっと涙が出ちまった」
楓にゲームで負けて部屋に戻った後、美奈や楓とのこれからのことを考えた。気がつくと、恥ずかしいことに俺は涙で枕を濡らしてしまっていた。その時改めて幼馴染の美奈や、今の家ではたった一人の家族である楓がすごく大切であったことを、俺は否が応でも実感させられた。
「虫がいい話だとは思ってる。けれど許してほしい。いや今までのように戻りたいというのが俺の本音だ。俺に出来ることがあれば何でもする! この通りだ!」
俺は幼馴染と妹の前で、もう一度深々と頭を下げて謝罪をした。昨日の失態によるマイナスのイメージを払拭して元に戻りたい、これ以上二人との関係を悪くしたくないことで必死だった。
「…………」
俺の必死の謝罪を黙って見ていた二人は、お互いの顔を見合わせた後に俺の方を向いた。そしてしばらくして二人は――
「あははは! お兄ちゃん、熱でもあるんじゃないの?」
ダムが決壊したかのように笑い出しやがった。朝の住宅街に響き渡るような大きな声で。
「こら楓ちゃん! 柊が真剣に謝ってるのにそんなに笑ったら――ふふふっ。ははははっ!」
楓はいつものようにおどけてからかってくる。美奈にいたっては、楓が俺をからかうのを止めようとしているように見えたが、どちらかと言えば美奈の方が大きく笑っていた。人が真剣に謝っているのにこの二人ときたら……しかし幼馴染揃っての時に二人のこんな笑顔を見たのは、随分と久しぶりかもしれない。
「とりあえずお兄ちゃん。あたしも美奈ちゃんももう怒ってないから安心して。それにもう、約束の件でチャラにしてあげるって言ったじゃん」
「約束の件って……約束に美奈は関係ないんじゃないのか?」
約束を受けることについてはゲームに負けた罰だからだと思っていたが、その約束を受けることで昨日の失態をも許してくれるということなのだろうか?
「美奈ちゃんにもちゃんと約束に至る経緯は伝えたし、その上でもう許してくれてると思うから安心してお兄ちゃん」
「ほんとに……本当に許してくれるのか?」
「しつこいよお兄ちゃん! そんなにあたしが信じられないの?」
「ありがとう、楓ぇ! お前はほんといい妹だぁ!」
「お兄ちゃん!? な、泣かないでよ。ね?」
我ながらなんていい妹を持っているもんだと感激し、楓によよよと泣くつくように大声で礼を言う。楓は少し照れたのか、頬を赤く染めつつ俺に小声で囁きながら、恥ずかしげに慰めてくれた。ああ、我が妹は可愛いなあ! これについてだけは誰の異論も認めない!
「もう、お兄ちゃんったら。それじゃ、美奈ちゃんも許してあげるってことでいい?」
ちょっと明るくなれたのも束の間、またしても心配になる話題が美奈へと振られた。楓に許され少し高まった気持ちを鎮め、天に祈る。神様美奈様楓様、どうか御慈悲を……
「そうね。まあこれだけ謝られて許さなかったら私が鬼みたいだし、しょうがないから許してあげましょうか」
「美奈ちゃんやっさし~!」
「だからもう、そんな顔してないで早く学園へ行きましょう。そろそろ向かわないと遅刻しちゃうわよ、二人共」
「美奈……ありがとう!」
美奈にお許しをもらい、感動のあまりに俺は礼を言いながら美奈に飛びついた。そうせざるにはいられなかった。
「あっ、美奈ちゃんちょっとちょっと。」
「うん?」
楓が美奈を呼び、こそこそと何かを耳打ちする。ちょうど飛びついた瞬間に美奈が楓の耳元に寄っていった為、俺は空を切ってそばにあった電柱におもいきり体当たり。すげー痛い……
「あのね、今日のアレだけど――」
もの凄い音と共に電柱にぶつかったって言うのに、構わず二人は内緒話を続ける。音で絶対気付いてる筈なのに心配しようともしないこの態度は、さすが俺の妹と幼馴染なだけはある。
「うん。あ、そうなんだ。じゃあ――」
「いててて。ひどいぜ美奈」
二人は内緒話を続けながら、俺が持ち直すのも待たずに学園に向かって歩き出した。
「っておい! 待ってくれよ!」
さっきまでの謝罪は何だったのかと言わんばかりに俺を無視して進んでいく二人。本当に許してくれたのだろうかと疑問を抱きつつも、俺は二人を追いつつ学園に向かった。
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