初日

「ん……んぅ」


朝、大凡決まった時間になると身体が自動的に目を覚ます。

お父さんのお店でお手伝いを始めてから既に起床時間が身体に習慣付けられているおかげだ。相当夜更かしをしたとき以外に寝坊をしたことは無い。

ゆっくりと、まだ少し重たい瞼を開き、死闇さんがいるであろう窓際のベッドへ身体ごと目を向ける。

やはりまだ眠っているようだ。布団から飛び出しているそっぽを向いたままの猫耳がカーテンを貫通して薄く差し込む光に照らされている。

そんな彼を起こさないよう、ゆっくりとベッドから降り、そのままそろりそろりと忍び足で反対側へと回り込む。

決して寝顔が気になるわけではない。死闇さんを驚かせないように起こすため、こうしているのだ。

すうっと、音を立てずに覗き込んでみると毛布で顔が隠れてしまっていた。


「……起こすため、起こすため、だから」


そう自分に言い聞かせ被っている毛布をするっと首下まで下げる。するとなんということでしょう。

くすぐったそうにぴこぴこと動く猫耳と一緒にすこやかな寝顔が出てきたではないですか。

これはもうしばらく見ていたいかもしれない。とはいえいつ行動を始めるのかもわからない。あまり眠らせておくわけにもいかないだろう。

遅いよりは、早く起こしてしまったほうが良い気がする。


「死闇さーん、朝です、朝ですよー?」

「んにゅぅ……」


大きめの声で呼びかけてみると、ふにゃっふにゃの寝言が返ってきた。


「あら?ふふ、かわいい……じゃなかった、起きてくださーい!」

「ん、にゃ、ぁ……?」


ゆっくりと薄目が開かれる。


「起きましたか?朝、ですよ」

「はぅ、んーっ……!ふぅ、おあよ……」


まだ少し寝ぼけているようだけれど、どうやら目を覚ましたようだ。

ぐーっと伸びをしてから、小さく呂律の回っていない挨拶を返される。

それとなく想像はついていたが、死闇さんは朝に弱いらしい。


「ほら、ベッドから出て、準備しましょう?」

「ん……」


元々気だるそうではあったけれど、もそもそと毛布から出てくるその姿はそれがさらに際立っていた。

今にもふらりと倒れてしまいそうなほどに全身の力が抜けているように見える。

そのあまりにも不安定な足取りに、洗面所まで付き添う以外の選択肢が見当たらなかった。

流石に顔さえ洗えばはっきりと目を覚ましてくれるだろう。


「転ばないように気をつけてくださいね」

「んー」


優しく肩を支え、なんとか洗面所まで連れて行く。

本来ならば出会って二日目の相手にこんなことはしていないだろう。

しかし、何故かこの人に手を掛けるのは不思議と嫌では無い。むしろ掛けさせて頂きたくなる。

前日のことやお父さんのこともあるのだろうけれど、それだけでは無い気がする。死闇さんが時々漂わせるその子供っぽさもひとつの要因なのだろうか?

何と言うか、どうにも放っておけない。


「はい、死闇さん、お顔洗いましょうね」

「あーい」

「ああっ、目はあまり擦っちゃだめですよ?」


ごしごしと目をこするその姿は、子供みたい、では無くとうとう子供そのものに見えてきてしまった。

見た目はわたしと同じ人間で言うところの20代に見えるけれど、実際は何年生きているのだろう?

人間と違い、数十年数百年単位の寿命を持つ魔界の住人の年齢は認識がとても曖昧だ。種族等の要因によっても変化するため外見は当てにならない。

そんなことを考えていると死闇さんはぱしゃぱしゃと顔を洗い始めていた。


「っはあ、起きた」

「やっぱり今まで寝ていたんですね?!」

「ああ、まあ、眠いし、とりあえずおはよう」

「あ、はい、おはようございます、死闇さん」


どこまでも、自由なお人だ。

死闇さんが顔を洗い終え、隣で歯磨きを始めたのを確認してからわたしも続いて顔を洗い始める。

程よく冷たい水が顔を濡らす。既に目を覚ましていたとは言え顔を洗うとやはりすっきりして気持ちが切り替わる。

そのまま歯ブラシを咥えぼーっと歯磨きを続けていると、いつのまにか歯磨きを終えていた死闇さんは髪の毛と猫耳を直し始めていた。猫耳のもふもふも直すものなのですね。


「よしっと、俺先に部屋に戻ってるわ」

「ふぁい、わかひまひた」


反射的に歯ブラシを咥えたまま返事をしてしまう。少しお行儀が悪かったな、と後悔する。

さて、とりあえずわたしも早いところ髪の毛を整えてしまおう。

しっかり歯全体を磨いてから口の中を洗い流す、あとは髪の毛に櫛を通すだけだ。

幸い、髪を整えるためのブラシは櫛と一緒に置かれていたので、翼もついでにブラッシングしてしまう。


「これで大丈夫、かな」


髪の毛はさらさらとしていてどこも絡まっていない。翼についていたほこりも概ね取り除けただろう。

そして、せっかく梳かした髪ではあるけれどこのままでは翼に引っかかってしまうので、就寝時以外はいつも身に付けているマフラーに丸め込む。マフラーは予め脱衣所に掛けておいたのだ。

毎回こうして髪の毛が引っかからないようにしているけれど、他の翼のある種族はどうやって長い髪を翼に掛からないようにしているのか、気になるところではある。

しかし、今一番気になることは……。


「死闇さんの武器、かあ。最初は何をするのかな……」


死闇さんの武器として生活する初日、何をするつもりなのかとても気になる。

武器として役に立ちたいけれど戦闘するのは怖い、元々矛盾していたのもあり、どうしても期待より不安の方が大きい。突然戦闘と言われても身体が動いてくれるかわからない。

というのも、魔力をある程度制御させ続けなければいけない武器の状態を、不慣れな緊張の中維持していられるかが怪しいからだ。

不安を抱えたまま部屋へ戻ると、いつ頼んだのだろうか?テーブルには朝食が並べられていた。

トーストに目玉焼き、ベーコンにウインナーと、いかにもな組み合わせだ。

死闇さんはと言うと、椅子に座って羊皮紙を見つめている。手に持っているマグカップに入っているのは香りからしてココアだろう、わたしの席にも同じものが置かれているようだ。

コーヒーとかでは無いあたり、やはりかわいい。


「もどりました。朝食届いていたんですね」


椅子に腰を降ろしながら、羊皮紙に集中している死闇さんに声をかける。

何が書かれているのか気にならないわけではないけれど、恐らく今日のことについて何か書かれているのだろうと思うことにする。


「ん、ああ、頼んだらすぐ来た、俺もびっくりだ、適当に頼んじまったが良かったか?」

「ええ、大丈夫ですよ。ありがとうございます。おいしそうです」

「それなら良かった。さくっと食べちまおうぜ」

「はいっ、いただきます」

「いただきますっと」


朝食なだけあってボリュームはそれ程でもない、ゆっくり食べていてもすぐに無くなってしまいそうだ。


「あの、死闇さん」

「んー?」

「今日は、何をするんでしょうか?」


先程からずっと気になって仕方がない。それならもう聞いてしまおう。


「あー、大したことはするつもりじゃねーよ。とりあえずお前の切れ味が知りたいから物を斬る」

「物、ですか?」

「ああ」


食事中にゃあちょっち行儀悪いけど。っとつぶやきながらテーブルの上に羊皮紙をシュルッと召喚する。取り出すのではなく文字通り召喚だ。

小物程度の転送であれば魔界では珍しいことではない、予め魔力が通されている物を転送することは種族や個体差にもよるが標準的な能力である。

わたしも一旦食事をする手を止めて、それを見つめる。


「ほら、ここに依頼が書かれてんだけどよ」

「はい……?」


いくつかの依頼が載せられているそれをじーっと、上から順に目でなぞる。

依頼名、成功報酬、依頼主、依頼内容の順で並べられているようだ、そしてその内容は……。


「資材用の木の伐採と……て、鉄骨の切断!?」

「おう、そのぐらいはできるだろう」


木はまだわかるとして、どうしてそこから突然鉄に飛んでしまっているのだろう。


「え、い、いきなり鉄、ですか?」

「魔力で形を形成してるなら普通の鉄くらいよゆーよゆー、一度も斬りつけたこと無いからわかんねぇだけだって」

「そ、そうゆうもの、なんですか?」

「そうゆうものだ」

「怪我とか、しない、ですよね?」

「流石にこんな作業で怪我させるような無茶はさせねーよ、戦闘は知らねぇけど」

「そ、そうですか?それなら、良かったです」


死闇さんの言葉を聞いて半信半疑ではあるもののひとまず安心する。

戦闘による怪我に関しては仕方がない、そこを否定する必要も無いだろう。


「さてと、これ以上のことは飯を喰い終わってからにしようか」

「そうですね、あまり話してると朝ごはんが冷めちゃいそうです」

「だな、ココアはもう少し温くなってくれていいんだけど……」

「やっぱり、猫舌なんですか?」

「……ああ」

「ふふ、かわいい猫耳は飾りじゃないんですね」

「うっせ」


照れくさそうにぴこぴこする猫耳を確認してから食事に戻る。

この耳を見れるだけでも、これからのことを乗り越えられてしまえそうな気がする。気がするだけだとは思うけれど。

そのまま朝食を摂り終えて、宿を出る準備を始める。準備と言っても既に昨晩荷造りは終わっている、わたしは着替えをしてトランクを忘れなければ良いだけだ。


「わたし、脱衣所で着替えてきますね」

「あいよ、俺はこっちで着替えちまうわ」

「はい、わかりました」


返事をしてから脱衣所に入る、部屋着を脱ぐと朝だからなのか少しだけ肌寒い、早く着替えてしまおう。

適当に手にとっても特に組み合わせを気にする必要が無いもののみ、というか同じものだけを購入している上に、使用済みの下着や衣服は分けているため全く問題ない。

ああ、下着だけは上下バラバラにならないようにしないと。


「洗濯はどうするのかな?この宿にはできそうな場所は無かったけど……」


たぶん、死闇さんのことだからなんとかしてくれるだろう。

衣服に翼と頭を通してから左腕を通す。右腕は根元から存在しないため、中身の無い右袖はいつもたるんっと落ちている。

これがまた中々上手いごまかし方が思いつかない。


「これ、やっぱりだらしなく見えちゃうのかなあ。でも切って縫い合わせちゃうとなんだか着辛くなっちゃうんだよね」


いつもはあまり気にしないけれど、遠出や旅行をするときは気になってしまう。今回も例外ではない。


「今気にしても仕方ないかな。今度死闇さんに聞いてみたら何か良い方法思いついたりするかな?」


暇な時の会話のネタとしても使えそうだ。そうすることにしよう。

着替えを終えて、着用済みの衣服を詰め込んでから部屋に戻ると、死闇さんは昨日と同じロングコートを既に羽織っていた。

しかしフードは被っていない。いつも被っているわけではないようだ。荷物は……あれ?そういえば死闇さんの荷物はいったいどこにあるのだろう?

湯上り等で着替えはしている、手ぶらであるはずは無いと思うのだけれど荷物を取り出しているところも、詰め込んでいるところも見たことが無い。

ちなみにトランプは私のトランクにしまわれている。


「ん、伽耶、準備できたか?」

「あ、はい、わたしはできてます。えーと、死闇さんの持ち物は……?」

「俺の?あー、手ぶら」

「はい?」

「手ぶら」

「え、あの、昨日の着替えとかは?」

「普段着替えれる程度のものなら魔力で形作って用意できちまうんだよ。このロングコートもそうだ。流石にお洒落しろとか言われたら買わなきゃいけないけど」

「そうなんですかっ、便利ですね。すごいっ」


そういえば、洗濯ができない中昨日と同じロングコートを着ているはずなのに血の臭いがしていない。

作り直した、ということなのだろう。


「そんな珍しい能力だったか?これ。というかそれならお前のその武器になる能力のほうが凄い気がするんだけど、武器になってる間服とかどこに消してるんだよ」

「服はどこに消えてるのか自分でもちょっとわからないんですよね、それにわたしはまだ未熟ですから。でもありがとうございます」

「わかんないのにやれてるのか、凄いじゃねーか」

「もう、褒めすぎですよ」

「思ったことをそのまま言ってるだけだ。っと、準備できたんならそろそろ出るか」

「はい、そうしましょう。あ、その前に忘れ物が無いか確認しますね」

「あー、俺もするわ」


二人でベッドを軽く整えつつ、忘れ物が無いかしっかり確認する。気を抜いて確認せずに宿を後にしてしまうと大抵後から忘れ物に気付いて戻るハメになってしまう。これはあるあるだと思う。

オートロックなので部屋の鍵も忘れないように手に持っていることを確認してから、部屋から出る。するとカチャンッと鍵が掛かる音がした。


「これでよしっと」

「忘れ物もありませんでしたね」

「おう」


最初通った時には淡く黄色掛かっていた廊下は、高い位置に取り付けられている窓から差し込む朝日によって眩しく照らされていた。

木造特有の廊下が軋む音は相変わらず優しく響いている。


「チェックアウト頼むわ」

「死闇様と伽耶様ですね。この度はご利用ありがとうございます。お気を付けてお帰り下さいませ」

「ああ」

「はい、ありがとうございました」


部屋の鍵を渡してチェックアウトを済ませてから宿を出る。


「さてと、依頼主のところに行きますか」

「はい」

「今日は伽耶のおかげで早く起きれたから行動が開始できる時間がはえーな。午前中から動けるならさっさと終わらせちまうか、最初は木の伐採かね」

「早く起こして正解でしたか?良かったです。お仕事、頑張りますね」

「気張らなくていーぜ、適当に行こうや」

「えと、はい、わかりました、程々に頑張ります」

「それでいい、んじゃ行くぞ」

「はいっ」


まだ太陽が頂点へ昇りきっていない街は、程好く明るい光に薄っすらと照らし出されていた。

少し冷たい爽やかな空気がくすぐったく頬を撫でる、それがとても心地良い。

時間が早く人影がまばらなそんな街を、わたしと死闇さんは二人で行う初仕事のために、依頼者の下へ向かうのであった。

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