白露の空色

篠岡遼佳

そして夏が終わる

「俺にチャンスを下さい!」


 そう言って彼は頭を下げた。言われた彼女はというと、多少まぶしそうに、窓の外に目をやっている。

 夕暮れ、登校日の帰り道。こうして二人でファーストフード店に寄るのは、実に二週間ぶりだ。それまでは、毎日のように一緒にこの席で過ごしていたというのに。

 きっかけはなんだったか。別に大げんかをしたわけじゃない。LINEだって普通にしていた。趣味も特技も似ていない二人だったが、ただ好きになるものがとても似ていたのだ。

 というより、特別な関係だったのかどうかも怪しい。

 確かに、彼らは同じ学び舎で、同じように授業を受け、同じようにテストに一喜一憂し、同じ部活で共に思い出を作っていた。

 だが、彼らには核となるものがなかった。

 友達の延長。それが最も適した言葉だったのかもしれない。

 手もつながない、触れ合わない、キスなんてもってのほか。

 いられるなら居場所はここが良いと、お互いに思っているのに、ただそれを明示することも、決定づける出来事も、二人にはなかった。

 ずっと一緒にいるのは楽しいのに、そうして段々話すことも少なくなって、やりとりは薄く引き延ばされ、糸が限界を迎えるように、ふっつりと切れてしまう。

 それが切れる前に。彼はそう覚悟を決めて、彼女とこれからの話をするために、今日ここに彼女を呼び出したのだった。 

 

「チャンス……チャンスか」

 彼女は長い髪を耳にかけて、ドリンクを一口飲んだ。彼は言いつのる。

「何でも良い、俺ができることなら。おしまいならおしまいだって、かまわない。だけど、俺は、また前みたいに話せるようになりたいんだ」

「そっか……」

 彼女はまるで何も考えていないように、再び窓の外に目をやり、

「――じゃあ、公平になるように、くじを引かない?」

「え?」

 彼女はいつものように急に言い出した。ペンを取り出しながら、

「くじって言っても、あみだくじね。決めるの、私たちが、これから先どうなるか。君の意見も私の意見も、尊重して」

 そう言って、ルーズリーフに縦の線と横の線を引いていく。

 最後の部分は、彼から見られないように腕で隠し、そしてその部分を折り曲げながら、

「はい、じゃあ次は君。横線何本増やしても良いよ」

「いや、同じ数しか増やさない。横はぜんぶで十七本だね。少し待って」

 彼もペンを取り出すと、丁寧に素早く、その線を引いた。

「俺も君と同じ数でありたい」

「こんなの確率なのに?」

「持っておきたいんだ、おんなじ数の責任を」

「ふうん、……わかった。じゃあ、はじまりをどこにするかはどうやって決める?」

「俺に決めさせてほしい」

「いいよ、でもなんで?」

「俺からはじめた関係でありたいんだ」

「――わかった」

 彼はそうして、八本の縦線を見つめ、右から三番目を選んだ。

 ふっ、と息をついて、赤いペンであみだくじをなぞる。

 まずは真っ直ぐに降り、次は右へ、また降りて、今度は左、ひとつ線を飛ばして、また降りて……。


 思い出は多くない。一緒に歩いた帰り道だって実際は数えるくらいだ。でも、その夕暮れはとても愛しかった。胸がいっぱいになる。愛しい時間というものをはじめて知った。

 このままがずっと続けばいいと思っていた。だからこのままで良いと思っていた。

 でもそれでは駄目なのだ。日が昇り、暮れていくように。あるいは夏が来て、そして秋が来るように。

 一緒に歩くということは、テンポを合わせるだけではない、手をつなぎ、時には走り、時には美しい景色に足を止め、そしてまたあたらしいテンポで歩き始めることだ。

 努力を惜しんでいいわけじゃない。つねに見つめ合おうとすることこそが必要なことだったのだ。

 だから、彼は今日彼女に告げた。


 そして、そこにたどり着いた。

「めくるよ? いい?」

 彼女は、なんでもないようにそう言った。けれど、紙を持つ手がかすかに揺れている。

「うん、いいよ」

 するすると折りたたまれていた紙がめくられ、それが見えた。

 ”つづける”

 八本の縦棒すべての終点に、そう書かれていた。

 彼女がそう書いたのだ。

 あまりのことに、彼が言葉を選べないでいると、彼女は視線を下げて、ストローでドリンクを混ぜた。この仕草は知っている。夕暮れの光で見えないが、彼女はいま照れていること。

「――ねえ、知ってた?」

「ええと……なにを?」

「君がね、まだ私に、『好きです、付き合って下さい』って言ってないこと」

「それは、……――ごめん。不甲斐なくて」

「そんな台詞じゃなくて」

「?」

「早く、言ってよ。そしたら、私、なんだって許しちゃうかもしれない」

 そう言って彼女は既に頬を染めて微笑んでいる。

 その顔を見て、彼はまた俯き、耳まで赤いのを隠そうとした。だが、思いとどまり、彼女の目を見た。やさしい紅茶色をしていることを、彼ははじめて知った。

「私は、あなたともっとずっと一緒にいたいよ」

「俺も、俺も、君がずっと、――好きだよ」

 ドリンクの紙コップから、そっと水滴が流れ落ちる。


 そして夏が終わる。やがて秋になる。

 時は流れ、心も変わって、けれどやがてひとつのところにたどり着く。


 だって、あなたを愛したい気持ちは最初から決まっていた。

 要は、そういうことだ。


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白露の空色 篠岡遼佳 @haruyoshi_shinooka

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