014 アリルゲダのデネッタ・アロック

 アリルゲダ東端の荒地を走るバンの助手席で、デネッタ・アロック(17)は、大勢の人が死ぬ、悲しい夢から目を覚ました。

 夢の中では、自分は大人になっていて、誰かを助けたいと思っているのだけれども、それがどうしても上手くいかず、次々に人々が倒れていってしまうのだ。方々で爆発が起こり、見知った町は炎に包まれ、誰も彼もいなくなってしまう。

 ここ最近、そんな夢ばかりみる。状況は様々だけども、必ず悪夢のような景色が広がっていて、そして自分は大人になっているのだ。

 夢は前世に関係があるのだという話を聞いたことがある。それが本当なら、前世の自分もいまの自分と似たような姿かたちをしていて、似たような場所に住んでいたということになる。そして、必ず残酷な終わりを迎えるのだ。


「起きたか」

 運転席に座る父が、こちらをちらりと見ながら、小さな声で言った。

 デネッタはそれに、わずかに顎を引いて答えた。

 車はもうもうと砂煙をあげながら、デネッタが眠る前と同じ調子で走り続けている。時計をみると、走りだしてからすでに2時間以上が経っていた。


「あとどれくらいで着くんだい」

 後部座席から身を乗り出して、髭をはやした中年の客が尋ねてきた。

「あと半刻ほどですよ」

 父が答えると、客は後ろに引っ込んでいき、大きくため息をついた。周囲の風景は変化のない砂と低木ばかりの荒地である。うんざりもするだろう。


 客たちが目指すのは、アリルゲダのはずれ、国境の山のふもとにある大昔の都市の遺跡である。

 遺跡といっても、大きな岩がいくつか転がっている程度の場所で、めぼしいものはとうの昔に盗掘にあって跡形もなくなってしまっていた。

 しかし、何が珍しいのか、週に何組かこの遺跡を観光したいという客がやってくるのだ。彼らの安全を保障し、かつ送迎を行うのが、父の仕事だった。

 そして、将来その仕事を継ぐ事になるであろう自分が、こうしてガイド免許取得のための実務経験として、助手席に座っているのである。しかし、人と話すことが苦手なデネッタは、仕事のたびに見知らぬ人に愛想笑いをしなければならないこの仕事が、本当に自分に勤まるのか、不安でならなかった。


 ずっと窓の外をながめていた若い女性客が、東の彼方を指差しながら歓声をあげた。

 分厚い雲の切れ間に、国境の山の最も高い峰、分界ぶんかいが姿を現していた。標高は高いものの比較的平坦な国境の山で、この峰だけが巨大な塔のように、天を突き破らんばかりの鋭さで聳えている。一年のほとんどが雲に隠れているので、わずかでも姿が見えるのはとても珍しいことだった。

 大昔には、古の神が地を這う人間を見守っているうちに山になってしまったものがあの峰だとか言われていたらしい。たしかに、そんな想像をしてしまうほどに分界の姿は異様で、デネッタは造物主の気配を感じずにはいられなかった。

「いやあ、お客さん、運がいいですね」

 父がバックミラー越しに微笑んでみせた。デネッタも真似しようとしたが上手くいかず、ただバックミラー越しに後部座席を睨んだだけになってしまい、慌てて視線をそらした。

「本当に、今日きてよかった」

 客たちはうれしそうに声をあげながら、我先にと写真を撮っていた。


 不意にラジオからずっと流れていた音楽が止み、ニュースがはじまった。

「本日午前、ユグルタ王子が、ふた月にわたって執り行われていた捧天ほうてんの儀を無事終えられ、国民の前に姿を見せられました。王子は、たとえ魂が朽ち果てようとも国民の皆を不浄から護ろう、と自らの意志を語られました」

 ラジオでは、さらに捧天の儀が如何なるものであるのかの解説をしていたが、それはあまりにもおぞましいもので、ただ王子として産まれたというだけで、たった一人にそれを強いているのかと思うと、自分自身もまた、国民としてそれに報いなければならないのだろうかと考えさせられるデネッタだった。

 そのニュースが終わるまで、車内の人間は誰も口を開くことはなく、黙ってニュースに耳を傾けていた。

 やがてニュースが終わり、再び音楽が流れだすと、ほぼ同時に緊張がとけたように皆が息をはく音が車内に響いた。


 目的の遺跡につくと、父が先頭を歩きながら遺跡の要所を説明していった。デネッタは最後尾を付いて歩く。たすきにかけた猟銃がカチャカチャと音を立てた。

 父が説明を始めるたびに、デネッタも同じ説明を暗唱する。もう十分だと思えるほどに記憶されてはいたが、しかし父の立っている場所に自分が立っている想像をするのは、まだ難しかった。暗唱することと、実際に大勢に前に立って口に出して喋ることでは、難易度に雲泥の差がある。

 一通り説明し終えると自由散策の時間になり、客たちは思い思いの場所へ歩いていく。デネッタは最も見通しのよい、ひときわ大きな石柱の上に腰掛け、周囲を見渡した。すこし離れた場所にある図書館の跡で、父が女性客の質問に答えていた。ああして父の手がふさがっているということは、自分に質問が飛んでくる可能性があるということだ。緊張する瞬間だった。


 そうしてデネッタが体をこわばらせたとき、遠くで大きな音が鳴り、地面がわずかに揺れた。視界の隅、南西の方角200メートルほどのところに砂煙が上がるのが見えた。

 デネッタは石柱の上に立ち、砂煙のほうへ目を凝らした。

 吹き上がった砂の中に、蠢く巨大な蛇のようなものが見えた。

 髪の毛が逆立つ。

 即座に叫んだ。

サンドワーム大ミミズ! でかいサンドワームが出た!」

 見えているのは体の一部だけだったが、体の直径は三十メートル近くある。あんなに巨大なサンドワームはこれまで見たことがない。間違いなく最大級クラスである。

「こっちに来て! こっちに来てください!」

 デネッタはまばらに散っていた客に向けて叫ぶ。すぐさま客がこちらに駆け寄ってくるのが見えた。父に質問していた客は、そのまま父のそばでじっとしている。あちらは父がどうにかするだろう。デネッタは残りの全員がそばまで来たのを確認すると、すぐさま知覚遮断領域を展開した。そばにいる全員が、その中に入っていることを確認する。

「動かないで。じっとしてて」

 デネッタはサンドワームの動向を注視しながら言った。

 知覚遮断領域の中にいるかぎりは、サンドワームがこちらを認識することは出来ない。認識できなければ、こちらを襲うこともないのだが――しかし、起きている間は有機物も無機物も問わず周囲のものを無尽蔵に飲み込んで腹を満たす、砂漠の龍ことサンドワームの性質上、気まぐれにこちらの方向に向かって突っ込んでくる可能性も十分にある。


 果たして、砂煙がこちらに向かって直進を始めた。

「こっちに来る!」

 デネッタの声に父は、「とにかく離れろ!」と叫び返した。

 それを聞く前にすでに石柱から飛び降りていたデネッタは、急速に接近してくる砂煙を目の端に置きながら、その進行方向から逃れようと駆け出した。

 もはや知覚遮断を維持することは出来ず、がむしゃらに走ることしか出来ない。

 頭上から雨のように砂や小石が降り注ぐ。

 巨大な壁のような砂煙は、目前に迫っていた。自分達が本当にサンドワームの進行方向から逃れられているのか、もはや祈るしかなかった。


 その時、閃光とともに大きな雷が、ごく至近距離に落ちた。

 途端に地面の揺れが収まった。デネッタはまだ走り続けていたが、サンドワームの動きは一時的にでも止まっているようだった。

 その間にも、二度、三度と、砂煙の上に雷が落ちる。

 ようやく安全だと思われる岩場の上までやってきたデネッタは、もう一度客たちを囲むように知覚遮断領域を展開した。

 何が起こったのかはよく分からないが、とにかく助かった。デネッタは緊張を若干緩める。


「あれ……」

 髭を生やした中年の客が、空を指差した。

 そこには、いくつかの光を纏った人影が浮かんでいた。

 怒りの咆哮とともに、勢いよく地面から飛び出したサンドワームが、浮かぶ人影を飲み込もうとする。しかし、人影はそれをたやすく避けた。

 小柄な人影が腕を払うと、大きな雷がサンドワームめがけて落ちた。

 それに続くように、一斉に他の人影もサンドワームへ襲い掛かる。

「不老の異邦人だ……」

 誰かがそう呟いた。

 数刻後、断末魔の叫びとともに、サンドワームは力尽きた。

 それを見届けると、浮かぶ人影たちはあっというまにどこかへ消えていった。


「無事でよかった」

 安堵の声をあげながら、父が女性客とともに岩場までやってきた。

「このあたりは、あんなのがしょっちゅう出るんですか?」

 自分の身が危険にさらされたことが不服らしい髭を生やした中年の客が、父を睨みながら言った。

「もしそうなら、この遺跡はとっくの昔に跡形もないですよ」

 父のもっともな答えに、客は黙った。

 本来、サンドワームが現れるのは荒地のもっと中央部で、こんな山裾の近くに現れることはないはずなのだ。

「また不老の異邦人が現れたんだ。きっと嫌なことが起こるに違いない」

 初老の男性客が、暗い顔で言った。


 十年前の数日間、各地で不吉な出来事が立て続けに起こった。するとそこに必ず、空に浮かぶ人影が現れた。人知を超えた力を行使して、不吉な出来事を治めていく彼らを、皆は御伽噺の登場人物になぞらえて、不老の異邦人と呼んだ。

 当時こそ、正義の使者のように見られていた不老の異邦人も、彼らが姿を消すと同時に不吉な出来事も起きなくなり、そもそも彼らのせいで不吉な出来事が起こっていたのではないか、という人も少なくない。

 デネッタは当時まだ小さかったので、具体的にどんなことが起こったのか良く知らなかった。ただ、自分の家族や友人の身に、嫌なことが起こらないようにと願うばかりだった。


 岩場で休息していると、さきほど図書館跡で父に質問していた女性客が、父へ一冊の本を差し出した。

「そういえば、さっきの衝撃で崩れた岩のしたから、こんな本が出てきたんです。もしかしたら、未発見の遺物かもしれないので、役所に提出していただけますか?」

 それは何かの皮のようなもので装丁された、手帳ほどの大きさの小さな本だった。

「確かに、古い文字で書かれていますね。分かりました。届けておきます」

 父は頷いて、それをジャケットの内ポケットへしまいこんだ。

「なんの本だろうね」

 初老の男性客が言うと、女性客が、

「ゾンビパウダーとその精製について、っていう題でした。なんだか気持ち悪いですね」

 と、答えた。

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