024 2028年7月23日 辺見茜(逗子駅前②)
時刻は少し遡り、午前9時。逗子駅前のローソンの店内で、この店舗のアルバイト店員である辺見茜(36)は、目の前の少女の話に耳を傾けていた。
少女は、いまから3時間ほど前に、もうひとりの少年とともに、ここへ助けをもとめてやってきた。
彼女は足に酷い怪我を負っていた。
ここに来るまでのあいだに、外をうろついているサル人間に噛まれたのだという。
襲ってきたサル人間は、どうにか少年の手によって撃退できたらしいが、少女はそれ以上動けなくなってしまったのだ。
ロータリーの向いにあるマツモトキヨシへ助けをもとめて行ったのだが、そちらに居た男に拒まれてしまい、こちらへやって来たのだという。
とりあえず、辺見は店内にあった救急セットをつかって彼女の患部を消毒した。辺見が持っていたロキソニンで、痛みは我慢できる程度になったようだ。
少年のほうは、サル人間を撃退したことや、少女を庇いながらここまで歩いてきたことで疲れてしまったらしく、しばらく前から裏で横になっている。
辺見は昨日の午前中からずっと、店内に篭っていた。
昨日の朝の時点で、不要不急の外出はするなという放送がテレビで流れてはいたが、アルバイト先から、今日は休んでよいという連絡がなかったため、出勤するしかなかった。
朝から電車は動いていなかったので、客足は少なかったのだが、それでも休みを無駄にすまいと、バスなどを使って海水浴にやってきていた人々がいたので、まだ日常感はあった。
しかし、昼をすぎたあたりから、外の様子がおかしくなりはじめた。
昼に出てくるはずの店長も次のシフトメンバーも、やってこなかった。
同じシフトのメンバーたちは咳が止まらなくなり、唯一体調に異変のなかった辺見だけが、ひとり店に残るはめになった。何度か店を施錠して帰ってしまおうかとも考えたのだが、店を無人のまま放置するということに対する、盗難などの金銭的なリスクが頭をよぎり、どうにも踏み切れないまま、夜になってしまった。
そうして、いつしか外を奇妙な格好で走りまわる人たちが現れ、いよいよ帰るに帰れなくなってしまったのだ。
夜の間に何人か、助けをもとめてやってきた人たちもいたが、皆一様に咳が止まらず、数時間で息を引き取った。彼ら自身から、死体を放っておくとサル化することを聞いていた辺見は、彼らの死体を裏の路地に遺棄せざるを得なかった。それはとても胸の痛むことだったが、同時に、自身がこの奇病に感染しない体質であることも分かった。
「――それで、そのアニマ・ムンディっていうゲームはどういうゲームなの?」
辺見は棚に背中をあずけながら訪ねた。
「それは、なんといっても、最大の特徴はストーリーがプレイヤーの行動で変化するところ!」
清算カウンターに寄りかかっていた少女が興奮気味に言った。
辺見には、この会話は周囲の状況にそぐわない、平和ボケした内容に思えた。
しかし夜の間、ほとんど一人きりでじっとしていた辺見は、こうして誰かと話しをすることでいくらかでも気分が紛れたので、気にしないことにした。
そもそも、こんな会話になったのは、少女が、『突然起こった奇病の蔓延や、その死者がサル人間になるところが、ゲームによく似ている』と言い出したことがはじまりだった。
ユニリングが使えない辺見は初めてきく話だったが、たしかに状況は酷似しており、ただの偶然だとは思えなかった。
そして、辺見の何気ない「それってどんなゲームなの?」という質問が、少女の説明欲に火を着けてしまった。さきほどからずっと、辺見へゲームの面白さを伝えようと躍起になっている。
「ネットゲームなのに、マルチシナリオ――ストーリーが分岐するってこと? それって、個人個人が見られる、上辺のストーリーの細かい展開だけが若干変化するだけで、大局は変わらないんでしょ?」
辺見は昔プレイしていたネットゲームを思い出しながら言った。
「違いますよ。例えば、どこかの街が滅ぶ、っていう展開に分岐したなら、同じサーバーで遊んでる人全員に、街が滅んだっていう状況の変化の影響が及ぶんです」
「それって、先に遊んでいた人が有利になっちゃうんじゃないの? 後から始めた人は、先に遊んでた人が作った分岐をなぞることしかできないでしょ?」
辺見の問いに、少女は首を振った。
「いえ、このゲームは、32日――だいたい1ヶ月で、シナリオが必ずエンディングを迎えるんです。で、エンディングが終わると、世界が最初の状態に戻って、そこから全員一斉に、よーいドンで、巻き戻った世界を、また攻略していくんです。毎月毎月、始まりこそ同じだけど、展開や結末が少しづつ変わるゲームを、みんなで共有しながら遊ぶって感じです」
「ははあ……」辺見は目を細めると、少し考えながら言った。「みんながみんな、絶対的に同じ行動を取らないかぎり、物語はそれまでのものとは常に違うものになる、っていうことね」
「そうですね」少女は頷いた。「それで、このゲームは2つの陣営に分かれて、相手の神様を倒すことが目的のゲームなので、その目的にむけて、各陣営が有利になるような物語の分岐を目指すんです。当然、相手の陣営はそれによって不利になるので、その分岐が起こらないように妨害するわけです」
少女はさらに、具体的にその各陣営が有利になる分岐をいくつかあげた。
たとえば、相手陣営のNPCへ、自陣営の神の奇跡を見せ背信させる、自陣営の神様の信奉者NPCを増やす分岐。
中立地帯にある鉱山を魔物から解放し、自陣営とを繋ぐ道を整備するといった、自陣営の技術力が発展するような分岐などがあるのだそうだ。
そこでふと、辺見は以前にもこんな話を誰かから聞いたことがあるのではないかと、思い始めた。
「ちょっとまって、そのゲームって、なんかオープニングで、右の手を選ぶか、左の手を選ぶか、ってやるやつじゃない?」
辺見は半年ほど前のことを思い出しながら言った。
「そうですそうです、そこで、どちらの陣営に所属するか選択するんです。
少女は激しく頷きながら、同志を見つけたような輝いた瞳でこちらを見つめている。
「あー、最初だけ、ちょっと遊んだことある……」
友人から話をきいて、興味がわいたので登録してみたが、すぐに副業――いや、本業のイラストレーターの仕事が忙しくなったので、すっかり忘れてしまっていた。
友人が以前からそのネットゲームで遊んでいたのは知っていた。ただ、どうもリアルの友人と一緒になってネットゲームを遊ぶと、リアルとゲームの境界が曖昧になって、ゲームに没入できない性格だったので、それまでずっと避けていたのだ。
ただ、あの時は、ゲームの内容をはじめて具体的に聞いて、一体全体ゲームの中はどんなことになっているのだろうと、興味がわいたのだ。
自分が登録したときは、たしかバージョンアップの直後だった。
初心者救済用のアイテムの配布がはじまったばかりで、友人がその救済アイテムを見て、羨ましがっていたのを思い出した。
3つの中からひとつ選べといわれて、選んだアイテムは、ニガヨモギの入った宝石みたいなものだった。
友人はその宝石を羨ましがったのだ。
それは、本来はある程度強くならなければ手に入らないようなものなのだという。
ただ辺見には、その宝石の性能がピンと来ず、どうせ初心者救済にくれるのなら、攻撃力が沢山あがるとか、そういう方が面白かったのにな、と思ったものだった。
あの宝石の性能は――
『ゾンビ耐性』
辺見は思い出したその言葉の響きに、薄気味悪さを感じた。
なぜそんな風に感じたのだろうか。
目の前では、少女がこちらを見つめている。
辺見は我にかえって、いま自分がなんの話をしていたのか思い出そうとした。
その時、地面がすさまじい地鳴りとともに激しく揺れ始めた。
辺見は立っていることが出来ず、屈み込みながらすぐ側の壁に体をくっつけて、頭を守った。少女も清算カウンターにへばりついて、縮こまっている。
すぐ近くでガラスが割れる音がして、少女が悲鳴をあげた。
棚から商品がこぼれ落ち、冷蔵庫の扉は開いたり閉じたりを繰り返しながら、中のペットボトルを床に落としていく。
まるで地面の下で何かが動き回っているような音と揺れが、しばらく続いた。
建物がギシギシと不気味な音を立てたが、崩れることはなかった。
永遠に続くのかとも思ったが、終わってみると、実際に揺れていたのは3分ほどだったらしい。
「大丈夫ですか!」
奥から血相を変えた少年が出てきたが、少女と辺見の2人ともが無事なことを確かめると、安心した様子でその場に座りこんだ。
「すごい揺れだったね」
辺見はまだ体が揺れているような感覚が残っていたが、ゆっくり立ち上がった。
「あ……」
少女が、天井を見上げながら、表情を硬くした。
見ると、電灯がすべて消えていた。振り返ると、冷蔵庫の中を照らしていたライトも消えている。
辺見は清算カウンターに置かれたセルフレジの画面を覗きこんだ。
これも消えている。
辺見は慌ててバックヤードに入ると、配電盤を探した。
電気が消え、窓もないため薄暗かったが、それは簡単に見つかった。
恐る恐る、ブレーカーを操作する。
しかし、電気が点く気配はない。
「あー、今の揺れで停電しちゃったのかな」
辺見は若者2人を怖がらせないように軽く言った。
が、これはかなり不味い状況ではないだろうか。しばらくの間は安全だと思っていた冷蔵品などが、一気に傷む可能性があるし、なによりこの夏のこの時期に、冷房がないというのも痛い。
とはいっても、どこからどこまでが停電しているのかも分からない今、電気があり、そして物もある場所をさがして歩き回るのは得策ではない。とりあえず、救助が来ることを祈って、ここに居るしかないのだ。
そういうわけで、とりあえず辺見は店の窓ガラスの割れてしまった場所を塞ぐことにした。このままでは、不意にサル人間が中に入ってくる可能性がある。
幸い、バックヤードにブルーシートがあったので、それで割れた箇所を目張りしていった。
3人で作業を始めてしばらくしたころだった、少年が動きを止めて言った。
「なにか聞こえませんか」
そう言われて耳を澄ますと、離れた場所で誰かが叫んでいるような声が、確かにしている。
「――誰か――けて」
その叫び声は、ロータリーの向こう側からしている。
「おーい――助け――」
すると一緒に耳を澄ましていた少女が、
「これって、もしかして、マツキヨにいた人の声?」
と、首を傾けながら言った。
少女の言う通り、声はマツモトキヨシがある方向からしている。
「そうかも。いまの地震で、何かあったのかな……」
少年が言った。
少女も少年も、顔を強張らせたまま、ロータリーの向こうを眺めていた。
おそらく、叫び声の主は、数時間前に彼女たちが助けを求めたのにもかかわらず、それに応じなかった男のものなのだろう。彼女たちも、そうだと思っているに違いない。
きっと、彼女たちは葛藤しているはずだ。
自分たちを見捨てた相手を、助けるべきかどうか。
助けてくれという叫びに応じるべきかどうか。
辺見は、自分の視線にも気づかずに、じっとロータリーの向こうに視線を向け続ける2人の横顔を見ながら、思った。
いま、この瞬間、なにが正しいのだろうか、と。
辺見には、助けを求めている男が完全に悪い人間だとも思えなかった。きっと彼は、自分の命と人助けを天秤にかけたのだ。
そして、自分の命を取っただけなのだろう。
もし、自分が見捨てられたのだとしたら、彼女たちの立場だとしたら、助けただろうか。
わからない。
わからないが――
少なくとも、実際に自分が見捨てられたわけじゃあないと、辺見は思った。
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