問題編 後編

「では、次は吾輩が行くであります」シャンタルはそう言って、バルコニーを出て行った。

「そういや、自分たちの部屋って、離れたところにあるっすよね。自分は城の南東端。シャンタルは西辺中央。パトリスは東辺中央。

 これって、なぜっすか? たしか、それぞれが泊まる客室を選んだのって、パトリスっすよね?」

「せやで。占術師の友人に、うちと天一さんとシャンタルさんを占ってもらって、城中央を起点とした、最適な方角を教えてもらったんや。それで、その位置の客室を選んだんや」

「そうだったっすか」

「でも、うちに限っては、失敗したかもしれへんなあ。『入り口に茶色いものが置かれている部屋を選ぶべき。逆に青色は避けるべき』って言われとって。前、王城に来た時、部屋の扉はすべて木製で、茶色だったから安心しとったんやけど。まさかうちの部屋の扉だけ、装飾の関係で、数日前、真っ青に塗り変えられとったなんて」

 その後も、天一とパトリスは、饒舌に談笑し続けた。シャンタルが帰ってきたのは、彼女が出て行ってから二十分弱過ぎた後だった。

「じゃあ、最後にうちが行くわ」パトリスはそう言って、バルコニーを出て行った。

「そう言えば皆様、トイレの件はすでにお聞きになられたでしょうか?」シャロンが天一とシャンタルの談笑が途切れた隙を見て話しかけてきた。

「トイレの件? なんでありますか、それは?」

 便所は、女子・男子ともに、各階の北東・北西・南東・南西に一か所ずつある。真上から見た城を、田という漢字のように、十字で四つのエリアにわけると、それぞれの領域のちょうど中央に位置している。

「九階の北西のトイレが今、壊れていて、使えなくなっているらしいんですの」

「九階。それなら関係ないっすね。ここは八階っすし、客室があるのも同じ八階っすから」

「そうでありますね」

「それならよろしいのですが」

 その後も、シャンタルと天一は、ときおり混じる彼の下ネタじみた冗談に笑いつつ、談笑し続けた。パトリスが帰ってきたのは、彼女が出て行ってから二十分強過ぎた後だった。

「というか姫様、遅いなあ」パトリスは壁の時計を見た。「もう一時間は経っとるで」

「そうですわね……ちょっと、様子を見に行ってまいりますの。代わりのメイドを寄越しますので」

「いえいえ。自分たちも行くっすよ」天一は立ち上がった。「ちょうど、お茶会の終わる時刻っすし。『渡したいモノ』を貰って、そのまま帰るっす」

「同意であります」

「せやな」

 けっきょく、シャロン、天一、シャンタル、パトリスの順で、並んでサイーダの部屋に行くことになった。彼女の個室は、八階の南西端にあるとのことだった。

 しばらくして、部屋についた。ノックをし、「姫様」とシャロンが言う。「シャロンでございますの。お時間、かかってらっしゃるようなので、様子を見にまいりましたわ。……姫様? 姫様?」

「返事がないっすね」天一はドアノブに目をやった。うっすらと、誰かの手の跡が一つだけついている。

「まさか、病気か何かで倒れとるんとちゃうか?」

 シャロンは、ドアノブを下げた。がちゃり、と音がして、扉はわずかに手前に開いた。

「鍵、かかってないみたいでありますね」

「姫様、失礼いたしますの」シャロンはそう言って、扉を全開にした。


「やっと開いたわい……」

 サイーダは、金庫の扉をゆっくりと全開にすると、溜め息を吐いた。開錠方法を記したメモの上に、誤って花瓶をひっくり返してしまい、インクが水に濡れ、滲んで読めなくなってしまったのだ。そのせいで、記憶を頼りに開錠を必死に試みていた。先ほどからこの辺りの部屋の扉の掃除を行っているメイドが、ここのドアを綺麗にし始めてから終わるまで、ずっと取り組んでいたのだから、かなりの時間がかかっているに違いない。

 まさしく「お姫様の部屋」といった趣の、絢爛豪華な、正方形をした個室だった。ベッドには天蓋がつき、床にはふわふわとした絨毯が敷かれ、壁や天井には複雑な模様が彫られている。出入り口は東辺中央、金庫は西辺中央にあり、北の壁近くにはテーブルと椅子が、西の壁には大窓が備え付けられていた。

 金庫の中は縦に二つの段にわかれていた。上段に、彼女の「渡したいモノ」が置いてあった。

「おお……これじゃ、これ」

 それは、一本の香水瓶だった。これを体に振り撒くと、一定時間の間、モンスターの類いを寄せつけなくすることができる。市販でも似たようなものはあるが、第一級の香術師でもあるサイーダが作ったものとだけあって、効果は比較にならないくらい強力だった。

 彼女は容器を手に取ると、金庫の上に置いた。その時に、上段に置いてある、細長い木箱が目に入った。彼女の、二の腕ほどの体積である。少しばかり、手前にはみ出していた。

 その中には、とある「モノ」が入っていた。彼女はその「モノ」を、使用人からも、家族からも存在をひた隠しにしていた。

 もし、誰かに「モノ」の正体を知られるようなことがあれば、それが誰であれ、「モノ」を窓から投げ捨て、即座に自殺しよう、と固く決心していた。そのための毒酒も部屋に用意してあった。プライドが雲より高い彼女にとって、「モノ」の正体を知られるというのは、たとえ相手が親であっても、屈辱的・恥辱的であるからだ。

「いかん、いかん」サイーダは首を横にぶんぶんと振った。「早く閉めねば」金庫の正面に立ち、本体の縁に左手を、扉の縁に右手を置いた。

 次の瞬間、彼女は唐突に、くしゃみをした。

 左手に思わぬ力が入り、ずる、と縁から落ちる。木箱の端を、ばしん、と叩いた。箱は手前に、床に対し垂直に落下した。蓋と本体が、離れ離れになる。中に入っている「モノ」が、露わになった。

 それは、巨大でごつごつとした、張形だった。

 次の瞬間、ガチャリ、と音がして、ドアノブが下げられ、部屋の扉が開かれた。

 金庫の扉を持つ右手の指輪が、赤く光った。


 扉が開かれて、まず目に飛び込んできたのは、真っ黒な金庫だった。

 サイーダは、椅子に腰かけていた。その前のテーブルには酒瓶が置いてあり、床では割れたグラスの破片が散乱していて、中に入っていた液体によるものらしいシミが絨毯にできている。こちら側に背を向けていた。

「サイーダ様。大丈夫でございますの?」

 シャロンはそう言って、彼女に近づき、正面から姿を見た。

 悲鳴を上げた。

「どうしたんっすか、シャロンさん」入り口で待機していた三人は、部屋に雪崩れ込み、彼女に近づいた。

 シャロンはサイーダを指差した。三人も回り込み、彼女を正面から見る。

 サイーダは目を閉じ、口を開いていた。唇を乗り越えて流れ出た血が、ドレスにシミを作っている。

 うわっ、ひいっ、きゃっ。三者三様の悲鳴を上げた後、パトリスが彼女の手首を握り、しばらくしてから首を横に振った。「駄目ですの。死んでいますの」

「な、なんで」シャロンはその場にへたり込んだ。「どうして、姫様が」

 シャンタルはテーブルの上の酒瓶を手で嗅いだ。「この臭い……毒酒でありますね。きっと、これをお飲みになったのでありませんか」

「じゃあ、自殺っすか? でも、どうしてお茶会の最中に自殺なんか……」

「理由は、あれこれ推理するより、本人に訊いたほうが早いわ。今から、召喚霊法で、姫様を呼ぶで」

 パトリスはそう言うと、数珠を構え、何事か唱え始めた。辺りに魔方陣や異世界語の文章が現れた後、ぱあっ、と空中が光った。しかし、光が消えた後も、何も現れなかった。

「あかん」パトリスはため息を吐いた。「どうやら、姫様は、召喚を拒否しとるようやわ」

「そんなっ。どうするのでありますか」

 パトリスは腕を組み、何事か考えた後、「ちょい待ち」と言い、部屋のベッドの上に、上半身を寝かせ、瞼を閉じた。二分後、ぱっちりと目を開けると、「冥界の王と交渉してきたわ」と言った。「姫様を、うちの召喚霊法に応じさせるよう、約束を取り付けたで」

「今の、二分の間に? 早いっすね」

「現世と冥界では、時間の進み方がちゃうからな。それじゃ、姫様を呼ぶで」

 パトリスはそう言い、先程と同じ儀式を行った。しばらくして、空中が、ぱあっ、と光り、それが消えた後に、半透明の人間──幽霊が現れた。巨大な胸、ロングドレス。サイーダに間違いなかった。

「姫様。ああ。姫様」シャロンは泣きながらサイーダに縋ろうとした。「どうしてです。どうして自殺など」当然、霊に触れるはずもなく、すか、すか、と虚空を掴む。

「それで呼び出したのか。冥界の王に交渉してまで」サイーダは、はあ、と溜め息を吐く仕草をした。「一つだけじゃ。一つだけ、言うことがある」

「何っすか?」

「お前たちにではない。この小説を読んでいる読者にじゃ」サイーダはそう言うと、読者のほうを見て言った。「以上で、この問題編は終了じゃ。読者の皆には、誰が妾を殺したのか、を推理してもらおう。ぜひ、真犯人を突き止めてもらいたい」


〈問題編 了〉

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