第9話



 屋上に呼び出されるのは、中学2年生になって3度目のことだった。


 クラスの女の子たちと距離をおいて一人で休み時間を過ごすようになってから、クールとか、ミステリアスなんて形容詞で表現されることが増えたような気がする。かつひこはきっと、私が学校でそんな風に言われていることを知ったら、似合わないねと大笑いするのだろうけれど。だってかつひこはまだ、私のことを、6歳の子どもだと思っている節がある。


 だけど本当のところ、10年経った今、私は子どもの頃から何も変わっていないような気がする。好きなものがころころと変わる同年代の女の子と比べて、私には大事なものも、失いたくないものも、ずっと変わらない。

 成長を忌避していると非難されるかもしれないけれど、心の中にいるのは、いつもかつひこ一人だけだった。


「好きです。僕と付き合ってくれませんか」

「どうして?私ときみは、一度だって、言葉を交わしたことがないのに」

「ひとめぼれなんです。渡辺さんは他の子とは違う、特別な女の子だから」


 特別。

 私のことを好きだという男の子たちは、口をそろえてその言葉を使った。極上の褒め言葉のように、うっとりと目を細めて。男の子たちは皆、特別な女の子を大勢の中から選び取ることのできる、人とは違う自分の感性に酔っているように思えた。


「ごめんなさい。私、大切な人がいるんです」


 そう言うと、名前も知らない男の子は途端に狼狽した。クラスの女の子たちがかっこいいと騒いでいたくらい容姿の良い転校生だから、告白を断られるなんて思っていなかったのかもしれない。私はできるだけ申し訳なさそうにみえるような表情を努力してつくり、それからうつむいた。


「そっか。じゃあ、仕方ないね」

「本当にごめんなさい」

「あのさ。…こないだ、手をつないでた男、誰?みどりヶ丘公園のブランコで」


 来た先とは逆の方向へ踏み出しかけていた右足が止まる。

 いつかの放課後に言われた「気持ち悪い」という言葉が蘇える。頭の中で黄色の危険信号がちかちかと点滅する。この場をどのように乗り切るか。頭の中にあるのはそのことだけだった。男の子に向かってにこやかに微笑む。


「あれ、お父さん。恥ずかしいんだけど、私実は、ファザコンなんだよね。すごく仲良くて、今でもたまに手、つないだりしちゃうの」

「…そうなんだ。お父さんか」

「そう。いい加減もう大人なんだから、そういうの、やめなきゃなあって思ってるんだけど。中々、タイミングがつかめなくて」


 饒舌になり始めた私の口元を怪訝そうな目つきで見つめる男の子の視線には気づいていたが、止められない。背中に冷たい汗が伝うのを感じながら、「それじゃ」と乱暴に会話を切り、名前も良く覚えていない田中だか中村とかいう男の子に背中を向ける。

 学校からの帰る途中、最寄駅と家の間に一軒だけ存在しているスーパーに寄った。かつひこの好物のチーズやフィッシュウインナーをオレンジ色のカゴに放り込んでいく。かつひこは私よりもずっと年上だというのに、私よりも子どもっぽい食べ物が好きだ。今日の晩御飯はカレーにしようと考えながらレジに並ぶ。壁掛け時計を見上げると17時を指していた。かつひこが帰ってくるまで、後少ししかなかった。大急ぎで会計を済ませ、小走りで家に向かう坂道を駆け上る。


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