044 2028年8月2日 堀井芽衣
午前7時33分。
「なに、どうしたの」
芽衣は気怠い体を起こしながら言った。すると、高校からの腐れ縁で、一緒にこの公立中学へ避難してきた
「ほら、芽衣見てみなって、不老の異邦人が超いっぱい居るの」
柚希はそう言うと、芽衣の腕を引っ張って無理やり起こし、窓際に向かわせた。
「ちょっと柚希、痛いって」
芽衣はまだ自分の頭が半分上眠ったままにも関わらず、強引に腕を引く柚希に苛立ちを覚えながら、窓の外へ目を向けた。
そうして芽衣は、目を大きく見開いた。寝ぼけていた頭が、急速に冴えていく。
空には一面、無数の人影が浮いていた。
どの方角を見てみても、空は数えきれないほどの人影で埋め尽くされている。
「ねぇ、これヤバくない? すごいよね」
ぽかんと空を見上げていると、柚希が一緒になって空を見上げながら言った。
その声には、この光景に困惑しているというより、若干喜んでいるような、楽しんでいるような気配があった。
実際、柚希の顔には興奮したような笑顔が浮かんでいる。
「えっ……。いや、ヤバいんじゃないのこれ……。普通じゃないでしょ。どうなってんのよ」
芽衣がわずかに恐怖を交えた声を出すと、柚希は茶化すような笑みを浮かべた。
「不老の異邦人はモンスターしか攻撃しないんだから、何ともないって。逆に、外のゾンビ倒してくれるかもしれないから、外を歩きやすくなるんじゃない?」
柚希の言葉は、どこからやって来るのか分からない妙な自信に満ちている。
「いや、不老の異邦人が誰を攻撃するかとじゃなくてさ、この状況がもう普通じゃなさ過ぎるでしょ、って話だって」
芽衣は多少語気を強めて言ったが、柚希には芽衣が感じている危機感は全く理解できていない様子だった。過去の経験から、この状態の柚希には一切話は通じないことが分かっていた芽衣は、躍起になって自分の不安を伝えたいという気持ちを抑え、溜息をついた。
「あ、光った。いま光りましたよね? 見ました?」
同室の女子高校生が、窓の外を指さしながら、隣で一緒に外を眺めていた芽衣より若干年上の女――たしかプログラマーだとか言っていた――に言った。
「うん、なんか雷みたいなのが落ちてたね。魔法みたい。いや、魔法なのか」
プログラマーの女は目を細めながら言った。
ほかの同室者たちもみな、窓の外をみながら、興奮気味に喋っている。芽衣のように不安を感じているものも居るようだったが、柚希のように多少面白そうにしているもの居り、あまりの感覚の違いに芽衣は眩暈を覚えた。
「ねえ、みんな、窓から離れたほうが、いいかも」
突然、部屋の角から窓の外を見ていた、目の周りに大きな隈のある顔色の悪い女が、窓際から後ずさりながら、大きな声で言った。そうして数歩下がったところで、彼女の中で何かが確信に変わったらしく、窓へ背を向けると、跳ねるように廊下へ駆け出した。
芽衣は女が見ていた方へ目を向けた。
すぐに女が何に怯えていたのかが分かった。
遠くに金属のように強く光を反射している何かが見えた。
一体何だろうか。
ソレはもう目前に迫っていた。
早い。
一瞬毎に、短く事柄を理解するごとに、それは急速にこちらへ接近し、もはや逃げるには手遅れだった。
芽衣は出来うる限りの全力でもって、その場にしゃがみこんだ。柚希の服を掴んで一緒にしゃがませようとしたが、柚希は即座には何が起ころうとしているのかが理解できなかった様子で、芽衣の力に抵抗した。
芽衣の手に、柚希がしゃがまなかった。下に向ける力に抵抗した。そういう感触があった次の瞬間、柚希の体は部屋の中央へ向かって吹き飛んだ。柚希の服を掴んでいた左手が、外れそうな程の勢いで引っ張られ、芽衣は思わず手を放してしまった。
ガラスが割れる音と、悲鳴が、一緒くたになって教室内に響く。
頭上からガラスが降り注いだ。芽衣は体を小さくして、窓際の壁に張り付きながら、今更ながら頭を両手で守った。
教室の中央から、カチャカチャと、細かい機械的な音がした。
誰かが、さきほどガラスが割れたときとは異なる、絶叫に近い悲鳴をあげた。
芽衣は頭を抱えている両腕の隙間から、教室の中央を見た。
細い金属の棒の集合体のようなものが、せわしなく動いている。
それはコーギー犬ほどの大きさの物体で、観察しているうちに、それは細い金属の棒が複雑に組み合わさって出来た、機械仕掛けのハヤブサのような鳥なのだということが分かった。
それはカチャカチャとせわしく音を立てながら、首を上下に動かしている。
その首の動きに合わせて、カチャカチャ音とは異なる有機的な音がして、同時に赤い液体が周囲に飛び散っていた。
機械仕掛けのハヤブサが何度目かの首の上下運動を終えたとき、不意に芽衣は、機械仕掛けのハヤブサが床に押さえつけるようにして乗っている物体が、今しがた吹き飛ばされた、柚希であることに気が付いた。
柚希は真っ赤な血の海の真ん中で仰向けになり、動かなくなっていた。
なぜ動かないのか。
簡単なことだった。機械仕掛けのハヤブサが、首をついばんでいるからだ。
芽衣は唐突に激しく叫び声をあげたい衝動に駆られたが、自分の口の中に手を突っ込んで、それを堪えた。
ハヤブサは柚希をついばむことに一生懸命の様子で、周りにいる人間には見向きもしない。この場から逃げるなら今のうちだろう。
芽衣は隣で口を押えて涙を流している女子高校生の肩を叩いて、部屋の出口を指さした。彼女はすぐに芽衣の意図が分かった様子で、頷いて返した。
教室の反対側でも、同じように逃げようとしていた同室者たちが、ハヤブサの動きに警戒しながら、扉をあけて廊下へ出て行った。
芽衣は壁伝いに、廊下を目指した。
別の教室からも、ガラスが割れる音と悲鳴がしている。どうやら他の教室でも同じようなことが起こっているらしい。
「みんな! 窓から離れろ! スチュパリデスが狙ってくる!」
廊下のほうで、男が警告する叫び声がした。
どの教室でも、空を埋め尽くす不老の異邦人を見ようと、窓際に集まっていたのだろう。そこを狙われたのだ。
警告のあとも、窓が激しく割られる音が続いた。
「あっ……」
後ろをついてきていた女子高校生が声をあげた。
振り返ると、窓の外に、ひらひらした衣装を纏った優男風の不老の異邦人がひとり、浮いていた。
その不老の異邦人は、炎で出来たボウガンのようなものを構えると、いまだ柚希をついばみ続けているハヤブサ目がけて矢を放った。
不老の異邦人とハヤブサの間には十数メートル程度の距離しかなく、矢は容易く命中するように思えた。
しかし、放たれた矢は床のタイルに突き刺さり、ハヤブサはいつの間にか羽ばたきながら宙を舞い、芽衣たちの頭上へ移動していた。
女子高校生は頭上のハヤブサを見上げ、体を縮めて悲鳴をあげた。
不老の異邦人は次弾を放つが、それもハヤブサには当たらない。ハヤブサはほとんど瞬間移動するような速度で、教室の正反対の黒板側へ移動していた。
ハヤブサは不老の異邦人へ顔を向けたまま、素早く小首を傾げるような動きを繰り返している。
不老の異邦人は再び狙いを定めると、矢を放った。
瞬間、ハヤブサの姿が、黒板の前から消失した。
同時に、不老の異邦人の腹部に、大きな穴が開いた。不老の異邦人は大穴の開いた腹に手を当てながら、地上へ墜ちていった。
その向こうで、ハヤブサは悠然と羽ばたいている。
「えっ? えっ……」
芽衣は一瞬の出来事に、状況がうまく呑み込めなかった。
不老の異邦人がやられてしまった。
現実に現れた不老の異邦人も、普通にやられてしまうのか。
この機械仕掛けのハヤブサは、ゲームの中でもそれほど手ごわいモンスターではなかった記憶があるのだが、それに一撃でやられてしまうなんて、あの不老の異邦人は相当たいしたことなかった、ということになる。
そんな風に考えていた芽衣の目が、窓の外で羽ばたいていたハヤブサの目と合った。赤い宝石のような丸い瞳が二つ、まっすぐこちらを向いている。不老の異邦人に邪魔されたせいで、柚希からの興味が薄れ、狙いが変わってしまったらしい。
いま目指していた廊下への扉は閉まっている。それを開ける暇があるだろうか? 考えるよりも体を動かさなければならない。身を守るには? 不老の異邦人を容易く貫く攻撃を防ぐにはどうすればいい? 窓と窓の間の太い柱の陰に隠れればいいだろうか? そこまで行くのと、扉を出るの、どちらが早い?
羽ばたいている体が、芽衣の方を向く。
芽衣よりハヤブサに近い位置にいた女子高校生は、息を荒立てながら必死の形相で立ち上がると、足を滑らせながら先ほど同室者たちが出て行った、開いている方の扉を目指して駆け出した。
ハヤブサの向きは変わらない。狙われているのは自分だ。
そこで芽衣はようやく気付いた。
自分はとても逃げられる状態ではないのだということに。
芽衣の体は恐怖により硬直し、体のどこにも、意思が伝達するとはに思えないほどに、四肢が遠くへ行ってしまったような感覚に陥っていた。
逃げようと思っても、そういう気持ちがはやるばかりで、体はうんともすんとも言わなかった。
視界の片隅に、血の海に浮かぶ柚希の姿が見えた。
ここで死んだら、死んだあとも柚希と一緒なのかな、と思った。正直それはあまり嬉しくなかったが、しかしこれも自分の運命なのだろう。
背後でガラガラと勢いよく扉が開く音がした。
「大丈夫ですか!」
男の人の声がした。
しかし芽衣はハヤブサから目を逸らすことができない。
ハヤブサは一度、大きく強く、羽ばたくような動きを見せた。
続いて、窓の外で、手のひらほどの大きさに見えていたハヤブサの大きさが、急激に大きくなった。
芽衣は目を瞑った。
もう自分には、次の瞬間、という時間は存在しないのだろうと思った。
――しかし、いくら待っても、体に痛みが走ることもなければ、衝撃が訪れることもなかった。
恐る恐る目を開けた。
「ひっ」
芽衣は、目と鼻の先でこちらを睨みつけているハヤブサの赤い眼と目があって、小さく悲鳴をあげた。
だが、ハヤブサはそうやって目の前にいるだけで、それ以上こちらへ近づいてくることはなかった。
よく見てみれば、羽ばたいている様子もない。
まるで、その場で時間が止まってしまったかのように、ハヤブサは芽衣の目の前で、静止していた。
「いやあ、間一髪だった。危ないところだった。だけどもう大丈夫。そいつはもう動かないから。それより、怪我はない?」
無精ひげを生やした短髪の男が、芽衣の隣にやって来て尋ねた。
「え、ええ、私は大丈夫ですけど……、柚希が……」
芽衣が言うと、男は柚希の遺体へ振り返った。
「酷いね……、まさかこんなことになるなんて……」
男はそう言うと、無念そうに頭を強くかきむしった。
「リーダー、あっちのは不老の異邦人が退治したみたいです」
廊下から若い男の声が言った。
「そうか、それじゃあ、もう大丈夫かな……。いや一応、全部見て回っておこうか」
リーダーと呼ばれた男はそういって立ち上がった。
「リーダー……、これ、止まってるの、リーダーがやったんですか……?」
芽衣はふらつきながらも立ち上がると、この避難所のリーダーへ尋ねた。
「うん、まあ、そうだね」
リーダーは歯切れ悪く答えた。
リーダーが居れば
「えっ、その、どうやって?」
芽衣は教室から出て行こうとするリーダーの背中に尋ねた。
「止まってくれって、お願いしたんだよ。その――神様にね」
リーダーは若干恥ずかしそうにそう言うと、教室から去っていった。
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