004 2028年7月21日 渡河安曇
品川区に住む
時計は5時55分を指している。目覚ましをセットしたのは6時。安曇は身体を起こして、目覚ましを解除した。
枕元に置いていた
安曇は直輝へ、起きろ、と一言メッセージを残す。
家の中で起きているのはまだ自分だけだった。普段であれば一番遅く起きてくるのは安曇だったので、明るいうちから静まりかえっている室内に、なんだか新鮮な気分に浸りながら、テレビをつけた。
顔を洗って、歯を磨く。残っていたシリアルを皿に出して、牛乳を注がずにそのままバリバリ食べていると、母が起きてきた。
「冷蔵庫に昨日のサラダがあるわよ」
目を擦りながらそういうと、洗面所へ入っていった。
安曇は、既に甘いものが入った口に、サラダを突っ込む気分ではなかったので、聞かなかったことにしてシリアルの残りを飲み下した。
直輝からの返答はいまだに無い。安曇は直輝を直接コールした。しかし、10回呼び出し音が鳴っても、直輝が出ることはなかった。
テレビでは天気予報士が、今日は朝から夜まで晴天のはずだったのに、今は雷雨ですね、と困り顔で傘をさしている。
窓の外ではまばらな雨が窓ガラスを打っていた。旅行カバンと一緒に傘を持って出るのは邪魔臭い。通り雨ならさっさと止んでほしいところだ。
着替えを済ませると母が、紙袋をずいとこちらへ渡してきた。
「これ、清水さんに渡すの、忘れないでよ」
それは、これから宿泊する清水翔子の家族に渡す、手土産の東京ばな奈だ。これなら、あまりにもありふれ過ぎているから、逆に誰とも被らないだろう、という理論のもとに選択された、面白みのかけらもない土産物である。
「分かってるよ」
安曇はため息まじりにそれを受け取る。雨に濡れても問題ないように、紙袋はビニールの外装の中に入れられている。
「あんたなら大丈夫だろうけど、女の子に変なことしないように」
母は、この小旅行が決まったときから口をすっぱくして言っている文句を、再度繰り返した。
「分かってるよ」
安曇も、同じ返事を繰り返した。
テレビで時刻が6時半になったことを告げた。直輝を再度コールする。これで出ないようなら、家の電話を鳴らす必要がありそうだ。
が、その心配の必要も無く、直輝は4度目のコール音で電話口に出た。
「あー、あー……。全然、寝てない……」
直輝は寝ぼけた声を絞り出しながら言った。
「うん、二度寝すんなよ」
安曇はそう言って、電話を切った。
2日分の着替えが入って膨らんだバックパックを背負って外に出ると、既に雨は止んでおり、雲の切れ間から青空が見えていた。
品川駅へ向かって歩き出して間もなく、消防車がサイレンを鳴らしながら南へ向かって走っていった。続いて、救急車が2台同じ方向へ走り去る。
何か事件だろうか。安曇はこの辺りで今発生している事件がないか、検索してみた。
左手の指の動きを、左手首にしている細い金属性のブレスレット、ユニリングが検知して、文字が入力される。それが、ユニグラス上に表示されていく。
わずかに手首を捻る動きで、検索が実行される。
すると、グラス上に直近のネットユーザーのあらゆるSNSへの書き込みがいくつか表示される。
「新馬場駅近くのアパートで爆発事故があったっぽい」
「小学校裏のアパートでガス爆発#新馬場」
といったような書き込みが現れた。一緒に写真を投稿されているものもある。確かに、アパート一階で一室の扉が激しく吹き飛ばされ、壁の一部が崩れている。写真の投稿主は、「燃えてないから、ガス爆発じゃないっぽい?」とコメントをつけている。
検索結果は留まるところを知らずに下方に向かって表示を続けている。爆発の原因なり、原因をつくった人物なりについての書き込みがない物かと、それらを流し見していく。既に、表示されている項目は、最初に安曇が設定した、『今 近く 事件』の結果に対して、安曇が満足したと認識した検索AIによって、詳細/拡大検索された結果に遷移しつつあった。
一昔前であれば、こういった結果は往々にして役に立たない情報だったと父が言っていたが、今ではまるで自分の考えを先読みするようにずらずらと表示されるために、検索の止め時を失ってしまう。
とはいっても、出てくるのはほとんど「近くで事故があったって友達がうるさい」だとか、「よく分からないけどパトカーと消防車がたくさん来てる」程度のものである。特に目を引くような情報は見当たらなかった。
発生したばかりでは、こんなものなのかもしれない。ちょっと待てば、動画なんかが上がりはじめるはずだ。
そろそろ切り上げようかと思ったとき、目の端に気になる一文が見えた。
「鎧を着た人が部屋を爆発させて、住んでた人を殺しちゃったらしい。パジャマのおじさんが騒いでる」
それは、荻窪からの書き込みだった。
新馬場の事故について、荻窪で書き込んだということだろうか。安曇は疑問に思いつつ、そのユーザーの前後の書き込みを読んでみる。すると、その10分ほど前の5時50分ごろに、
「すごい爆発音で目が覚めちゃった。雷のせい?」
と、同じく荻窪から書き込んでいる。
爆発事故が、似たような時間に別の場所で起こったらしい。珍しいこともあるものだ。しかも、荻窪のほうは殺人まで起きている。これはしばらくニュースで騒ぎそうだ。そんな風に思いつつ、他の検索結果を眺めていくと、東京の新馬場、荻窪のほかにも、横浜や神戸といった場所でも、部屋の一室が爆発して、住人が死んだりしていて、さらに鎧を着たような人影が目撃された、というような書き込みがあった。どれも、大体今朝の5時半から6時の間に起きているのだという。
一体、何が原因だと、こんなことが同時多発的に起こるのだろうか。
安曇があれこれ考えながら歩いていると、赤信号を告げる警告が画面上に現れ、慌てて足を止めた。目の前をトラックが通り過ぎて行った。
結局、直輝は約束の時間に10分遅れて現れた。
「いやあ、寝るつもりはなかったんだけどなー」
短く刈り上げた頭をかきながら、直輝は「メンゴ!」と頭を下げた。
「まあ、もっと遅刻してくると思ってたから、及第点なんじゃない」
安曇と同じくユニグラスを身につけた、多少神経質そうな顔をしている岩代真愛が言った。彼女も直輝と同じく、安曇の中学からの腐れ縁である。
「次の横須賀線は8分後だって。とりあえず電車、乗っちゃおうよ」
電光掲示板を眺めていた清水翔子が言った。そのままランニングにでも行くのかと言うようなラフな格好をしている。あの格好が彼女の普通なのだろうか。彼女とは2年になってから知り合った仲なので、あまり詳しくは知らないのだ。
改札を通って下りの横須賀線ホームへ向かう。平日の朝8時前、ホームは混み合っている。こういうとき、自分が大人になったら夏休みなんてものはないんだな、ということを思い知るものだ。漠然と嫌な気分になって、安曇は関係ない話をすることにした。
「今朝さ、新馬場の駅の近くで爆発あったらしいけど、知ってる?」
すると、ずっと眠そうな顔をしながらふらふらしていた、ぼさぼさ頭の佐上雄太が、
「それ、俺んちの近所だよ」
と、言い出した。
「爆発って、やばくない? 大丈夫だったの?」と、翔子。
「いやあ、よくわかんねぇけど、消防車とか救急車とか、沢山きてたなぁ」
5年くらい前の出来事を思い出すような調子で、雄太は言った。
「怖いね。怪我した人とか、いなかったの?」
真愛が少し怯えたような顔をした。
「うーん、どうだったんだろうね」
雄太はそのあたりについてはまったく興味がないといった様子で、首をかしげた。
安曇は事件のその後について調べてみようと、検索語を入力しようとした。しかし、それより早く、
「一人、死んでるって。その部屋に住んでた人」
集合してからというもの、具合の悪そうな顔で黙っていた古川理沙が、ぽつりと口を開いた。左手首をしきりに動かしているあたり、まだ何かを調べている様子である。
「それって、やっぱり爆発に巻き込まれたのかね」
直輝は眉間にしわを寄せて言った。
「それ以外、なくない?」
翔子はそう言ってから、「なんか怖くなりそうだから、この話は終わり!」と、両腕を大きく広げて言った。
それっきり、この話題が六人の間にあがることは無かった。
待っていた下りの横須賀線は、線路内への人立ち入りのせいで数分遅れてやってきた。
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