第2話
*
「かつひこはいつも朝に出て行って、夜に帰ってきます。だからわたしがかつひこといられる時間はとても短くて、悲しいです。かつひこは帰ってくると、いつも、わたしを抱きしめてくれるし、よしよしと言いながら、犬のぺこにそうするみたいに、優しく撫でてくれます。かつひこの匂いを嗅ぐと、嫌なことを全部忘れられます。わたしは1日のなかでその時間がいちばん好きです」
「父の日」の一週間前に出された課題の作文を読み終えると、あかり先生は戸惑ったような顔をして私を見つめた。何かおかしいことを言っただろうか、と不安になりながら立ち尽くしていると、あかり先生は慌てて「叙情的な作文でとてもよかったですね。皆さん、渡辺摩子さんに拍手をしましょう」と言いながら手をぱちぱち叩いた。
他の子たちが作文を読んだときとは何となく違うぱらぱらと疎らな拍手が教室に響く。隣の席に座る幼馴染の健吾がみんなの耳にも届くような声の大きさで「父さんのこと、名前で呼ぶなんてきもちわるくねえ?」と言うのを聞きながら、汗の滲み始めた手のひらをぎゅっと握りしめる。
「ねえ」
終礼のチャイムが校舎に鳴り響くのと同時に走り去っていく背中を引き留める。びくっとランドセルを震わせた健吾はこちらを振り向きもせずに「なに」と乱暴につぶやいた。
頭のてっぺんからつま先まで燃え上がるような怒りに身体を任せたまま、健吾のいるところまでずんずんと歩いていく。
「何であんなこと、言ったの。きもち悪いって、どういうこと」
「そのまんまだよ。お前、こないだの、何なの」
「こないだ?」
「こないだのキャンプ。5月の連休、相模湖、一緒にいったろ」
「いったけど。それが何」
そう聞き返すと、健吾は表情を曇らせた。何秒かの沈黙の後、私の頑固さを良く知っている健吾は、諦めたように「わかったよ」と首を振った。
「俺、見たんだよ。あいつが…お前のこと、測定してるとこ」
最初は、健吾が何のことを話しているのかわからなかった。だけどすぐに気がついた。言葉をしゃべれない赤ん坊の頃から、かつひこが私にしてくれる毎日の儀式のひとつ「身体測定」のことを言っているのだと。
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