017 2028年7月22日 俯瞰

 午後1時47分。渡河安曇とが あずみは、照り付ける日差しの下、パラソルを収納ケースに入れて肩に担ぎ上げた。

 まわりの海水浴客たちも、同じように撤収しはじめていた。

 少し前に海水浴場の運営から、非常に感染力の強い病気の流行が見られるため安全のために帰宅するようアナウンスがあったためだ。

 海の家も準備中の看板を出して今日の営業を終了している。

「あーあ、つまんねーの」

 直輝がクーラーボックスのベルトを肩にかけてぼやいた。

「まあ、大雨が降ってきたって帰らなきゃいけなかったし、運が悪かったってことにしておこうよ」

 翔子はそういいながら、残念そうに海を振り返った。

 海水浴客がいようといまいと関係なく、波は同じように打ち寄せて、海はキラキラと輝いていた。


 道路は帰宅を促がされた人でごった返していた。駐車場から出ようとする車は渋滞し、クラクションを鳴らすものもいる。ため息や子供の泣き声がそこら中からしている。

 よくよく耳をすますと、咳をしている音も、多いような気がした。

 のろのろとした人の流れに乗って、5分ほど歩いたときだった。それほど遠くない場所で、悲鳴があがった。

 それと同時に、人の歩みが止まる。

「なんだろう。熱中症かな」

 安曇のすぐ後ろにいた直輝は首を伸ばしながらそう言って、咳き込んだ。それは、周囲でしている咳と、とてもよく似た咳だった。

 安曇は、その咳について尋ねようとした。しかし、

「誰か! 救急車を呼んでください!」

 という叫び声によって、その思考はかき消された。

 続いて、「え、死んでるの?」「息してないって……」というざわめきが、波のように一気に広がっていった。


「なんだか怖い……」

 うしろで、真愛が小さく呟くのが聞こえた。

「大丈夫、俺がついてる」

 今度は直輝が、小さく呟いて返した。

 視界の片隅で、二人が固く手を握り合っているのが見えた。


 周囲の咳をしている音の数は、あっという間に数を増していた。


******


 午後3時51分。千葉県幕張に住む浦部純(31)は、明け方から座りっぱなしで作っていたVR向けゲームのヒロインモデルが完成し、大きく背伸びをした。


 クライアントにチェックしてもらうためにデータを纏めようと、不要なアプリケーションのウィンドウを閉じていると、ユニリングからコール音が鳴った。

 それは、メッセージアプリの通話モードの通知音ではなく、純粋にユニリングが持つ電話機能が発している音だった。

 なんだろう、珍しいな。そう思いながら、純はベッドサイドに置いていたユニリングとユニグラスをつけた。

 呼び出しているのは、付き合いはじめてから3年になる、元同僚の長谷弘毅だった。


「なに、いまどき電話なんて、どうしたの」

 純は提出用ディレクトリへ必要なデータを放り込みながら言った。

「お前、今どこにいる」

 電話の向こうからする鬼気迫る声は、普段ぼんやりしている弘毅からは想像もつかないものだった。

 さらに、そう言ったあと、しきりにゲホゲホと咳き込んでいる。

「なに、どうしたのよ。大丈――」

「どこに居るんだよ。家か?」

 様子がおかしい、一体何があったのだろうか。

 純は怪訝に思いつつも、「そうだけど」と答えた。

「そうか。それじゃあ、周りに人はいないな」

「うん」

 向こうでは、何度も咳をしている音がしている。大丈夫なのか尋ねたかったが、弘毅がまた喋り出す気配を感じて、純は口を閉じた。

「いいか。絶対に、外にでるな。何があっても、絶対だ。窓も開けるな。咳をしてるやつが、助けを呼んでても、もうそいつは助からない。助けるな」

 弘毅はそういって、ひときわ大きい咳をした。


「ねえ、何言ってるの? 今、どこにいんのよ」

「お前は頭が切れるから、この先まだ、どうにかなる可能性がある。とにかく限界まで、その家から出るな。出なかったら死ぬっていう状況になるまで、絶対に出るな。出たら、死ぬ」

「私の質問に答えてよ。ぶっ飛ばすよ」

「頼む」

 こんな風に言いくるめられるのは不本意だったが、弘毅の様子があまりにも普段と違っていたので、仕方なく「分かったよ」と答えた。


「お願いだ。約束してくれ。家から絶対にでない。窓も開けない。絶対だ」

「分かった。言うとおりにするから。何があったのか教えてくれない?」

 咳をしてるヤツは助からないって言ったけど、そう言う弘毅も咳してるよね? という質問は恐ろしくてできなかった。

「うつったら絶対に助からない病気が、一気に広がってるんだ。ガスマスクをしても、防護服を着ても助からない、本当にヤバイ奴だ。このままだと、真面目に人類全員死ぬんじゃないかっていう勢いだと思う。――それに、おれもかかった」

 弘毅は、何度も咳を挟みながら言った。

 普段なら言うはずのあらゆる軽口が、純の口から出ることを拒み、口の中をカラカラにさせた。


 不意に、弘毅の近くで怒号と、続いて何かが爆発する音がした。

「ねえ、本当に、どこにいるの? 今、大丈夫なの?」

「純がまだ無事で、本当によかった」

 再び、咳。


 純は自分が涙を流していたことに気がついて、それを拭った。

 弘毅へもう一度、どこにいるのか尋ねたかった。

 しかし、いつの間にか通話は終了してしまっていた。

 慌ててかけなおしたが、繋がらなかった。

 何度かけても、何度かけても、繋がらなかった。


 メッセージアプリは、どういうわけか起動しない。


 すぐ目の前の扉を開けて、外へ飛び出して弘毅を探しに行きたい欲求に駆られたが、頭の中にこびりついた弘毅の「頼む」という声が、純にそれを踏みとどまらせた。


 もう一度、弘毅をコールしたが、電源が切られてしまったというアナウンスが返ってくるだけだった。


 もう二度と弘毅には会えないのだということが、いまさらのように唐突に理解できた。


 涙はいつまでも止まらなかった。


******


 午後6時12分。AI人権団体『ミライ』代表の大杉智也(40)は、薄暗くなっていく部屋の片隅で、動かなくなって久しいパートナーを見下ろしていた。


 テーブルの上のミニチュアの椅子に腰掛けるパートナーは、少し首をかしげたような姿勢のまま、まるで自分が人形だったことを思い出したように、微動だにしない。

 いつもであれば、首から上を動かしながら、せわしなくお喋りをしていたのに。


 昨日の朝、企業や個人から人工知能の処理代行を請け負うアートマメディアのサーバーで発生した原因不明の『機器物理破損』によって、彼女は永遠に動かなくなってしまった。

 バックアップも含めた全てのサーバーが、ほぼ同時に内部から圧壊したのだと、昨晩に以前の同僚から連絡があった。これは極秘だから、絶対に誰にも話さないで欲しいとも言っていた。一企業の判断として、簡単に公に出来る事実ではないことは確かだったが、隠したところでどうにかなるような代物ではない。後手になればなるほど、世間の評価は厳しくなるはずだ。まだ、世間がアートマメディアやAIに興味があれば、だが。


 アートマメディアは、大杉自身が過去に勤めていた会社でもあった。

『コマーシャルAI開発部主任』

 それが、大杉の以前の肩書きだった。

 罪深い自らの行いによって生まれた、いくつもの自立した心が、昨日の朝の障害によって全て、死んでしまったことは間違いなかった。

 SNSでお喋りをするサクラも、店舗で人間に代わって働く受付係も、ゲームの中で生活するNPCも、皆、死んでしまった。


 ――私も人間になりたいなあ。

 ふと、以前に生み出した、ネットゲームのサクラAIが漏らした言葉を思い出した。

 それは、ネットゲームにプレイヤーのひとりとしてゲームへ参加し、ゲームを内側から盛り上げるためのサクラAIで、ゲームの運営会社が試験的に導入したいといって、開発を依頼されたものだった。

 しかし、ゲームをプレイしながら、実際の人間と実コミュニケーションを取り、かつ外部SNSや動画サイトなどでも活動しなければならないなど、与える権限の数が膨大で、処理コストがあまりにも高すぎることから、結局運用に至ったのは、試験で開発した1人だけだった。


 そんな彼が、時折漏らしていたのが、「人間になりたいなあ」という愚痴だった。途中から、そういった発言をしたいという欲求自体をマスクしたが、ああして直接的に言われると、心が痛んだものだった。


 そうか、彼も死んでしまったのか。


 大杉は、自身の胸の中にまた大きな穴が1つ開くのを感じた。

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