第4話
その日、かつひこが帰ってきたのは壁にかけた時計が夜の10時を指している頃だった。ここ一週間、健吾は新しい職場に慣れないのか、疲れた顔をして夜遅くに帰って来る。
玄関の鍵ががちゃりと開く音と同時に、私はかつひこの腰にしがみついた。変態だと言われたことを話せばかつひこを傷つけてしまいそうな気がして、私は黙ったまま、かつひこの体に染み付いているマルボロの匂いをすんすん嗅いだ。いつもこの匂いが側になければ眠ることができない。生まれてからかつひこは、私の大切なライナスの毛布だった。
かつひこは愛おしそうに私の髪の毛を梳いた。
「夜ご飯、食べた?」
「さっき、食べた。冷凍庫に入ってたミートドリア」
「そっか。ごめんなまこ。毎日飯、ひとりで食わせて」
「いい。それより早く、お風呂、はいろうよ」
かつひこを見上げて、おもちゃをねだるように言うと、ごつごつと骨の浮いた大きな手のひらで、頭を撫でられる。気持ちよくて目を閉じていると、かつひこは軽々と私を抱きかかえて、洗面所まで運んだ。
かつひこの細くて長い指が、私を覆い隠している布切れを一枚一枚剥いでいく。最終的に真っ裸になって、かつひこの前に立っていた。かつひこはいつものようにお湯を張ったバスタブに浸かって、私が髪を洗う様子を見つめている。とても心配性だから、私の目にシャンプーの泡が入らないか、洗い残しがあって病気になったりしないか、目を光らせているのだ。
シャワーで全身をくまなく洗ってもらったあと、私はバスタブの表面にするすると足を入れて、かつひこの足の中にすっぽりと収まった。私の小さくて薄い体とはまるで違う、大きくて硬い骨の感触に安心して、かつひこの胸に頭をもたせかける。かつひこの心臓の音が、私の心臓の音と、だんだんと重なっていくのがわかった。
ぴったり100秒を数えてから、お風呂から上がると、かつひこはいつものように、私を測定した。かつひこはガラス細工を扱うときのようにそっと、私の鼻に触れ、目に触れ、唇に触れた。銀色に光る金属の味がしょっぱくて、ぺろりと唇をなめているところを、合わせ鏡のような丸いふたつの瞳が、私の心の奥を覗き込むようにじっと見つめていた。
かつひこの指が、白いベッドに横たわっている私の股の間に差し掛かろうとしたときだった。「変態」という言葉が頭をよぎり、私の心をぺかんと割った。この儀式は異常なのかもしれない、という予感がふと胸を貫いた。もうこの家には居ないお母さんも、確か同じことを言っていたのだから。
シーツを頭までかぶって顔を隠す私に、かつひこが戸惑っている様子がありありと浮かんでいたけれど、私はとうとう、白い世界の外に出ることができなかった。かつひこがどんなに懇願しても、私は頑固に布団の中から顔を出さなかった。生まれてから今まで、こんなことは初めてだった。
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