始点

無心で目を瞑ったまま数十分、たまにお菓子をつまんだり、飲み物を口にしたりはしているが何もしていないと時間の流れはとても遅く感じる。

せめてこの隣で安らかに眠っている猫耳が目を覚ましてくれるというのなら話は別なのだけれども。


「全く起きる気配がしない……」


起きてほしいと願いながらその隣に目をやり、時折小さく動く猫耳を見つめていると恐らくその願いは目的地に着くまで叶わないものなのだろうと悟る。

そもそも今朝目を覚ますだけでもあれだけ苦労したのだし、今起こそうとしてもきっと無理があるだろう。

だからと言って昨夜のように猫耳を触ろうというつもりにもならない。何故だかそれだけは触れる直前に目を覚ましそうな気がする。いや、覚ます、確実に。


「だいぶ時間がたったけど、まだ掛かるのかなあ」


目的地までの所要時間は覚えているが、生憎わたしは時計なんていう便利なものは持ち歩いていない。

遠くへと外出すること自体が稀であるし、何より時間を気にして行動しなければいけない程忙しいお店でも無かったのだ。

まさか突然旅に出ることになってしまうだなんて夢にも思っていなかったのだし、仕方のないことではあるのかもしれないけれど……。


「本を買うときついでに懐中時計も見せてもらおう。首にかけれるかわいいやつを」


仕事で色々なところを回ることになるのであれば、恐らく今みたいに時計が無くて困ってしまうことも少なからずあるだろう。用意しておいて損はない。

こうしてとりとめもない物事に思考を回しているとふと、猫耳越しの窓から懐かしいような哀しいような。わたしの持っている言葉では言い表すことの難しい不思議な気配を感じた。


「――おい」


気配に釣られ視界に窓の外を映そうとしたその瞬間、眼下の猫耳から声が上がる。

正確には先ほどまで安らかに眠っていた死闇さんなのだが俯かれ、自然とこちらが彼の頭を見下ろす形になってしまうと猫耳しか見えなくなるので猫耳で良い。


「は、はひっ?」


特に何か悪いことをしようとしていたわけではないのだが、いきなりのことに声が上ずってしまった。


「もう少しで目的地だ。降りる準備をしておけ。あといつまで耳を見てるつもりだ?」

「あ、す、すみません。相変わらずぴこぴこ動いてるのがかわいくてつい」

「んー、まあいい。忘れ物するなよ。取りに戻るのめんどくせえんだ」

「わかりました、後で気づいて戻ることにならないよう気を付けますね」


――あれ?わたしは今何をしようとしていたんだっけ。

悲しきかな。普段から滅多に使うことのない頭をこの二日間でフルに回転させていたせいで記憶力が失われつつあるらしい。

とはいえ大切なことであればそうそう忘れるものでもないし、大したことのないものだったのかもしれない。

決してわたしが鳥頭だからだなんてそんなことはない。鳥脚ではあるけれど。


「まあ、いっか。降りる準備しないと」


その後も電車を降りるまでに何度か思い出そうとしてみるも全く記憶の鍵が開く様子は無く、完全に忘却の彼方へと飛んで行ってしまっていることを自覚するだけに終わった。


「んーあ。長時間電車に揺られてるだけっていうのも疲れるな」

「死闇さんは最初から最後まで眠っていたじゃないですか」

「それが疲れるんだよ。眠ってても落ち着かないしな」

「じゃあ起きてて下さいよお。わたしひとりでずっと起きてるのも大変だったんですよ?」

「俺が起きてたところで何にもならないだろ」

「わたしのお話相手ができます。これから一緒にいることになるのなら相談したいことや聞きたいことたくさんあるんですからね」

「なんだ、電車降りてからやけに饒舌だな」

「死闇さんが眠っている間暇だったぶんのお喋りです。それに色々と考えた結果死闇さんと一緒にいること自体は嫌ではないというか猫耳を見つめていられるだけでも幸せなので楽しもうと思いまして」

「結局猫耳かよ……はいはい。んじゃあそれなら次からは考えといてやるよ。その前にまずは仕事だ。わかったか?」

「ふふ、はいっ。よろしくお願いします。これからは今まで以上にお話しさせてもらいますからね」

「勝手にどーぞ」


電車を降り、昨日よりも少し、というには弾みすぎているくらいの会話をしながらまばらに人が出入りする駅を出る。

目的地についてからようやく多くの人達が行動を始める時間になったようだ。多少田舎の街であっても風景には多くの人が溶け込んでいた。

周囲を見渡すと家屋よりも自然が多く視界に入る。風が吹けば木々が揺れ、歌い出す。

明るく爽やかな日が花々を差し照らす街道を二人で雑談を交えつつ目的地へと向けて歩を進める。


「ええと、最初のお仕事は資材にするための木の伐採。でしたっけ?」

「ああ、そうだ。流石に刃があるんだ。木材くらいは切断できるだろう。というよりも切れなくてどうする」

「そうなんですけれど、そうじゃなくて」

「なんだ?」

「木材も、その次の鉄骨の切断も、どっちも専門の人がやるようなことなんじゃないのかなと思ってですね」

「そりゃそうだ。こんな依頼普通の死神には回ってこないしやる必要もねえよ」

「え?じゃあどうして死闇さんがそれを……」

「俺が普通の死神じゃないからだ」

「答えになっていそうでなっていません」

「冗談、というわけでもなく普通じゃないのは紛れもない事実だが。この依頼はちょっと特殊でな」

「特殊、と言いますと?」

「両方とも大きな木材や鉄材を切断して細かくさえすれば良いだけで形や見た目を気にする必要が無いんだ。綺麗にこしたことはないけれど歪なら歪で構わないくらいの。最悪これの依頼主が自分たちで適当やっても変わらないんじゃないかね」

「んーと、でもそれと一体どんな関係が?自分たちでやれるなら余計にわたしたちには関係ないような……」

「自分たちでやると時間が掛かるだろう?そして専門の業者等に依頼すると内容とは釣り合わない高額になる。そこでこの類の依頼は『武器の試し切り』とかのついでに行ってほしいということで死神に限らずあらゆる方面に安値で依頼されてるんだ。こちらとしては相手を気にせず好きなように試し切りが出来るし相手としては安く時間を掛けずに目的を果たすことができる。どちらにとってもメリットが大きい効率的な仕事だ」

「ほえ、なるほど。上手にできているんですね。そんなこと考えもしなかったです」

「お前の親父が作った武器もこれと同じような依頼の世話になってると思うがな」

「確かに、そうかもしれないですね」

「今回世話になるのはお前自身だけどな」

「そ、そうですね。頑張ります」

「あー、とりあえず初日なんだ。力まず適当にやろうぜ」

「力まず適当に……はいっ」


昨日と同じ彼の右斜め後ろ。だけれど昨日よりも少し近づいた距離。

何故だかこの立ち位置にいることがとても落ち着き、緊張していた身体から力が抜けていく。

お店の中に入ってきたあの時の息が詰まるような、むしろ本当に呼吸を止められてしまいそうなほど強い血の香水を纏っていた者と同一人物だなんて想像もできないくらいに。


「死闇さんは不思議ですよね」

「あ?なんだよ突然」

「言葉通りの意味です。昨日と今日で別人と言えるほどに雰囲気が違いますし、それに何を考えてるのかも全く見当が付かないんですよ。とーっても不思議じゃないですか?」

「本人に聞くな本人に。お前が鈍いだけだろう」

「え、なんですかそれひどくないですか。わたしが馬鹿だとでも言いたいんですか」

「馬鹿ではなくとも鳥頭には違いないだろ」

「鳥脚ではあっても鳥頭なんかじゃないですよお!」

「上か下かだけの違いなんて大したことない気にするな」

「とっても重要ですよ。それすーっごく重要ですよ?!」

「はいはい落ち着け落ち着け。俺は昔『お前ほどわかりやすい動物も他にいない』ってどこかの誰かさんに言われたことがあってな。どうやら理性のある生物として見るよりも常識も言葉も通じない野生動物として見たほうが俺のことは理解しやすいらしい」

「それって大丈夫なんですか?わたしのこと鳥頭なんて言っていて大丈夫なんですか?」

「うるせえ残りの羽根手羽先にして喰っちまうぞ」

「それはだめですやめてくださいせめて丸焼きにしてください」

「食べごろの部位はどこだ」

「た、たぶん太腿……?」

「お前の太腿なんて大体骨と皮じゃん鳥脚だって自分で言ってたよな頑張ってもメインディッシュにはなりにくいじゃねえか」

「仮においしいところ教えたとして本当に食べられちゃったら嫌じゃないですか」

「自分のおいしいところわかるのかよ」

「わかりませんわかったらこわいです。それに太腿まではふつうの柔らかいお肉ですよ!」

「ですよねーって、え、まじで?」

「はい、膝下あたりからが鳥です」

「おうふ初耳、そりゃそうか、見たことないもんな」

「見てたら覗きですからね?!」

「あっは、流石にしねえよ」


くすくす。と小さな笑いを零しながら彼は視線だけをこちらに向ける。

その横顔はやはりどこか幼い子供のようで、どうしてもそれを昨日の彼と脳内で一致させることができず、野生動物として見る。と言われてもいまいち納得がいかない。


「それにしても本当に今日はやたらと喋るよな」

「嫌、でしたか?」

「黙られるよりはやりやすいからそこは問題ない、ただいきなりすぎて驚いてるだけだ」

「お父さんといるときも、わたしはこんな感じですよ」

「つまりこれが通常運転ってことか、理解した」

「理解までの流れはやくないですか」

「事実は事実、現実は現実、それを受け入れるだけだ」

「とても堅実な考え方ですね」

「これが一番手っ取り早い、効率的なんだよ」

「それもそうかもしれないですね。なんだか納得です」

「おわかりいただけたか」

「おわかりいただけました」

「ん、良い子だ。さてと、そろそろ目的地だぜ」


あれ?今しれっとわたし褒められた?

どうしてこの人はこうも滑らかに人を称賛する言葉を差し込むことができるのか。

これだけに限らず彼の言葉の全てはまるで思っていることを、考えていることをそっくりそのまま口に出しているかの如く綺麗に並べられる。

わたしにはそんなことできないかもしれない。思考をそのまま口に出すだなんて難しすぎる。


「おい、聞こえてるのか?目的地に着くぞって」

「え?あっ、はい、聞こえてます」

「今は構わないが仕事中にはぼーっとするなよ。怪我しちまう」

「はい、気を付けますね。ところで目的地というのは……」

「この道の先に見えてるあの小さい小屋がある伐採所だ。その裏にある森みたいになってる林にある木は特殊でいくら切断しても数日で回復するから好きなだけ切断して良いことになってる」


軽く指を指す方向にはここまでよりも家屋が減り、さらに自然の香りが強くなっている真っすぐな道と。その奥にはこぢんまりとした古めかしい小屋、そしてフェンスで隔てられた林への入り口が存在している。


「森みたいな林の木って少しずつ弱体化してるみたいですね」

「文字にしなきゃわかりにくいことに気がついてるんじゃねえよ」

「えへへ、すみません。数日で回復するということは、魔力で育成してるんでしょうか?」

「ああ、そうゆうことだな。全く便利な話だ。人間界じゃそんなことできたもんじゃないのに」

「人間界で同じことしたらすぐに話題になっちゃうんですよね確か」

「ああ、非科学的なことは怪奇現象でしかないからな。仕方ないことではあるがこっちとしてはかなり面倒だ」

「不便なんですねえ」

「そりゃあな。さってと、到着だ。初のお仕事開始しますか」

「はい、頑張ります!」


これからここで、こぢんまりとはしているけど。地味だけれど。今にも崩れそうだけれど。この小屋の付近でわたしの武器としての初仕事がはじまる。昨日から感じていた不安は彼と過ごしている内に時間を掛けて和らいでいき、今では少しわくわくしている自分がいることに多少驚いた。


――不思議な猫耳死神との武器生活が、はじまりを告げる。

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