036 2028年8月1日 多田文哉
「それじゃあ、お前はどうすればこの状況が終わると思ってるんだよ」
多田
「だからさ、終わらないんだって、もうこのまま、ずっとなんだろ? お前まだ、なんだ――魔界へ通じるゲート的なヤツを閉じたら、はい平和になりました! やったね! みたいなこと、考えてんのかよ」
橘はいちいちこちらを馬鹿にするような身振り手振りをつけて言った。
廊下を通りかかった中年の女が、橘の大きな声に驚いて、こちらへ一瞬視線を向けたが、そのまま行ってしまった。
多田は、この異常な事態を収束させるためには、アニマ・ムンディのゲームサーバーが停止すればいいのではないか、という今朝思いついた自分の発想にそれなりの自信があったので、こんな風に馬鹿にされるのは心外だった。
「きみたち、さっきからうるさい」
教室の中央に置かれた扇風機の前を陣取ってひとり涼んでいる女が、こちらへ背中を向けたまま言った。たしか、堀井とかいう大学生だったはずだが、そもそも彼女はこの部屋の住人ではない。女の部屋はひとつ上の階なのだ。しかし、さきほど自分の部屋がTRPGの会場になり、騒々しいからと、この部屋へ逃げてきたのだ。
よそ者はよそ者らしく、少しはこちらに遠慮してほしいものだ、と多田は思った。
「何か、ひとつきっかけがあれば、この状況が終わるんじゃないかってのは、俺も考えるよ。これだけ現実離れしたことが起こっているんだから、同じくらい現実離れしたきっかけひとつで、全部良くなるんじゃないかって期待したって、バチはあたらないだろ」
窓際の床に寝転んでいた同室の服部が,うちわで扇ぎながら抑えた声で言った。
服部とはこの中学校へ避難してきて、初めて知り合った。二十代半ばらしいが、年下に対して偉そうな態度を取らないので、多田は服部のことが嫌いではなかった。
「ですよね。だからさ、アニマ・ムンディのゲームサーバーがある場所を突き止めて、どういう装置なのか分からないけど、それを止めればいいんだって」
多田は服部の賛同を得て、少し声に自信を滲ませながら言った。
「もう停電して2日経ってるんだから、サーバーなんかとっくに止まってるだろ。それでなんか変わったか? ゾンビは走り回ってるし、不老の異邦人は飛び回ってるし、サンドワームが鳴らしてる地鳴りだって、止まってないだろ」
橘が鼻で笑いながら言った。
既に停電によってサーバーは停止している。
その発想が全くなかった多田は、思わず驚いた顔をしてしまった。それを見た橘は、多田に向かって薄笑いを浮かべた。
「停電ですぐサーバーが止まるはずないじゃん。ああいうところはね、停電すると自前の発電機に切り替わるんだよ」
堀井が相変わらず扇風機のほうを向いたまま言った。
橘は多田へ向けていた薄笑いを止めた。
「自動で切り替われるところなら、そうだね。でも、ビルに備蓄してる燃料だけじゃあ、それほど長く発電はできないんじゃなかったかな。せいぜい動いても2日か3日ってところだと思うよ」
服部は大きく欠伸をしながら言った。
「自家発電の燃料が2日か3日しか持たないってことは、ゲームサーバーはまだ自家発電でギリギリ動いているけど、もうそれほど経たずに燃料切れになって、サーバーが停止するってことですよね?」多田は徐々に早口になりながら言った。「ってことは、何か変化が起こるなら、まさにこれからってことですよね? 停電したのは2日前なんだから」
多田は服部へ視線を投げた。
「うーん、日本に置いてあるサーバーは、まあそうだろうね」
服部は難しそうな顔をして言った。
「えっ、日本以外にもサーバがあるんですか」
多田は再び驚いた顔をしながら言った。
「海外にも結構プレイヤーいるんだぞ。ヨーロッパのプレイヤーが日本のサーバーに接続しにきたら、回線遅延でゲームになんないだろ。ヨーロッパと日本じゃあ、地球の裏と表だぞ。海外には海外のプレイヤー用のサーバーがあるんだよ」
橘は再び薄笑いを浮かべながら言った。
「っていうか、ゲームにログインするときに、JAPANサーバーって選ぶじゃん」
堀井が言った。
「でも、海外でもゾンビ化が広まってて、ほとんどいまの日本と同じ状況なんだから、あっちだって停電して、自家発電の燃料もなくなって、サーバーが止まることには変わりないだろ」
日本以外にもサーバーがあるといったのは服部だったが、最初に馬鹿にしてきたのは橘だったので、多田は橘を睨みながら言った。
「土地が小さな国に設置してあるるサーバーなら、そうなんだけどね。中国とかアメリカなんかだと、サーバーを置いてるデータセンター自体が、ありあまる土地に太陽光パネルを目一杯展開して、電力会社に頼らず、しかも自然エネルギーで燃料の枯渇にも左右されない自前の発電所を持ってたりするんだ。そういうところだと、機器故障でもなければ、サーバーは動き続けられるんじゃないかな。まあ、アニマ・ムンディのサーバーをどのサーバー運営会社が運営してたのかも分からないんだから、こんなの可能性を並べてるだけなんだけどさ」
服部は頭を掻きながら言った。
「サーバーにお金かけず、安かろう悪かろう、な運営に任せてれば、もう止まってるかもしれないし、そうでなければ、そうではないかもしれないから、サーバーが動いてるか止まってるかなんて、考えたってしょうがないってことだよ」
と、堀井。
「まあ、まだサーバーは動いてて、そのうち止まるかもしれないから、そうしたら、全部良くなるかもしれない可能性はなくはない、ってことだから、僕はまあ、そういうことを期待しときますよ」
多田は多少やけくそになりながら言った。
ずっと寝転がっていた服部は、身体を起こしながら「ここまで電源の話をしていて、こんなことを言うのも難なんだけど」と、申し訳なさそうに言った。「もうとっくの昔にサーバーは止まってると思うんだよね。この騒ぎになっちゃって、みんな忘れちゃったかもしれないけど、アニマ・ムンディは、7月21日の明け方に緊急メンテナンスがあって、全サーバーがあの時点で稼動を停止してたはずなんだ。だから、サーバーが置いてあるビルが停電で自家発電設備に切り替わっていても、いなくても、アリゾナの砂漠の真ん中にソーラーパネルが並んでいても、いなくても、関係なく、今はもうゲームサーバーは停止してると思うんだよね」
服部の言葉に、多田は思わず、服部さんもゲームサーバーが止まったら状況が良くなるかもしれないと、言っていたじゃないか、といいかけた。しかし、思い返してみて、彼はあくまで、状況がよくなるきっかけがあれば良い、と言っていただけだったという事を思い出して、多田は虚しい気持ちになりながら口を閉じた。
「多田くんと橘くん、交代の時間」
不意に、明石という40代近い男が廊下から顔を出したて言った。
橘が、分かりました、と答えると明石は顔を引っ込めて、廊下を戻っていった。
多田と橘は、ほぼ同時にため息をつきながら立ち上がると、教室をあとにした。何気なく教室を振り返ると、ずっと扇風機の前にいた堀井が、いつのまにか服部の側の椅子へ移動して、話かけているのが見えた。
橘と2人で、廊下を進んでいく。
ここはもともと公立の中学校だったらしい。ゾンビパウダーの蔓延が始まりだしたころに、自宅へ篭城し続けるのには限界があるという考えに至った数人が、この中学校へ篭城場所を移したのだという。
その頃はまだ電気が来ていたのだが、それでも、じきに停電になるであろうことを見越し、太陽光発電設備があるこの学校を選んだのだと聞いた。そのお陰で、教室の中では扇風機を回すことが出来るし、冷蔵庫に食材を入れておくこともできる。
いま、この学校の中では50人ほどが生活しているらしい。多田と橘がやってきたのは6日ほど前のことだった。その時はすでに40人近くの人が、ここで生活していた。この2日ほどは、新しいメンバーがやってきたという話を聞いていない。おそらく、これ以上増えることは、もうないのだろうと、多田は思っていた。
一応、この場にはリーダーと呼ばれる人物はいるのだが、特に彼が率先して皆を纏めているというわけではなく、いまのところかなり緩い雰囲気の中で、皆は生活していた。
ここへ来るまでの、いつ
この、周囲の雰囲気を形成している原因は、どうやらリーダーにあるらしい。リーダーさえ居れば、ゾンビくらいなら、どうにでもなるという話を聞いたことがあったが、しかし多田は詳しいことを教えてもらえずにいた。
自分たちの部屋にしている教室のある3階から、薄暗い1階へと多田たちは降りてきた。1階のすべての窓は、分厚いカーテンですべて遮られている。万が一、廊下のすぐ外をゾンビがうろついていたときに、窓を割って中に入られないよう、遮蔽しているのだと聞いた。
昇降口までやってくると外へと通じる鉄の扉の前に、先ほど教室へ呼びにきた明石という男と、もう1人、村井という中学生くらいの外見の少年が、座っていた。
「それじゃあ、あとはよろしくね」
明石はそういうと、どっこらしょ、と言って立ち上がった。
しかし、村井は立ち上がる気配もなければ、そもそも多田たちがここへ来たことにも気付いていない様子で、ずっと手元の小さな手帳を見つめている。
「ほら、村井くん、部屋に戻ろう」
明石は大きくため息をつきながら言った。
それでも村井は手元を見つめている。
明石は、多田と橘へ向けて、いつもこうなんだ、とでも言いたげに肩を竦めた。
多田は、動きたくないならそのまま居ればいいんじゃないかな、という言葉をこらえながら、明石へ苦笑いを返した。
「ほら、翼くん、戻ろうよ」
明石は村井へ向けて、少し強い声で言った。翼、というのはおそらく村井の下の名前なのだろう。
すると、村井は身体をびくりと震わせ、驚いたように勢いよく顔をあげた。手に持っていた手帳が足元へ落ちた。
「あ、すいません、交代ですか」
村井は自分をみつめる3人の顔を見上げながらそう言うと、慌てて立ち上がった。
「うん。戻って休憩しよう」
明石は村井へ優しく微笑みかけると、肩を叩いた。
多田は村井の落とした手帳を拾い上げた。
別に中を見るつもりは無かったのだが、拾ったときに、偶然開かれていたページが見えてしまった。
そこには細かく丁寧な字で――
デネッタ・アロック
入国管理DB ×(アリルゲダ?)
住基DB ×
アニマ・ムンディをプレイしていたときの、攻略のメモか何かだろうか。
そうだとすれば、今どき紙のメモ帳にこんなことを書くなんて、かなりレトロなやり方だ。そもそも、入国管理DBと住基DBの意味が、多田には分からなかった。所属していたギルドで使っていた内輪だけで通じる単語かなにかだろうか。
そこ以外にも、何やら細かくびっしりと文字が書かれていたのだが、多田がそれらの文字を追うよりも早く、村井に素早く奪われてしまった。
村井の眼光は鋭く、拾ってやったんだから礼くらいしたらどうだ、などという言葉はとてもかけられない雰囲気だった。
「怖っ! なんだあいつ」
村井が見えなくなると、橘がわざとらしく身体を揺らして言った。
「礼くらい言えよなあ」
多田はさっき言えなかったことを今言いながら、周りにおいてある扇風機4台をすべて『強風』に切り替えた。
そうして、多田は昇降口の鉄の扉の前に置かれた椅子に腰掛けた。
見張りの役目は、外出していたメンバーのために扉を開けてやることと、助けを求めてやってきた生存者を受け入れるために――扉を開けてやることである。
この学校の周囲には、ここに多くの生存者が避難しているということが書かれたビラが、何枚も貼られている。
インターネットが使えなくなった今、ここに安全な避難場所があることを知る手段は、このビラしかない。
しかし、あんなビラを偶然みつけて、ここまでやって来る人が居るのだろうかと、多田は疑問だったが、胸の内で留めていた。
どこか遠くで、雷が鳴るのが聞こえた。
鉄の扉についた小さな窓から外を覗くと、この周囲は青空なのだが、彼方のほうに黒い雲が出来ているのが見えた。
「雨かあ、久しぶりだなあ」
橘がのんびりした調子で言った。
しかし、結局この周辺に雨が降ることはなく、遠くに見えていた黒い雲は10分ほどで消え、雷も聞こえなくなった。
多田と橘は、次の交代までずっと、扉を眺めていた。
結局、一度も扉を開けることはなかった。
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