睡魔

宿を出て歩くこと数十分、まだ浅いとは言え日差しが少しずつ強くなってきているのが良く分かる。

建造物がつくり出す影の黒は次第に濃くなり、肌寒い気温もそれに比例するかの如く上昇して行く。

午前中の太陽の動きはどうしてか早く感じるけれど、これはわたしだけでは無いと思いたい。

そんな他愛の無いことに思考を巡らせつつ、目の前で相変わらず気だるそうに歩を進めている死闇さんを見つめてみる。

宿を出た頃には既にフードを被ってしまっているのであの愛らしい猫耳はまたしばらく目にすることが出来なさそうだ。

目を凝らすとフードが微妙にふにふにと動いているのが見て取れるだけに、余計残念である。

それにしても一体何処へと向かっているのだろうか?

依頼先だということはわかっているけれど、それが何処なのか、何で移動するのか、わたしは一切知らされていない。

魔界にも人間界の技術を見様見真似で作られたという列車や車と呼ばれる乗り物は存在している。

元々科学という概念が存在しなかった魔界で作られたものは、全体的に人間界のものよりつくりが古いらしいけれど魔力を使わず楽に移動できるため重宝されている。

もし長距離を移動するのなら列車あたりを利用すると思うのだけれど。

それに、今歩いてる道も駅へと繋がっている道だ。


「伽耶」

「ふぇ?は、はい、なんでしょう?」


前を行く死闇さんが突然、振り向くことも無く声を掛けてきた。


「もうそろそろ駅に着くんだけどよ、列車に乗ったら目的の駅に着くまで1時間程度かかるんだわ、だから列車に乗る前に飲み物くらいは買って行こうぜ」

「そうですね、少し喉も乾いてきましたし、あったほうが嬉しいです」

「決定、んじゃ駅に着いたらそのまま売店にでも寄るか」

「はいっ」


想像通り、列車で移動するようだ。

列車で1時間の移動、遠い、と言う程でも無いと思うが久しぶりの遠出だ、仕事のためだったとしても少し楽しみにしてしまう。

昨日から不安と期待の間で揺れに揺れているけれど不安しか無いよりは幾分かマシだろう。

それから数分歩いていると視界に目的の駅が入ってきた。大きいわけでもなく小さいわけでもない、中くらいの駅だ。良くも悪くも普通と言うべきか。

その駅の裏にあるホームは雨除けの屋根がついているだけで外に剥き出しになっている。お父さんに連れられて何度か来たことがあるため覚えている。


「さて、着いたな、売店売店っと」

「時間、大丈夫ですか?」

「んーと、ああ、あと15分あるな、問題ない」

「それなら、先に切符を買っちゃったほうが少し落ち着いて売店を見れる気がします」

「それもそうだな、そうしよう」


券売機は駅に入ってすぐの左手に設置されている。そこで切符を買う時わたしは初めてこれから行く場所を知ることが出来た。

今いるこの街から数キロ東へ向かったところにある街だ。木の伐採が依頼内容なだけあってこの街よりも林や森が多かった気がする。


「この街は……」

「なんだ、行ったことあんのか?」

「ええ、この近辺であればお父さんに良く連れ歩かれてましたから、今回降りる駅は昔降りた駅とは違うみたいですけど」

「あいつそんなことしてたのか」

「娘が出来たら一緒に色んなとこ行きたかったんだよなあって言いながらはりきってましたから、かなり連れまわされました、はい」

「あー、想像付くかも」

「ふふ、この話をすると皆そう言います」

「親父は女の子にゃ甘いからな、それが娘となるとそりゃそうなるわ、っと、売店見ようぜ」

「はい、そうしましょう」


売店は切符売り場とは反対側に開かれていて、中に入るとちょっとしたコンビニの様になっている。

今必要なのは飲み物と、ええと、お菓子とかはどうしよう。列車での移動だけでも1時間あるのなら会話しながら何か食べれたほうがいいのだろうか。

ちらっとお菓子売り場を見てみるとおいしそうなチョコレートやクッキーが目に入る、嗚呼、個人的に食べたいかもしれない。


「どうした?」

「あ、いえ、お菓子とかも買って置いた方がいいのかなあ、なんて思いまして……」

「食べたいのか?」

「……はい」

「んじゃ買ってやるよ、適当に持って来い、というか俺も買う」

「いいんですか?じゃあ選びましょうっ」

「嬉しそうだなおい、高い物じゃないしどうせ仕事と移動を繰り返すんだ。日持ちさえすりゃ少しくらい余分なもの買っても問題ないから何かあれば言ってくれ」

「わかりました、ありがとうございますっ、ふふ、何を買おう……」

「迷いすぎて時間無くしたりはすんなよ」

「はいっ」


死闇さんから許可を貰い適当に飲み物を2本程度取ってからお菓子を見てみる。

それに続いて死闇さんも数本飲み物を取ってからわたしの横でお菓子売り場を眺めている。

何を買うか少し迷ってしまうけれど、ホームから列車が来たであろう音が聞こえた。

長時間悩める程に時間は残っていないようだ、どうしようか。


「うーん、チョコにクッキーにグミ、迷います……」

「俺これにするわ、チョコチップクッキー」

「あ、それならわたしはアーモンドチョコとグミにしておきます」

「他には何かあるか?」

「えーと、特にありませんね」

「よし、会計済ませてホームに行きますか」

「そうですね」


欲しかったお菓子を全て購入できてしまった。

レジ袋をトランクと一緒に持ち、ちょっぴりほくほく気分で売店を出てホームへ向かうと既に列車が駅に着いていた。

と言ってもついさっき列車が来る音を売店の中で聞いたばかりなので知っていたけれど。

時刻は7時55分を指している、列車がこの駅を出る5分前だ。


「丁度いい時間ですね」

「だな、乗ろうか」


列車の内装は木製で、二人掛けの椅子が進行方向へ向けて左右にいくつか等間隔に備え付けられているものだった。

必要であればくるりと回転させて前後を向かい合わせにすることもできる。今回その必要はないだろうけれど。

わたしは死闇さんの後ろに付いて、乗った車両の後方へと進む。


「このへんでいいか、窓際のほうが良かったりするか?景色でも見るならだけど」

「え?はい、外の景色見ていたいです」

「そうか、じゃあ先に座れ」

「ありがとうございます」


死闇さんに促されてわたしは列車の正面から見て左側の窓際にある席に座ることになった。外を見ても駅に視界を遮られない位置だ。窓から見える景色はまだ見慣れた風景のまま変わらない。

前の席との間隔が広く取られていたのでトランクは正面に立てておく。その隣に死闇さんがフードを脱ぎながらゆっくりと腰を下ろした。


「あ、フード脱ぐんですね」

「んあ?仕事中以外は屋内にいる間は基本脱いでるぞ、外は眩しいから常時被ってるだけで」

「そうだったんですか、てっきり猫耳を隠していたいのかと」

「猫耳以前に獣耳なんて魔界じゃ珍しいものじゃないんだし隠す必要は無いだろう。とは言え死神で猫耳は珍しいけど」

「珍しいものなんですか?じゃあ死闇さんの猫耳はレアものなんですね」

「そうなるな、知ってる中でも一人しか猫耳の死神なんていないわ」

「いるんですか!会ってみたいです!」

「目を光らせるな、俺と良く遊んでるしそのうち会えるんじゃねーかな、女の子だし話も合う……いや、あいつはどうなんだろう……」

「死闇さんと猫耳の女の子が一緒に遊ぶのを見れるだけでも十分ですよ、想像しただけでかわいらしい光景ですしっ!」

「お前本当猫耳好きだな」

「えへへ、猫そのものが好きですから」


隣でたまにピコピコと小さく動くふわふわの猫耳を見つめていると列車がゆっくりと動き始めるのを感じた。

ふと外を見ると窓の景色も少しずつ後ろへと向かって流れて行く。

魔界の住人にとってはまだ早い時間のためか乗客はまばらと言うよりも、ひとつの車両に一人二人乗っていれば良いほうだ。

わたし達が乗っている車両にはわたしと死闇さん以外誰も乗っていない、他の駅に停車する予定も無いため静かな移動になりそうだ。


「これから1時間どうしましょうか?」

「そうだなあ、まあまあ時間あるよな1時間って」

「とりあえずさっき買ったお菓子でも食べますか?」

「ん、そうする」

「どれを食べましょうか、わたしはどれでも良いですよ」

「じゃあチョコ食べる」

「わかりました、今開けますね」


袋から箱を取り出して包装を開けると、チョコレートの甘い匂いが周囲に広がる。

それを隣にいる死闇さんへと向ける。


「はい、どうぞ」

「さんきゅ、それにしても本当に片手でなんでも器用にできるもんだな」

「出来ないと不便なことの方が多かったですから、色々練習したんですよ、口や脚、羽根も使えば大抵のことはできます」

「それだけ努力したってことだろ。偉いと思うが」

「そうでしょうか?ふふ、嬉しいです」

「そいつは良かった、ひとつ貰うぞ」


そう言ってひょいっと丸いチョコレートを手に取って口に入れる。するとすぐにアーモンドを噛み砕く音が聞こえてきた。

色々食べたいけれど下手に他のお菓子を開いても邪魔になりそうなのでやめておこう。

箱を自分の膝の上に乗せてから、わたしも一粒口に含む。口の中で溶ける甘いチョコレートの風味、多少の緊張であればこれで和らげることができそうだ。


「ん、甘くておいしい」

「移動中とかに食べるといつもより美味しいよな」

「気分の問題って言うだけなんでしょうけど、なんだか良いですよねこうゆうの」

「ああ、俺も好きだ」


車内を包むとても普通で何の変哲もない和やかな雰囲気、これが仕事の関係しない普通の旅行であれば良かったのに。

死闇さんに預けられている30日間、ずっと慣れない仕事ばかりすることになると思うと流石に憂鬱になる。

なによりわたしは昨日だけですっかり彼に懐いてしまい、一緒にいることが不満だなんてことは無いため尚更残念だ。

正直ここまで懐いてしまうとも思っていなかったのだし。

チョコレートを口に含んだまま眺める外の景色は、既に加速しきった列車の動きに合わせて高速で流されている。

過ぎて行く景色と一緒にこの憂鬱な気分もどこかに流されてしまえば良いのに。

このあたりまで考えたところでわたしはその思考を停止させた。

もう既に決まってしまっていることだというのにそれを移動中にまで悩んでいては本当に埒が明かない、もう少し前向きに行こう。

そうだ、せっかくだし今朝思いついた洋服の袖の話をしてみよう。


「あの、死闇さん、ってあれ?」


気分を変えるために会話をしようと首を隣へ向けると、死闇さんはどうやら眠っているようだ。下を向いたままぴくりともしない。

それにしてもこの短時間で眠れてしまうものなのだろうか、ついさっきまで起きていたと思うのだけれど。

いや、朝のあの雰囲気を思い出してみるとありえなくもない、むしろ眠っていて当然なのかもしれないとまで感じてしまう。

とりあえず本当に眠ってしまったのか確認だけしてみよう。


「寝ちゃいましたか?死闇さん?」


小さな声で問いかけつつ下から顔を覗き込んでみる。

顔の右半分を全て隠す長い前髪から覗いているのは子供みたいな寝顔、完璧に眠ってる。


「あはは、完璧に眠っちゃってる……」


特に急ぎの用事があるわけでもないのに起こしてしまうのは悪いだろう。このまま眠らせておこう。

わたしの洋服の話はまた暇なときにでもさせて貰えばいい。


「死闇さんが眠ってるのは良いとして、何もすること無くなっちゃったな、どうしよう」


悩むのをやめるために声を掛けたはずが、別の理由で悩むことになってしまった。

一瞬一緒に眠ろうと思ったけれど二人とも目的の駅を寝過ごしてしまっては元も子もない、わたしは眠らないでおこう。

時間は駅を出てからまだ数分と言ったところだろうか、外を眺めても景色にあまり大きな変化は無い。

またこのまま何かに思考を巡らせてしまっては気分が憂鬱になる一方だろうと思い、わたしはしばらく無心で静かに過ごすことにした。

もし暇ができたらお願いして、移動中に読むための本でも買わせて貰うことにしよう。

そう思いつつ、何もすることの無いわたしは静かに瞳を閉じた。

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