第25話
オレンジ色の白熱灯を見上げて、かつひこの肉体の重みを感じながら、私のものとはまるで違う、硬くて太い髪の毛を何度も撫でる。気持ちがいいのか、かつひこの喉からは猫のようなうなり声が聞こえた。
「引っ越そうか、まこ」
ある日、仕事から帰ってきたかつひこがつくったような笑みを顔中に貼り付けてそう言った。私が学校に行かなくなって一週間が経過した頃だった。いつかそういう日がくるだろうと分かっていたから、私はあまり驚かなかった。
荷物をまとめてその部屋から出て行くとき、かつひこは大文字になって部屋に寝転がった。真似をして、私もかつひこの横に仰向けに寝そべった。かつひこは何も言わなかったし、私も何も聞かなかった。再就職の当てもないかつひこと、何の力も持たない中学生の私が織りなす、その日暮らしの生活が始まろうとしていた。
お気に入りのものだけ。例えばかつひこと一緒に行った水族館で買ってもらったぬいぐるみなんかを詰め込んだキャスターを引きながらアパートの外に出ると、眩しいフラッシュの光が私の目をくらませた。一眼レフのカメラを手にして、驚いたような表情をしてしゃがみこんでいる中野陸に気づいた瞬間、階段を二段飛びに降りて、かつひこは中野陸の後頭部を思い切りぶった。人間の頭の骨が折れる鈍くて硬い音がした。
「死ね、死ね、死ね。お前なんか、死ね」
怒りが収まらないのか、かつひこは悲鳴を上げている中野陸の身体に絶え間ない暴力を振るった。瞬く間に中野陸の身体に赤色と青色のあざが広がっていく。私は半歩下がってぼろぼろになっていく中野陸を見ていた。段々と抵抗する気力がなくなってきたのか、だらりと下げられた中野陸の腕には生命力というものがまるで感じられなかった。
枯れた花のようになった中野陸の背中をかつひこは思い切り蹴飛ばすと、最後に唾を吐き捨てて「死ねよ」と言った。目を血走らせたまま私に手のひらを差し出すかつひこのことを怖いと思ったのは、そのときが生まれて初めてだった。
中野陸の鼻の前に人差し指を差し出すと、温度の高い息が触れた。良かった、まだ生きている、と私は安心しながら、キャスターの持ち手をとった。
かつひこが殺人者にならなくて、本当に良かった。
「まこ。待って、待ってくれ」
くぐもった声が背後から聞こえた。真っ赤な血に全身をまみれさせた中野陸が私の方へ懸命に腕を伸ばそうとしていた。中野陸の足元には真新しいカメラが落ちていた。私はそのカメラを手に取ると、思い切り地面に叩きつけた。中央についている大きなレンズは音を立てて派手に割れた。中野陸の瞳に絶望的な色が広がっていくのを見ながら、私は右手に力を込めて地面を蹴った。彼の腹部に靴の先がめり込む感触がする。肉の繊維が破ける音を聞きながら、私はそっと目を閉じた。世界が、暗闇に包まれる。
はあ、はあ、はあ。
かつひこの唇から漏れる吐息が、目に見える街の風景を白色に染め上げていく。私たちがふたり過ごした細切れの風景がどんどんと背後に去っていくのを横目で見ながら、かつひこの手の感触だけを信じて、地面を駆けている。
発車間際のベルが鳴り響く駅のホームで、私は一瞬だけ、躊躇した。電車の行き先は闇に包まれていて何も見えない。でも、かつひこの目が、大丈夫だと囁いてくれたので、私は軽く頷いて、電車の中に乗り込むことができた。
がたんごとんと揺れる電車の音が心地よくて、椅子に座った瞬間、激しい睡魔が私の身体を包み込んだ。隣で同じように目を閉じているかつひこの肩の感触が愛おしくて、いつの間にか泥のように眠っていた。
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