外伝―32 盤上で微笑みし天女➉

「うし――それじゃ、行くわ。あの嬢ちゃんの今後は」

「私が責任を持ちまして。カイ殿、これからどちらへ? 御事情がないのであれば、是非とも当家に逗留いただけませんか。『魔王』の件もございます」

「師匠と別れてから、大陸は一通り巡ったんだが……まぁ、そろそろ顔を見せとかねぇと何されるか分からねぇ。取り合えずは西へ行く。何となく、そっち方面にいる気がするし。あの人、一つの場所に留まられねぇからさ。で、俺が見つけないと『カイは愛情が足りないわっ!』とか言いやがるんだぜ?」

「――御武運を」

「ありがとさん。諸々、祈っといてくれ。ああ、あと、こいつを嬢ちゃんに」

「これは……! ご配慮、感謝します」


 アル・アーネルは青年へ深々と頭を下げた。

 そういう事情ならば何も言えない。言える筈がない。アーネル家にとって、青年の師の一族は神同然なのだ。

 

 が――同時に彼は決意した。

 

 以後、アーネル家は彼の師とカイの為ならば、それが世界を相手にするものだとしても彼等の側につく。何しろ彼は――彼の愛しい孫娘の心を救い、これからの『希望』をも与えてくれたのだから。

 小さな背嚢を一つ背負い、カイは歩き出した。

 目指すは港。西国行きの連絡船だ。


※※※


 王帝兵棋を打つ。打つ。打つ。打ち続ける。

 ああ……これは間違いない、夢だ。私は今、夢を見ている。

 今までだったら間違いなく悪夢。

 『この……魔女めっ!』『おかしい……この子はおかしい……』『きっと、人の感情など理解出来ないのだっ。そうに決まっているっ!』『王帝兵棋の世界から去れっ! この、この……悪魔めっ!!!』。

 何時もなら耳を塞いで、その場で座り込んでしまいたくなる汚い言葉ばかり。

 

 だけど――今日の夢は違う。


 目の前には複雑な戦況な盤と、珈琲カップと美味しいパン皿が二つずつ。

 飄々としていて、だけどとっても心地よい声。『ほら、早く打てよ。今日は、お前が気のすむまで打ってやるから』。言われなくてもっ!

 どんどん、盤面が進んで行く。

 その間に色々と話す。

 今まで、どんな旅をしてきたの? 竜はみたことある? 獣人の国へ行ったことは? 北の方はやっぱり寒い? 雪って食べれる?

 これも戦術。そう……戦術だ。

 決して、目の前にいる人の――世界で唯一、こんな私を救ってくれた人のことをもっともっと知りたい、だなんて思ってなんか。

 

 ――やがて、勝敗がついた。


 今回も私の負け。

 これで何連敗? 

 おかしくなって笑ってしまう。私が『魔女』なら、私をあっさり負かすこの人は何なのだろう?

 いや、私は知っている。

 この人の名前は。



「……カイ……」



 小さく呟き、意識が覚醒してきた。

 周囲には無数の本。書庫だ。

 身体にかけられた毛布から這い出る。えっと……昨日は……。

 

 ――足に魔力を回し、扉を壊す勢いで廊下へ。

 

 そうだ。私は、昨日、あの人と打ち続けて寝てしまって、それで。

 窓の外は快晴。太陽はもう高い。

 つまり、このままじゃ。

 急がないと。あの人が――カイが行っちゃうっ! 私を置いて、あの人が、遠くに。まだ私は何も、何も、何もっ! この気持ちを伝えられてないのにっ!!!

 そんな、そんなのって……勝ち逃げなんか許さないっ。私は、まだ貴方に何も、何一つ返せて


「――アデルや」

「!」


 廊下を駆ける私の後方から優しい声。

 立ち止まり振り向くと、そこにいたのはお祖父様。

 その表情を見て、理解した。嗚呼……彼はもう……行ってしまった……。

 自分の無駄に性能がいい頭を呪い、その場にへたり込む。身体が震え、両手で顔を覆う。

 肩に温かい手。


「お、祖父、さま……私、私、私っ」

「……これを」

「これ、は?」


 渡されたのは一枚のメモ紙。

 そこには、僅か数行の言葉。ぶっきらぼうで、素っ気なくて、だけど。

 私は、それを、大事に大事に大事に抱きしめる。


「…………何よ、何よ、何よ…………」


『風は吹いた。俺は行く。今度、会う時はもう少し王帝兵棋、強くなっとけよ? もう、大丈夫だな? それじゃ――また今度だ。


 大粒の涙が零れ落ちてくる。

 最後の最後で、私の名前を呼んでいくんじゃないわよっ!!!

 暫くして――私は私の未来を決めた。

 すくり、と立ち上がる。


「お祖父様、お願いがあります」




※※※




 飛空艇甲板に置かれたテーブル上の盤面は、最終局面に入りつつあった。

 珍しくカイの表情に余裕無し。頬を汗が伝わる。

 それを見る赤髪美少女は、頬杖をつきながらニヤニヤ。


「ほら、さっさと指しなさいよ。言っとくけど、右翼に潜ませているのって魔法騎兵よね? で、左翼は長槍」

「っぐ……」

「ああ、分かってると思うけど、明日、実家に行く時はきちんとした格好にしてよね? お祖父様も来られてるし、お祖母様に貴方を紹介しないといけないんだから。『この人が婚約者』ですって」

「うぐっ……ま、まだ、負けとは……」

「――バカね」


 彼を見つめながら、アデルは胸元の小袋を弄った。

 それを優しく握りしめながら告げる。

 

「私はもう二度と貴方に――カイには負けない。たとえ、他の誰かに負けても、貴方にだけは絶対に負けないわ。あの時にそう決めたの。もう、追いていかれたりしてあげない」

「ふぅ…………俺の負け、だ」


 額を押さえ、カイが空を見上げる。

 月は輝き、星が瞬いている。


「――『魔女』」

「?」

「昔、そう呼ばれてただろ? だけどな」

「うん」

「そいつはやっぱり嘘だ。見てみろよ」


 カイは盤上を指差し、魔力を流す。

 すると、そこには――王帝兵棋を指す者であれば絶句するだろう、美しい棋譜が出現した。


「こんな、綺麗なモノを産み出せる奴が『魔女』である筈がない。むしろ――」

「むしろ?」

「……『天女』だよ。極々控えめに言っても、な」

「カイ」

「ん、何――……」


 アデルは、彼の頬に拙いキスをした。今まで抱えてきた全ての想いを込めて。

 恐る恐るカイの顔を見る。


「うふふ♪」

「な、何だよ」

「何でもない。さ、これで明日は付き合ってもらうわっ! 異議はないわよね??」

「……まぁ、負けたしな。異議は」


「ありますっ!!!!」


 扉が開き、同時に静寂を破る叫び声。

 二人が視線を向けた先には、寝間着姿のクレア。


「こ、こ、こんな夜更けに二人きりで、な、何をしていたんですかっ!? カイっ!!」

「うぇぇぇ、お、俺かよっ!? いや、別に何も」

「カイ、明日着ていく服を選びましょう♪」

「ア、アデルっ! う、腕に抱き着くなっ!! な、慣れないことはするんじゃないっ!!」

「バカね。これから、もっと凄いことをするのよ? 慣れないでどうするの。……私だって、もう子供じゃないんだから、ね?」

「お、おぅ」


「……二人共、有罪です……」


 ゆったりとした動作で、微笑を浮かべたクレアが――笛を思いっ切り吹いた。甲高い警戒音が響き渡る。

 カイの身体が震え、アデルは幸せそうな笑み。



「この人が――カイが傍にいる限り、私、アデル・アーネルに敵はいないわっ! たとえ、それが『八英雄』だろうと『魔王』だろうと、返り討ちよっ!」

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る