006 2028年7月21日 渡河安曇 2

 渡河安曇とが あずみたち小旅行のメンバーが鶴岡八幡宮の階段を上っていると、少し前を歩いていた岩代真愛が、後ろを振り返って声をあげた。

「ねえ、海が見えるよ」

 そう言われて振り返ると、階段から一直線に続く段葛だんかづらのずっと向こう側に、雲ひとつない空から照りつける太陽を反射して、水面がきらめいている。

「いいねえ! お参りなんか早く終わらせて、海行こうぜ海!」

 額に汗を浮き上がらせた堀直輝が言った。直輝は、登山にでも行くのかと言うような大きなリュックを背負いなおす。一体あの中には何が入っているのか。メンバー全員がずっと気にしていることではあったのだが、あえて誰も聞かないでいた。

「海に行くのは明日だからね! 今は我慢してください!」

 この計画を具体的に立てた清水翔子が、直輝をひと睨みした。これから向かう翔子の祖母の家のすぐ近くが、海水浴場だという話からこの旅行が持ち上がったのだ。

「それにしてもすごい人の数だよね。鎌倉なんてもっとショボい所だと思ってたよ」

 佐上雄太が周囲を見渡しながら言った。雄太の言うとおり、鎌倉駅からずっと、前を歩く人の背中を意識しなければ歩けないほどに人でごった返している。いまは夏休みだから、ということもあるのだろうが、外国人の姿も多く、普段もかなり混んでいそうだ。東京から電車一本で一時間もかけずに来られる手軽さが人気の要因なのだろう。


 階段を上りきり、漫然と形成された列に並んで、賽銭を投げ入る。

 子供の頃から、神社参りなどほとんどしたことのない安曇には、それはとても特別な行為であるように思え、妙に背筋が伸び、身体が緊張してしまった。

 何をお願いするかなんて全く考えていなかったが、手を合わせ目をつむると、自然と自分の願いが心の底から沸きあがってきた。

 こんなことを願ったって、何も変わりはしないと分かってはいたが、それでも願わずにはいられなかった。

 目を開けると、既に友人たちの姿はなく、振り返ると少し離れた場所で翔子が手を振っていた。

「随分長いことお願いしてたな、安曇。なにをお願いしたんだ?」

 直輝に聞かれて、安曇は、「まあ、いろいろね」とはぐらかした。

「私はね、、ってお願いしたよ」

 それが包み隠さない本心なのだろう、というのが伝わってくるような、屈託のない笑みを浮かべて、翔子は言った。

「まあ、おれもおんなじようなこと、お願いしたかな」

 直輝はおどけたような顔をしながら言った。

 それに対して、真愛が、「とってつけたように言ったって、嘘くさいだけなんだよね」と突っ込んだ。

 みんなと一緒になって笑いながら安曇は、、というのは具体的に一体いつまでのことを指すのだろうか、と思った。


 昼過ぎ、六人はどうにか座ることのできたマクドナルドの椅子によりかかって、ぐったりとしていた。

 折角鎌倉に行くのだから、鶴岡八幡宮と銭洗弁天くらいは行くべきだろう、という予定を愚直に実行した結果、炎天下、思いのほか遠い銭洗弁天までの行き帰りで、全員が疲れきってしまったのだ。

「やっぱり、荷物はロッカーに預ければよかったね」

 真愛は並べて置かれた全員分の荷物を睨んで言った。

「ばあちゃんがね、鎌倉観光するんなら、荷物は前もって送ってもいいよ、って言ってたんだよね……」

 翔子は、いまさらだけど、と言った。

 それを聞いて、ひと際大きい荷物をロバのように必死に背負っていた直輝が、マジか、と呟いた。


「古川さん、顔色悪いけど、大丈夫?」

 鎌倉に着いてからも、ほとんど口を利いていない古川理沙へ、正面に座っていた雄太が尋ねた。

 すると、突然話しかけられたことに驚いた理沙が、目をパチパチさせながら雄太に焦点を合わせた。おそらくユニコンタクトでネットを見ていたのだろう。

「え、うん、大丈夫だよ、ごめんね」

 理沙はしどろもどろになりながら応じた。

 飲み終わってしまったカップにささったストローを咥えたまま、薄らぼんやりしていた安曇は、理沙に話題が移ったことで思い出したことがあった。

「そういえば、古川さんってまだあのゲームやってるの」

 安曇は、先月まで自分も遊んでいたゲームを、このクラスメートである理沙も遊んでいたことを知っていた。正直なところ、あのゲームのことはあまり思い出したくない安曇だったが、元気のない理沙が少しでも会話に入れれば、と思って振ってみた。

「あれ、そうか、渡河くんはもうやってないんだっけ」

 理沙の問いに、安曇は頷いて返した。

「それってなんだっけ、戦争するゲームだっけ」

 以前、ゲームのことを話したことがあった直樹が、思い出すように言った。

「そう、32日間かけて、1000人対1000人で戦争するゲーム」理沙が、ものすごくざっくりとしたゲームの説明をした。「私、そのゲームやってるんだけど、なんだか今朝からゲームが落ちてるらしくて」

「サーバー落ちってこと?」

 安曇が遊んでいたときには、サーバー落ちなんて起こったことがなかったので、だとすればとても珍しいことだ。

「それがね、なんか開発者っぽい人が、キャラデータがバックアップも含めて全部消えたかもしれない、って言ってるんだって」

 理沙は不安げな顔をしながら言った。

 5年以上サービスが続いているゲームだ、もしもサービス開始のころから遊んでいるのであれば、あんな風に元気がなくなるのも理解できる。

「うわあ、それはヤバいね」

 雄太は同情するような顔を浮かべたが、ゲームをほとんどやらない彼に、あのゲームのキャラが消えたかもしれないというショックが、どの程度伝わっているのかは不明だった。

「理沙のやってたゲーム、なんて名前だっけ」

 少し興味があるのか、右手をキーを叩く格好にして真愛が尋ねた。

「アニマ・ムンディっていうネットゲームだよ」

 理沙が答えた。

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