外伝―31 盤上に踊りし魔女➈
「『魔王』……ですと!? 馬鹿なっ。魔族は、約二十年前に先代魔王が突如姿を隠した後、各種族分かれての内戦状態の筈……」
「流石、詳しいな。が……変だとは思わないか?」
「と、言いますと?」
「なに、簡単だ。奴等は吸血鬼だろうが、小鬼だろうが、骸骨だろうが――とにかく強さを、絶対的な強さを追い求める。同時に自らの勝利も。そして、それを得る為ならば人間側の魔法、技術、下手すれば傭兵すら導入することに一切の躊躇がない。なのに、北方諸国を旅している際、その動きが一切感じられなかった。国境線沿いで諍いすら起きていない。妙に静かだった。……おい。お前さんもアーネル家の当代なら、少しは違和感を感じなかったのか?」
カイが、状況について行けず呆然としているアルヴィンへ尋ねた。周囲の視線が彼に集まるも、答えはない。
「……商業同盟の屋台骨、アーネル家の当代ですら、この有様。おそらく、殆どの国の首脳部は気付いてすらいないだろうな。つまり」
「このままだと魔族による奇襲が成立する、と?」
「正解だ。しかも、だ」
ぎゅっ、とカイの服を握りしめているアデルの頭を優しく撫でつつ、彼は淡々を絶望的な言葉を発した。
「――今回の『魔王』は強いだろう。とんでもなく、な。史上最強かもしれん。何せ、軍を組織し、兵を訓練する意味を知っている可能性が高いからな」
「な、何故、そんな事が分かるのだっ! 黙って聞いておれば、訳の分からぬことをごちゃごちゃと! 父上、このような者の言うことなど」
「……アルヴィン、黙れ。今、聞かされている話の意味が分からぬ、と言うならば、私は本当の意味で教育を誤ったのだろう。…………我がアーネル家はカイ殿の師であられる方――その始祖様に多大なる恩義がある。返しようにも返しきれぬ程の恩義がっ。にも関わらず、あの御方に繋がるお人の助言を、言うに事欠いて、無下にせよ、だと? ……貴様、今まで何を学んできたっ!!!!」
『!?』
温厚で知られる、アルの大喝に集まっている者達全員が背筋を凍らせる。
多大な恩義――では、あの伝承は。
カイが、手を軽く振る。
「あ~いいって、そういうのは。すげぇのは師匠で、俺じゃない。血も繋がってねぇし。第一、今、言ったことに確証はない。気のせいかもしれねぇ。むしろ、そっちの方が詳しいだろうな、と思ってたくらいだ。気になるなら調べてみてくれ。それに――そんな事よりも、今、大事なのはこの子のことだ」
「そんな事……だと!? き、貴様のいうことが、仮に正しいならば、『魔王』が魔族を統一しその牙を研いでいる、ということではないか!? 世界会議が開催されてもおかしくないっ! それを!!」
「――目の前で泣いてる子供の一人も救えねぇなら、たとえ世界会議とやらを開いても無価値だ。結局、誰も救えやしねぇよ。まして、泣いているのは自分の娘じゃねぇか。順番を間違えんな。お前が救うべきは世界なんかじゃねぇ。悲しくて、寂しくて、辛くて……『魔女』なんて名付けられて、一人でずっと泣き続けながらも、家名なんてものも守る為に戦い続けて来た、この子だよ、アルヴィン・アーネル。そんな当たり前の事すら分からなくなってんなら……まぁ、仕方ない。とっとと滅びろ。滅びるべきだ。少なくとも俺は『泣いている子供がいるならば迷わずただただ救いなさい。たとえその結果、自分の命を賭すとしても、それは間違いなく正しいことよ』と師匠に教えられた。……なぁ、そんな簡単な事すら出来なくなった世界で、お前さん達は生き延びたいのか? 子供を泣かしておいて、自分達の我欲だけを満たすのか? それを少しでも恥ずかしい、と思わないのか? 仮にそうなら……たとえ、『魔王』が来なくても、何れお前さんらは滅びるよ」
『っ!』
カイの断言。
そこに迷いは微塵もない。おそらく、この男は世界とアデルの涙が天秤にかけられた場合、躊躇なくアデルを救う。大人達の理屈や道理など、考慮もせずに。ただただ、純粋にその手を握り、抱きしめるだろう。
囲んでいた兵士と魔法士達が、武器と杖を力なく下ろす。一部の者は、涙ぐんでいる。
絶句し、身体を震わす息子の肩を叩き、アルがカイへ深々と頭を下げる。
「ご助言、肝に命じまして。決して、決して、無駄にはいたしませぬ。この老骨も、どうやらおちおち死んでもいられぬようですので。アデルや」
「お、お爺様……私、私は……」
「よいよい。お前は自由だ。これからは縛られることなく、真っすぐに、ただただ真っすぐに、好きなように飛びなさい」
「……本当、ですか?」
アルが頷く。
アデルは、顔を見上げる。カイが、ニヤリ、と笑い頭を乱暴に撫で回す。
ぱぁぁ、と顔を明るくし少女は彼に強く抱き着き、すぐに離れた。駆け出す。
「お?」
「そこで待ってて! ――約束、忘れてないわよね!?」
「ああ。俺に王帝兵棋で一度でも勝ったなら、一緒に連れて行ってやるよ。ただ、もう風は吹いた。明日には船が出る。だから」
「上等! 一晩あれば十分よっ!!」
そう言うと、満面の笑みを浮かべ部屋から飛び出ていった。
カイは肩を竦め、近くの椅子に腰かける。
「なぁ、何か食い物と飲み物を持ってきてくれねぇか? どうやら、あの嬢ちゃん、俺を寝かせるつもりがねぇらしい」
――その晩、赤のドレスに着替え、めかしこんだ『魔女』アデル・アーネルと、カイは、飽きることなく王帝兵棋上で語り合った。
それを記録したアーネル家執事長は、自らの日記にこう書き残している。
『言葉はなくとも、御二人は本当に楽しそうに、それはそれは楽しそうに打たれていた。アデル御嬢様の、あのような天使の如き笑顔を……今まで奪っていた我が身の不明を、強く恥じる』
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