028 2028年7月23日 片桐隆臣
「みなさん、希望を捨てないでください。事態はかならず終息します。諦めて外へ出ると、病気に感染する恐れがあります。決して外には出ないでください。熱中症にならないよう冷房をつけることを忘れないでください」
テレビの中でキャスターは冷静に、しかし強い調子で訴え続けている。
チャンネルを変えても、どこも同じような感じで、生き残ったスタッフが、砂が入り込まず、サル人間にも襲われない安全な空間で、ネットの情報を頼りに、情報発信を続けている。
そこから得られる目新しい情報はないのだが、しかし人間の声が聞こえてくるというだけで安心できるので、片桐
関東圏内は既にネズミ算式に増え続ける感染者によって溢れかえり、生きているのは奇跡的に閉じこもれた人間か、数少ない元々感染しないタイプの人間だけになっていた。
日本のそれ以外の地域も、感染が始まった関東からわずかに遅れているだけで、ほとんど同じ調子で感染者が増えていっていった。
ただ、情報が出回りはじめたあとだったこともあり、砂のない環境に篭城することに成功した人もかなりの数いる様子だった。
海外に目を向けると、日本から程近い中国、韓国、台湾などでは、感染の拡大が確認されている。そう遠くない未来――数日で、日本と同じような状況となるだろう。
しかし、それよりもさらに離れた地域となると、まだほとんど、咳と砂の症状を持つ人間は確認されていない。感染者がすぐにサル化してしまうため、それ以上感染のリンクが広がらないのではないか、といわれている。
ただ、数時間前から、フランスを中心に、一般人が何の前触れもなく凶暴化する、といった事象が多数報告されはじめていた。一部では、これも砂と同じような由来による、未知の病気なのではないか、と噂されているが、何を介して感染するのかなど、具体的なことはまだまったく分かっていない。おそらく、感染原因が理解できる状況に置かれた人間は、イコール既に感染してしまっているような、そういう現象なのではないか、と片桐は想像していた。
またひとつ、得体の知れない何かが蠢きはじめたのだ。
得体の知れない何か、といえば、逗子を皮切りに、関東南部を中心に目撃が相次いでいる、巨大な生き物もそのひとつだ。地下を破壊しながら移動し、ときおり地上に顔を出すという迷惑きわまりないその生き物は、アニマ・ムンディに現れるモンスター、サンドワームと酷似していた。
いくつかの固体は、空を飛び回る不老の異邦人によって撃退された、という目撃情報もある。
しかし一方で、サル人間に襲われていても、笑っているだけで助けてはくれない、という話もあり、彼ら不老の異邦人が何を考えているのかは、まったく分からない。
完全に理解できるようになるまでは、危険な存在であると思っておいたほうが良いのだろう。
「困ったことに、あのひとたちは、現実とゲームの中とをごちゃまぜにして考えているみたいなんです。いまはまだ、ぼんやりとしていて、観察しているだけみたいなんですけど、そのうち現実でも、ゲームの中でやっていたみたいな酷いことをし出すんじゃないかって、ヒヤヒヤしているところなんです」
昨日、片桐へメッセージを送信してきたAkvanと名乗る人物は、現実に現れた不老の異邦人について、そんな風にコメントしていた。
片桐はこのAkvanという名前の存在が、不老の異邦人の一人であるアカ・マナフ――探していた鈴木裕明だと思っていたので、その他人のことを語るような言い様に違和感を覚えた。
「Akvanさん、私はあなたのことを鈴木裕明さんだと思っていたのですが、もしかしてそれは私の勘違いでしょうか。あなたは誰ですか?」
片桐はメッセージを入力してから、本当にこの質問をしてよいものかと逡巡しつつ、思い切って送信ボタンを押した。
「素敵な質問ですね!」
Akvanはそのメッセージに、色とりどりの様々なキラキラしたデコレーションを付けて送ってきた。
「私は鈴木裕明で間違いありません。
ただ私は、アカ・マナフと名乗っていた、あの残虐な、檻を揺らし笑う行為者とは決別したのです。もう鈴木裕明であるような振る舞いをする必要のない、解き放たれた存在なのです。
私はここにこうしてひとつの存在として成り立ち、お父さんやお母さんの暮らした、この素敵な世界に訪れた災厄を払うべく立ち上がった、救世の徒なのです」
片桐は目の前に繰り出された文章を一体どのように理解すればよいのか分からず、何度も繰り返し、その文章を読み返した。
アカ・マナフと名乗っていた行為者とは決別した?
鈴木裕明であるような振る舞い?
片桐が言葉に窮していると、Akvanは、「あの、大丈夫ですか? このメッセージは届いていますか?」と尋ねてきた。
片桐は慌てて、「大丈夫です。届いています」と答えた。
「それならよかったです!」
Akvanはそう言うと、言葉を続けた。
「だから、災厄の元凶であり私の半身である実体を止めるためにも、お父さんとお母さんの力を借りなければならないのです。
片桐さんが、家族が探している、と教えてくれたときには、本当にうれしくてうれしくて、死んでしまうかと思いました」
私の半身である実体? まるで自分には実体がないのだ、とでも言うのか。
混乱する思考を落ち着けるために、深呼吸をする。
そもそも相手が喋っている内容が、本気なのか、それともこちらを煙に撒くための適当な言葉の羅列なのか、判断しなければならない。
ただ、あまりにも言っている内容が荒唐無稽すぎるため、どうにも逆に本当のことを言っているんじゃないのかと思えてならなかった。
まあ――
どちらにして、随分とよく喋るやつだ、と片桐は思った。
嘘にしても本当にしても、ペラペラ自分語りをする痛いヤツだな、と思っていた。
どうしても喋らずにはいられない、伝えずにはいられないという、抑制力に欠けた人物像が垣間見える。
顔が見えず、ただ相手が入力している文章だけで完全に判断することもできないが、それほど利口な人物ではなさそうだ、とAkvanのことを評価していた。
ただ、相手は片桐にだけユニリングのクラウド接続を可能にさせるという、普通ではないことをやってのける存在なのだ。あまり甘く見すぎるのも問題だろう。
「おい、聞こえてんのかよ」
「大丈夫ですか?」
「相槌がないと、会話しているのか分かりづらいんだよなあ! おい!」
大量のメッセージが一気に流れてくる。
「すみません、ちょっと情報量が多くて、考えていました」
片桐はとりあえず、そう返事をした。
「それならよかったです!」
Akvanはメッセージに再び大量のデコレーションを付けてよこした。
「あの、なにか質問とかはないですか?」
そうAkvanに促がされ、片桐は先ほど浮かんだ疑問のひとつでも、尋ねてみようかと考えた。しかし、嘘か本当かもわからないような、よくわからない自分語りが好きな相手に質問をするという行為が、さらに相手に調子付かせる結果を生むことを知っている片桐は、結局質問するのをやめた。
「質問はありません」
片桐は入力され、送信ボタンを押すだけになった自分の短いメッセージを見ながら、強烈な違和感を覚えた。
質問がない?
そんなはずないだろう。
いくら相手の言葉が嘘くさかろうがなんだろうが、あれだけ質問の余地のある言葉に対して、何も訊ねない、というのはあまりにもおかしいではないか。
もしかしたら、自分が相手にしているのは、自分の想像を遥かにこえた、危険な存在かもしれないのだ。
少しでも相手から情報を引き出すべきではないのか。
たとえ相手が嘘をついているのだとしても、その嘘の中から引き出せる本当のことだってあるはずだ。
片桐は入力した『質問はありません』という文字を消しかけた。
しかし、もうひとつの考えが頭に浮かぶ。
だけど、こんな馬鹿っぽいやつが楽しそうにペラペラ自分のことを語るところを、これ以上見たいのか? ごめんだろう?
妄想話かもしれないし、本気で言ってるのかもしれないけど、とりあえず今は、はいはいそうですか、と聞いておいて、様子を見ようじゃないか。
ああ――
――それもそうか。
片桐は強く納得して、メッセージを送信した。
質問はありません、という答えが、会話の中に投げ込まれた。
「それならよかったです!」
大量のデコレーション。
「ええっとそれで、片桐さんは、私のお母さんの居場所をご存知なんですよね?」
このやり取りは、既にやったような気がするのだが、しかし何か重大なプロセスの一端である予感がして、片桐は答える。
「はい、あくまで持っていたタブレットの場所までですが」
「それだけわかれば十分です! ということは、片桐さんは、私に力を貸してくれるってことですよね?」
ここまで言っておいて、やっぱり力を貸さない、と言うとでも思っているのだろうか。片桐は不審に思いつつも返事をした。
「ええ、構いませんよ」
☆*:.。.:*゜*。☆*・゜゚・*:.。..。.:*・
「それならよかったです!」
.:*゚..:。:. .。゚+..。゚+*☆*:;;;:*☆*
――そんな会話をしたのは昨日の昼過ぎで、GPSの場所を教えたあと、Akvanからのメッセージはなかった。
すでに一日以上が経過している。Akvanは、母親に会えたのだろうか。
片桐はぼんやりと考えながら、席を立った。
どうにも昨日の夕方ごろから身体がだるい。もしや、自分もサル化する咳の病気にかかってしまったのか、と疑ったりもしたが、咳が出ることはなく、ただの軽い風邪をひいてしまったらしい。
水道水をコップに入れて、片桐は喉を潤した。
その時、窓の外で、女が叫ぶ声がした。
窓へ駆け寄り外を見下ろすと、路上で大きなバックパックを背負った女が2人、3匹のサル人間に囲まれていた。
短い髪の女が、手に持った鉄の棒を振り回して威嚇しているが、サル人間は距離をどんどんつめていく。
篭城していられなくなったのか、外を出歩くことがどれだけ危険か想像できなかったのか分からないが、どちらにしてもこの状況で助かる見込みは薄いだろう。
片桐は窓をあけて、何か応戦できないかとも考えたが、窓を開けることで室内に砂が入り込む可能性を考えると、鍵に手をかけること自体がためらわれた。
もし自分に、拳銃なりの装備があって、明確にあの2人を助けてあげることが可能な手段があるのなら、一瞬窓を開けることもいとわなかっただろうが、碌な手段も持たずに、ただ闇雲に窓を開けるのは、愚かな行為だと思えた。
ついにサル人間の1匹が、鉄パイプを持っていないほうの女に飛び掛った。さらにもう1匹――漫画のキャラクターのコスプレをしている男――が、同じ女の足首にかじりついた。
鉄パイプを持った女は、襲われた女の名らしきものを大声で叫んでいる。
この隙に早く逃げろ。片桐は女に念じたが、通じない。
どうにかして助けてあげられないのか。
片桐は部屋の中を見回すが、ここから投げて、彼女を助けてあげられそうな都合のいいものは見当たらない。
大きな声で叫んだせいで、折角意識がそれていた残る1匹がターゲットを再度鉄パイプの女へ戻した。
女はあろうことか、鉄パイプをサル人間に向かって放りなげた。
当然、それはサル人間に当たらない。
サル人間は勢いをつけて、女に肉薄する。
止まれ! 止まってくれ!
片桐はそう願いながら、しかし悲惨な結果を想像して、目を閉じた。
あれが、自分の末路でもあるように思えた。
どうせこんな部屋に篭っていられるのも、あと僅かなのだ。
結局自分は、腹をすかして、外に出て行かざるを得なくなって、ああして襲われ、死んでいくのだろう。
片桐は大きくため息をつくと、窓から1歩離れ、一応結果を確認しておこうと、目の隅を女の方へ向けた。
女はしりもちをつき、両腕で顔を守るような姿勢で、ぶるぶると震えている。
女は無事だった。
とても奇妙なことが起こっていた。
女に飛び掛ったサル人間が、空中で静止していた。
まるでそこだけ時間が止まってしまったかのように、微動だにせず、宙に浮いていた。
他の2匹のサル人間は、上半身を旺盛に動かしながら絶命した獲物を貪っている。
止まっているのは、鉄パイプの女に襲いかかろうとした1匹だけだ。
何が起こったのだろうか。
そう考えていると、へたり込み震えている女の背後から、新たに1匹、サル人間が現れた。
奇妙な奇跡によって命を取りとめたかに思えたが、結局あの女も死ぬ運命だったということか。
そんな諦観に襲われつつ、駆け出したサル人間を見ながら、片桐は思った。
あれも止まれば、助かるのに。
瞬間、サル人間はアンバランスな格好のまま、唐突に、凍り付いたように動くことを止めた。
まるで片桐の言葉に従うかのように、サル人間はその場で動きを停止していた。
片桐は酷く頭がくらくらするのを感じ、椅子に座りこんだ。
自分は一体、どうしてしまったというのだ。
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