第21話


 びゅうう。台風が私の生まれ育った町を破壊していく音を聞きながら、私はかつひこと初めてのセックスをした。ふたりともずぶ濡れだったから、身体を揺らすたび、白いシーツにぽつぽつと水滴が滲んでいく。私は天井を見上げながら、かつひこの身体から落ちてくる汗か水かわからない液体を体中に浴びていた。目を閉じると、お母さんや、中野陸が、大きな波に飲み込まれて見えなくなっていく様子が瞼の裏に見えた気がした。


 本当に、誰もが皆、私とかつひこだけを残して、消えてしまえばいいのにと思いながら、かつひこの前後運動に合わせて、かすかに身体をくねらせた。身体の動きが早くなっていることから、もうすぐ彼が絶頂を迎えるのだと察知して、思い切り身体の中心に力を入れると、かつひこの唇から熱い吐息が漏れた。

 かつひこは私の首に触れると、今まで見た中で一番苦しそうな顔をして、指にぎゅっと力を入れた。気道が閉まり、肺が苦しくなってきて、涙が耳の奥に流れていくのが分かった。


 死ぬのかもしれなかった。でも、かつひことつながっている時に死ねるというのは、ひょっとすると、とりわけ幸せな死に方かもしれないと思い直して、私は全身の力を抜いた。だって、嬉しくて仕方がなかったのだ。かつひこが私に触ってくれること。かつひこが私に欲望してくれること。かつひこが私の全てを愛してくれること。私の人生で一番、幸せだと感じられる瞬間があるとしたら、それは間違いなく今だった。


 かつひこは私のお腹に白い欲望を吐き出すと、肩で息をつきながら、私の身体に倒れこんできた。自分の身体とは違う重心が心地いい。ずっとこうしていられるなら、どんなに幸せだろう。そのとき腹部からぐううとお腹が鳴る音が聞こえて、私とかつひこは顔を見合わせて、全く同じタイミングで吹き出した。


「お腹、空いた」

「ちょっと待ってて。なんかつくるよ」

「かつひこ。ねえ、もう私に、冷たくしたりしないでね。嘘でも傷つくから。悲しくなるから。死にたくなるから」


 かつひこは真剣な顔で私を見、それから頷いた。安心して、頬を緩ませると、かつひこの顔が近づいてくるのがわかって、もう一度目を閉じた。唇と唇に触れる。粘膜が擦れる音がした。私はいつの間にか自分の太ももをかつひこの中心に擦り付けていた。私の胸に巣食った性欲は随分厄介な化け物に成長してしまったようだった。いくら欲望を吐き出しても核のうずきは収まることがないように思えた。かつひこが私のなかに注ぎ込まれるのを感じながら目を閉じる。窓の外に雷のような閃光がぴかっと光り、唇の間に垂れる唾液の筋を明るく照らした。


 その日私が眠らなかったのは、朝起きたら、かつひこが何処かに消えてしまいそうな気がして怖かったから。カーテンの向こうが明るくなって、「学校、遅刻するよ」という声が聞こえて、目をぎゅっと瞑って両膝を抱え込むように丸まっていた私の頭にかつひこが触れたとき、だから私はひどく安心して、うっかり涙が出そうになった。


 食卓には黄色いスクランブルエッグとボイルされたウインナー、バタートースト、それに暖かいカフェオレが置かれていた。「いただきます」と言って食べ始める私を、かつひこは本当に愛おしそうに見つめた。あんまり熱心に見つめるので、少々食べにくいくらいだったけれど、決して嫌ではなかった。好きな人に好きになってもらえるということは、こんなにも嬉しいことなのだろうか。かつひこと離れる名残惜しさに後ろ髪を引かれるような思いで、学校に向かった。何度振り返っても、かつひこは私の背中を見つめていた。


 ぶんぶんと手を振るかつひこの姿を、目に焼き付けたいと思った。


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