第6話
あの日。全てが終わろうとしていたあの日も、私とお母さんはこの場所に来たのだった。お母さんが私を捨てたのか。私がお母さんを捨てたのか。今となっては良くわからないけれど。
一周するのに5分もかからない小さな観覧車の中は狭くて、少し動けば膝と膝がぶつかる。こういう時、何を話せばいいか分からなくて、黙ったまま外に広がる町の景色を眺めているふりをした。お母さんはおさげにした私の長い三つ編みをそっと持ち上げて、愛おしげに目を細める。
「三つ編み。上手になったのね」
「これ、私じゃないよ。かつひこがやったんだよ」
私がそう言うと、お母さんは絶句した。失敗を悟った私は慌てて、「でも、お母さんの三つ編みの方が、ずっと」と弁解してみたけれど、お母さんの驚いたような表情は変わらなかった。
「まこ。最近は、どうしてるの?あのひとはまこのこと、大事にしてくれてるの」
「大事にしてくれてるって、なに?」
「まこが毎日幸せでいられるように、頑張ってくれてるかってこと。男のひとだけじゃ、家事も子育ても大変だろうから。それに、お金だって…」
言い淀むお母さんに、首を振る。
毎晩目の下に隈をつくって帰って来るかつひこの姿を思い浮かべる。
「大丈夫。かつひこ、一生懸命頑張ってる。まこ、毎日幸せだよ」
女の子の幸せは、大好きなひととずっと一緒にいることだから。
まこはかつひこのことが大好きだから。
だから。
本当の気持ちを飲み込んでにっこり笑うと、お母さんは一瞬だけ悲しそうな顔をして、それから、猫を可愛がるみたいに優しい手つきで、私の頭をそっと撫でてくれた。お母さんの着ていた柔らかそうなカーディガンからはシャボン玉みたいな懐かしい匂いがして鼻の奥がツンとするのに、目を瞬いても、涙は一滴も出なかった。
ひばり団地の最寄駅の中央改札から出ると、かつひこが私を待っていた。
こういうとき、同い年の子どもがそうするように、私はかつひこを目掛けて走っていくことができない。かつひこの胸に飛び込んだり、きゃあきゃあと声をあげて甘えたりすることができない。
かつひこは私の姿を認めると、何を考えているかわからない仏頂面を途端に緩めて、細くて長い腕をひらひらと振った。ポケットに手を突っ込んで、背中を丸めた格好のまま、お母さんが隣にいるのに、私だけを見つめて。かつひこのこういう目に見つめられると私はいつも、この世界にいるのは、私とかつひこだけなんじゃないかって気がしてしまう。
お母さんは表情を強張らせて、「久しぶり」とぎこちない口ぶりで言った。かつひこはそのときようやくお母さんに気づいたような顔をして、軽く会釈をした。
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