外伝―30 盤上に踊りし魔女⑧
「く、屑だと!? そ、それに、な、何故、私の名を知って」
動揺した様子でアルヴィンが叫ぶ。
それをつまらなさそうに見つめたカイはアデルの背を撫でつつ、冷たい声で言い放つ。
「そう、叫ぶなよ。お前さんが大概なのはもう分かってるが――」
兵士達の槍先と、数枚重ねの盾が両断。
魔力の嵐が巻き起こり、周囲の書籍が音を立てて部屋の中を飛ぶ。兵士達と魔法士の表情には恐怖。
「だからと言って、全てが全て許されると思うな。ほれ、とっとと存念を言え」
「っぐっ! き、貴様ぁぁぁ。何処の誰かも分からぬ流れ者が、我がアーネル家の娘を誑かしおってっ! その子は王帝兵棋大陸王者なのだっ! 歴史そのものを塗り替え、我が家の名を後世の歴史書にまで残す程のっ!!!」
「…………ふざけるなよ?」
極寒の声色。
アデルがますます強く抱き着く。
「おい。まさか、とは思うが……そんなてめぇの欲を満たすが為だけに、打たせてたってのか? てめぇ自身が棋士崩れだからって、そりゃねぇだろう??」
「な、何がおかしいっ!!! この子には才がある。圧倒的な才がっ! ならば、その路を極めさせなくてどうするっ!! それが我がアーネル家の家名を高め、ひいてはこの子の名も高める。貴様のような者には分からぬことだろうがなっ」
「分からねぇなぁ。分かりたくもねぇ。第一、家名ねぇ……そいつはそんなに大切なもんなのか? 今でこそ、『大商人アーネル家』だなんて御大層に名乗っちゃいるが先祖は、そこらへんにいる野盗崩れだろうが」
「!? き、き、貴様、貴様、貴様っ!!!!!」
「それと――この子に才がある? 王帝兵棋の??」
「そうだ! だからこそ、この子は大陸王者に」
「――お前は、今までいったいこの子の何を見て来たんだ?」
カイが憐憫の視線をアルヴィンへ向けた。
アデルを撫でる手はますます優しい。
淡々と続ける。
「この子に王帝兵棋の才があるだって? 違う。断じて違う。――大陸王者ってのになれたのは、ただ単に常人を超える努力に次ぐ努力を積み重ねてきたからだ。それ自体は褒めるべきとこなんだろうが、この子にとって、決して容易くなかったのは分かる、分かるよ。むしろ、心が削られる毎日だったろうさ……そんな事にも気付いてなかったのか? この子の棋譜を見ればすぐ分かるだろうがっ! ようやく、最近は楽しそうに打つようになったが、最初会った時のそりゃ……酷いもんだった。あれは――死者の棋譜だ」
「何を、何を言って」
「――――てめぇの果たせなかった『夢』を自分の子供に押し付けるな。それはてめぇのものであって、この子のものじゃない。てめぇの自己満足で、この子の未来を閉ざすな。まして、父親がっ! アーネル家の初代も言ってたろう? 『野盗崩れだった我は命を、魂を、ある人物によって救われた。以来――その方に恥じぬ生き方をすることを誓ったのだ。お前達も、努々忘れるな。行動する時は自戒せよ。果たして、それは、自分に、世界に恥ずかしくない事なのか、と?』。……その様じゃ、てめぇが重要視するアーネル家ってのも、当代までだろうな」
「~~~~~~!!!!!!」
顔を怒りで真っ赤に染め、アルヴィンが黙り込む。
アデルはカイに抱き着きつつ。身体を震わしている。
それは恥ずかしさと――自分を理解してくれる人に出会えた歓喜によるものだ。
カイは肩を竦め、後方へ向け問いかける。
「で――この体たらく、どう説明を? 言っときますが、このままじゃ、持ちませんぜ?」
「…………お恥ずかしい限り。少しばかり、田舎でのんびりし過ぎたようです」
「! ち、父上!? ど、どうして、此処に!!?」
質問に答えず、白髪で穏やかそうな笑顔を浮かべた老人は兵士、魔法士達に命令を発した。
「包囲を解きなさい。死にたいのですか?」
「お、大旦那様。し、しかし」
「ほぉ――私の命が聞けない、と?」
「し、失礼いたしましたっ!」
包囲が解かれる。
老人――アネール家先代『大商人』アル・アーネルは歩を進め、カイの傍までやって来ると、深々と頭を下げた。
衝撃が走る。
アル・アーネルと言えば現役時代『その影響力は大国の王にすら匹敵する』とすら囁かれた傑物。自由都市同盟で最も著名な人物と言って良い。
それが何処の誰かも分からぬ一青年に頭を下げている――呆然としない方が嘘だった。
「……真に、真に申し訳ない。商売に力を注ぎすぎ、息子一人の教育すらまともに出来ていなかったようです。大事な孫の苦しみに気付いてやれぬとは」
「謝る相手が違うな」
「……アデルや」
「…………」
赤髪の少女はぎゅっとカイの身体に強く抱き着き、不安そうに彼を見やる。
一転、優しく穏やかな瞳になった青年は、少女の頭を撫でる。
「素直に、洗いざらい言っちまえ。俺がついててやるから」
「…………うん。お爺様」
顔を上げ、アデルはアルを見た。
そして、手を握り――叫んだ。
「私、私――王帝兵棋はもう、打ちたく、ないいんですっ。全然、楽しくないんです。いっぱいいっぱい勉強しました。ほぼ全ての棋譜も並べました。でもでも――私は、楽しくなかった。本当に、本当に楽しくなかった。……この人と打つのは別にして。もう……もうっ嫌なんです。私は魔法の路に進みたいんですっ!!」
「馬鹿なっ!!! アデル、お前、自分が何を言って」
「アルヴィン、控えよ――そうか。ならば、今、この瞬間からは自分のしたい事をしなさい。本当にすまなかった。何、面倒な事は全部お爺ちゃんに任せておきなさい」
「お爺様……本当、ですか?」
「ええ」
「父上っ!?」
取り乱しているアルヴィンを一瞥もせず、アルはアデルへ微笑む。
そして、真剣な眼差しでカイを見た。
「カイ殿。して――『持たない』とは?」
「ん? ああ……あんたには話しておこうか。俺は師匠と別れてから、大陸中を適当に放浪してるんだが――どうも最近『北』の様子がおかしい」
「『北』の……? ――まさか!」
アルが目を見開く。
カイは頷いた。
「おそらく『魔王』が生まれた。今すぐとは言わねぇ。言わねぇが――北から『嵐』がやって来る。今のままなら……全ては御破算だ」
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