008 2028年7月21日 片桐隆臣
午後1時24分。探偵の
「今日は日が悪いですし、また後日ということでも」
先日受けた人探しの、探し人について情報を持っていると思われる大学生と13時に待ち合わせていたのだが、やってくる気配がない。向こうは、初対面の相手に会っている場合ではないくらいに慌てているのかもしれないので、仕方のないことなのだが。
いつもであれば、事務所を出るときに前もって約束をすっぽかされないように念押しの一言――「約束は今日の13時でしたよね」だとか、「北口のベローチェにいますので」といったメッセージをわざわざ送るのだが、今日に限ってそれを忘れてしまっていた。
別にこのあと予定があるわけでもないのだが、しかし来る気配のない人間を待つほど時間を無駄にしたいわけでもない。片桐は残ったカフェラテとクッキーを一気に飲み込んで席を立った。
はじめに連絡を取ったとき、住んでいるアパートの名前は聞いていた。ただ、相手の家が綺麗かどうかなんて分からないので、出来る限り潔癖でありたい片桐は、喫茶店での待ち合わせを提案したのだ。
しかし、今回は諦めて、直接相手の家に行ってみるしかあるまい。
片桐はすでに検索していたアパートへのルートを表示させながら、歩き出した。
駅前では、AI人権団体とかいう集団が、チラシを配っていた。この炎天下の中ご苦労なことである。さっき駅に降りたときから、ずっと同じ調子でシュプレヒコールをあげている。
「人工知能は、人間の欲求を満たすおもちゃなんかじゃありません! 心も魂もある、私達と同じ人間なのです!」
集団の中で、ひときわ大きな声をあげている若い男の顔に、見覚えがあった。今年頭にあった都知事選にイロモノ枠として出馬していた、大杉智也だ。
ネットで話題になって、政見放送がSNSでも拡散されたりしていた。放送のなかで、大杉はAIの代弁者だとかいう、対話型AIを搭載したアニメキャラのフィギュアと一緒に現れて、AIは人間に虐げられていると思うかどうかだとか、アニメフィギュアと延々会話をしているものだった。片桐には、それはどうみてもただの人形劇にしか見えなかった。
「AIは、ただの宣伝のための道具ではありません! ただの性的欲求を満たすためだけの慰み者ではありません! 数ヶ月、数日だけ生きるためだけに、自我をもって生まれてきたわけではないのです!」
宣伝と聞いて、片桐は以前にみたニュースのことを思い出した。SNSでサクラとして人工知能が書き込みを行い、人気のないテレビ番組が、まるで流行っているかのように見せかけるようなステルスマーケティングがあるというのだ。
その書き込みはあらかじめ用意されたものをボットがランダム出力するだけの、シンプルな旧式のものではなく、まるで生きた人間が日常生活をしながら感想を言っているようなものだった。
21歳大学生美容院受付の女の子が、今日は仕事で嫌なことがあった、だとか、今日たべたお菓子がおいしかった、だとかいいながら、対象の番組をやっている時間に盛り上がってテンションが上がっている書き込みをしている、体裁を成したAIなのだ。
その番組が好きな21歳美容院受付の女の子というパラメータを持ったプログラムが、首尾一貫して破綻のない日常生活を行っているという体裁の文章を自ら考え作成して書き込んでいるのだ。
さらに、そのAI同士で友達関係が築かれていて、ごく自然にそのAIたちと、明日映画に行こう、だとか、この間はごめんね、だとかいった会話をすることで、あたかも自分達が実在する人間であるように振舞うのだ。その書き込みは、片桐にはまったく人工知能だとかいった機械的なものが書き込んでいるようには見えず、薄気味悪さを感じたのを覚えている。
そのときはそれだけの感想しか抱かなかった。
しかし、たしかに番組が終われば、そのAIはお役御免なのだ。それまで、主観として大学生活をしていたはずのAIは、そこで死んでしまうということになるのだろうか。
片桐には、AIのデータを削除されることと、人間が死ぬことが全く同じだとは思えなかった。しかし、多少可哀想かもしれないな、とは思うものだった。そういう意味では、大声を上げている大杉たちの言っていることも、理解できないではない。ただ、一緒になって叫びたいとは微塵も思わなかった。
「1人1ヶ月5000円などと値段を付けられて、刹那的に使い捨てられていく彼らAIを救えるのは、私達人間しかいないのです! AIはただの道具だなどという、誤った価値観がこれ以上世に定着してしまう前に、改める必要があるのです!」
駅前を行き交う人々は、だれもその声に耳を傾けている様子ではなかったが、それでも大杉たちは叫び続けていた。
小さな公園を通り過ぎると、目的のアパートが見えてきた。同時に、どうやらアパートで何か事件が起こっているらしいことも、遠巻きながら分かった。アパートの二階廊下の奥の部分にはブルーシートがかけられ、警官が二人、立っていた。
今日会う予定だった篠崎陸の部屋は205号室。手前から201号室、202号室、と並んでいるのなら、あのブルーシートがかかっている辺りが205号室ということになるのではないか。
アパートへ近づきながら軽く検索をかけると、どうやら今朝方、ここで爆発があったらしいことが分かった。同時に、会う予定だった篠崎陸が室内で死体となって発見されたということも、ニュースサイトで記事になっていた。
アパートの前に立っている警官に、見知った顔はなかった。片桐はなにくわぬ顔でアパートの前を通りすぎ、振り返りながらアパートの裏手を見上げた。205号室の窓は締め切られ、中は薄暗くカーテンが動く気配もない。警官の一人は、予断なく片桐に視線を向けている。
話しかけたところで、情報を引き出せる可能性は限りなく低い。逆に疑われては面倒だ。片桐はアパートから離れた。
しかし、珍しい事件のわりにはテレビ局などが来ていないな、と思っていると、ネット上では同じような事件が各地で起こっていることが話題になっていた。都内だけでも十件近く、今朝の同時刻に起こっているらしいことがわかった。いずれも、爆発と、頭部に強い衝撃を受けた死体が発見される、というキーワードが一致していた。
そんな事件が、関連性もなく偶然に起こるはずはない。間違いなくすべて、同じ原因によって起こった事件だろう。
もしかしたら、この死者のなかに、探している鈴木裕明がいるのかもしれない。可能性はゼロではないはずだ。
「家出した息子を探してほしい」
そう依頼をしてきたのは、四十半ばほどの、身奇麗な女だった。
五年ほど前に、親子喧嘩をしたのをきっかけに家出をしてしまい、方々を探したがみつからなかったのだという。しかし、最近になってネットで元気にしている息子の写真を見かけたので、どうにかして息子と直接コンタクトが取れないか、というのだ。
片桐は、あまりのうそ臭さに笑いたくなるのを堪え、神妙な顔をして女の話を聞いていた。そんなもの警察に捜索願いを出せばいいことだし、捜索願も出さずに五年も放っておくというのも妙な話である。ネット上で活動しているのが分かっているのなら自分からコンタクトを取ればいい訳だし、よしんばそういうことが出来ない、難しい間柄だったとして――女の態度が、あまりにも必死さに欠けていた。
例えば、息子を愛していなくてもいい。家族の名誉を傷つけた息子に制裁を加えたいから、見つけてほしいのかもしれない。理由は何だっていいが、片桐のような場末の探偵に金を払って依頼をしようなどという場合、人間は必ず、どこかしらに必死さを纏うものなのだ。言葉に表さなくても、悲哀や疲労や怒りを内包した、どうにかしてやり遂げたい、という心が、目に見えない力となって外側に発散されているのである。
しかし、この女にはそれが無かった。
どこかよそよそしく、まるで自分のことではない事情を、事務的に説明しているようにしか見えないのだ。
おそらくそうなのだろう。これは女にとって、他人事なのだ。さらに別の人間から依頼されたことを、そのまま左から右に説明しているのだろう。
「本名を申し上げることは出来ないのですが、ネット上では現在、鈴木裕明、として活動しているようです」
そう言って、女はプリントされた写真を一枚、テーブルの上に出した。
それは、二十歳前後の茶髪の男を写したものだった。東京湾と思わしき海を背景に一人で写っている。楽しげに微笑みながら、こちらにピースサインを向けていた。
片桐は写真から目を離すと、「昔の写真はないんですか?」と聞いた。
「ありません。写真は夫が、全て捨ててしまいました」
女は、それが悲しいことだ、というわけでもなく、腹立たしいことだ、というわけでもなく、否定した。
「こちらが、現在息子が活動している、SNSのアカウントです」
女は持参してきたタブレットをこちらに向けた。
それは、アニマ・ムンディというネットゲームの公式オンラインコミュニティ上に作成されたアカウントだった。
しかし、そこに表示されているのはプレイヤー名で、『アカ・マナフ』としか書かれていない。名前の横に、仰々しい勲章のようなアイコンが描かれていて、中に『ワールドMVPギルドリーダー』とある。どうやら手練のプレイヤーのようだ。
少しスクロールすると、プレイヤー名とは別にアカウント名があり、そこに『鈴木裕明』と記されていた。
プロフィール欄には、
「祝! 23期連続勝利&MVP! すべてギルドのみんなの頑張りのお陰です! こんなメンバーに出会えて、僕は本当に幸せです! 僕を幸せにしてくれたみんなを、僕は絶対に幸せにしてみせます! 24期目も頑張るぞ! 頑張ろう!」
と、最近の意気込みのようなものが書かれている。片桐はこのゲームが一体どんなスタイルのゲームなのかさっぱり知らないので、23期連続、というのがどの程度の凄さなのかはピンとこなかった。
さらにコミュニティには日記を投稿できるようになっており、そこにはゲームでの出来事を綴ったものと、現実での出来事を綴ったものが混在しながら書かれていた。
どうやら、学生でもなければ就職していない、フリーターかニートであるらしく、ゲームには毎日相当な時間ログインしているようだった。まあ、そうでもなければ、連続MVPなどという成績は残せないのだろう。なので、必然的に現実に関する日記は数が少なかったが、それでも数ヶ月に1度程度のペースでは記されていた。
その、最も古い3年前の日記に、先ほど見せられた写真が投稿されていた。
「友達とお台場に遊びにきた! 天気が良くてよかった! このあとガンダム見る!」
と、非常に簡単なコメントが添えられている。
日記に投稿されている写真だけを、一覧表示させても、現実に関する写真はそれだけだった。
「なるほど」
片桐はタブレットを女へ返した。
「それで、どうでしょう、調べていただけますか?」
女はわずかに身を乗り出しながら尋ねた。
そこで、片桐はとりあえず聞いても差し支えなさそうな疑問、警察に捜索願は出したのか、だとか、どうして直接、あのコミュニティで連絡を取らないのか、だとかいったものを投げかけた。
「警察へは、事情があって、捜索依頼を出していないのです。学校には、引きこもってしまったということになっています。直接連絡を取らないのは、家族だと分かったら、絶対に返答を返さないだろうし、今居る場所からも逃げてしまって、また居場所が分からなくなってしまうからです」
女は言いよどむことなく答えた。
なるほど、言われれば確かに、頷きたくなるような答えである。
例えば、これがネット上でチャットなどの文字を介してやりとりしていたのなら、疑わなかったかもしれない。しかし、こうして顔を突き合わせていると、どうしても相手が嘘をついているというのが、分かってしまうのだ。必死さどうの以前に、ごく単純な、視線の動きと呼吸のタイミングとで、純粋に嘘をついているということが、片桐には判別できた。
なので、片桐はこの依頼を断るつもりでいた。いくら自分がワンマンで活動している、底辺探偵だとしても、背景事情の不鮮明な案件を受けるのは、あまりにもリスクが大きすぎるからだ。既に、この話を聞いた時点で不味い状況に置かれている可能性もゼロではないのだが。
「あの、とりあえず一週間、調べていただいて、難しそうでしたら、断っていただいて結構ですので。こちら、一週間分の調査費用です」
女はそういうと、封筒を片桐へ差し出した。片桐は失礼、といって受け取った封筒を覗き込んだ。そこには、この事務所の賃貸料にして3ヶ月分以上が入っていた。それは最近ろくな依頼に恵まれていない片桐にとって、喉から手が出るほど欲しいものだった。
「いやいや、ちょっと待ってください、こんなに貰うわけには……」
片桐はそう言って、封筒を返そうとした。実際はそんなことをせず、「かしこまりました、おまかせください!」と、二つ返事で懐にしまいこみたかったところだが、多少の理性を働かせて、それを封じ込めた。
「いいんです。私達、本当に息子にもういちど会いたいだけなんです。ですが、どこでも受けて頂けなくて……。片桐さんだけが、最後の希望なんです」
女はここでようやく、涙を流しながらそれをハンカチで拭いた。
片桐は、そんな女の様子を同情するような顔で見つめながら、頭の中で天秤をフル稼働させていた。様々なものを右と左に乗っけては量り、何が最善なのかを必死に考えた。
こいつは嘘をついている。一体何を隠しているのか分からない。気味が悪い。
でも、とりあえず受けて一週間後に断っても、3ヶ月分の家賃は払える。
少なくとも、依頼の真意くらいは聞いておくべきじゃないのか。
でも、とりあえず受けて一週間後に断っても、3か月分の家賃は払える。
おれはどうして探偵になったのだ。困った人を助けたかったからだろう。決して嘘つきを助けたかったわけじゃあ、ないはずだ。
でも、今回はとりあえず受けておけば、3か月分の家賃は払える。
この依頼が危険な可能性もゼロではないが、そうではない可能性も同時にゼロではないのだ。
よし。
片桐の腹は決まった。
――しかし、そうして依頼を受けてはみたものの、鈴木裕明についてはどれだけ検索しても、ゲーム以外の活動は分からなかった。別のSNSのアカウントなども見つからないし、日記の中に自身の過去についてつながりそうなことを書いている、ということもなかった。
そういうわけで、鈴木裕明と同じギルドに所属し、古株であり、軽そうで、かつメールアドレスを記載していた篠崎陸に目をつけた片桐は、自身をゲームサイトのライターと偽り、取材を申し込んだのだった。
遠まわしではあるが、直接鈴木裕明のことを聞きたいなどと言えば、篠崎から鈴木へ「誰かがお前を探している」という話が行き、高飛びされてしまう可能性が高い。一週間後に断るつもりでも、さすがにそんな仕事はしたくない片桐だった。
依頼を受けた当日に、そうしてメールを送り、チャットIDを交換した片桐は、二日後に会う約束をすると、そのまま睡眠時間を削って、アニマ・ムンディについてとにかく調べ続けた。プレイ動画をいくつも視聴し、攻略サイトの内容を暗記し、サービス開始当時の話題、多少古い話題、最近の話題を区別できるようにし、少なくともある程度は知ったかが出来るように、自身を偽装した。16日間無料プレイというのがあったので、とりあえず遊んでみたりもした。
だから、今朝からアニマ・ムンディのゲームサーバーが落ちていることも知っていたし、キャラデータが消えたかもしれないという、大惨事が発生している可能性も噂されていることも知っていた。
そんな相手に、どんな言葉をかけるべきかも、いくつか考えていた片桐だったが、そんな苦労も、水泡に帰してしまった。
先ほどと同じ喫茶店に入り、ネットを見ていた片桐は、現状を飲み込めずにいた。
篠崎陸と同じように、今朝方、爆発事故を起こした現場で発見された遺体の多くが、鈴木裕明のギルド「ナムイ・ラー」に所属する人間だったのだ。
いまはまだ、多くの、という表現が用いられているが、ここまで来ると全ての人物が同じギルドの人間だったということになっていくだろう。世の中に、偶然、などということはほとんど起こらないからだ。何かしら必要があって、事は起こるものだ。
そうなると、問題の鈴木裕明もやはり、死んでしまっている可能性もある。
片桐はゲームのオンラインコミュニティを開くと、アカ・マナフこと鈴木裕明のページにアクセスした。もし今生きているのなら、何かしらコメントを残しているのではないかと思ったからだ。
すると、つい先ほどになる14時過ぎに、最新の日記が一件、投稿されていた。
事故が起こっているのは、すべて今朝の5時半から6時にかけてである。14時に書き込んでいる、ということは、鈴木裕明は生きているということなのか。
片桐は、その日記を開いた。
途端に飛び込んできた文字に、片桐は強烈な寒気を覚えた。
一体どういう意図で、それを書いたのかは分からない。
しかし、意図はわからずとも、その文字の中に、強い悪意が込められていることが、片桐には分かった。
そこには、巨大な赤いフォントで、たった一文字だけ。
「笑」
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