外伝―26 盤上に踊りし魔女④
「……では、王者は御病気と?」
「いかにも。我が娘ながら、あの子は――アデルは王帝兵棋の歴史上屈指の打ち手。なれど、未だ十二。子供は突然、体調を崩すものです」
「そんな言い訳が通ると!」
「控えよ――承知した。では、次の第三局も?」
「体調次第でしょう」
「御容態はどうなのですかな?」
「良くなったり、悪くなったり。……ただ、長時間、歩けるような状況ではとても」
赤髪の男――商業同盟内、最大の商家であるアーネル家当主アルヴィン・アーネルは、申し訳なさそうにかぶりを振った。
立会人は心の中で毒づく。とても真実を言ってなどいない。あの少女は世に知られて以降、一度たりとも病弱と評されたことはないのだ。まして、幼くして魔導を極めてもいる。そのような人物が病に倒れる? あり得ない。
隣にいた若い立会人が詰め寄ろうとしたが、それを再び手で押さえ、念押しする。
「……体調が回復次第、対局に復帰されるのですな?」
「無論。ただ、王帝兵棋の大陸王者戦において、日程延期はなかったと聞いている。現在、二局が終わったとはいえ、明日の第三局もアデルは出れまい。この一週間、ずっと臥せっている」
「今までのように打ち手だけ指示していただければ、病室からでも可能なのではありませんか?」
「中々、無体な事を仰るものだ。どうやら、誤解されているようだが……あの子とて毎回楽に勝ってきたわけではないのだ。常に、ギリギリだった」
「御冗談を。前回の不戦敗を除き不敗であったのですよ? 王者に合わせていただきたい」
「出来ぬよ。私ですら、医師から止められている。……君達はもしや、私が説得していないとでも思っているのかね?」
「まさか、そのような」
駄目、か。
どうやら、明日の第三局も現れないだろう。
そうなると一勝二敗。初めて、リードを許される展開となる。
第四局、第五局も現れなければ……そんな事はあってはならない。あくまでも、決着は王帝兵棋でつけるべきなのだ。
立会人はアルヴィンへ通告した。
「……もし、仮に明日、そして第四局も王者が来られなかった場合、商業同盟の最高評議会へ申し出ます。よろしいですね?」
※※※
立会人達が去った後、アルヴィンは大きく息を吐いた。
苛立たしそうに執事長へ尋ねる。
「……で? アデルはどうしているのだ?」
「はっ。今日も、朝からお出かけに」
「何処へ行っているのだっ!」
「……残念ながら」
震える両手を机に叩きつけそうになるのを、超人じみた忍耐力で抑えつける。
何度も深呼吸し、机の上で腕を組む。
「このところ、学校にも行ってないようだ。しかし、きちんと家には帰って来ている……何をしている?」
「信じ難い事ながら――王帝兵棋を打たれているようです」
「な、ん、だと……!? た、大陸王者決定戦を放り出してか!!? な、何故、そのような事が分かる?」
「……御嬢様は御帰りになられると、御屋敷の書庫に籠られまして、古い棋譜を夜更けまで並べられておられるよし」
「――あの子が!」
頭を抱える。
幼い頃より王帝兵棋に才を発揮し、大陸王者になって以降、一度たりともそのような研究することもなかった。
……それが、棋譜を並べている。
つまりそうする必要があった、と?
しかし、そのような打ち手がいれば、世に知られていない筈が。
「誰だ? 誰なのだ? 魔法学校の生徒――いや、ありえんな。教授の誰かなのか?」
「分かりませぬ。分かりませぬが……その線は薄いかと。既に、調査しましたが、そのような人物は見当たりませぬ」
「…………突き止めよ。おそらく、欺瞞魔法か結界で、居場所を特定されぬようにしているのだろう。あの子相手では困難だが、やらねばならぬ。我がアーネル家の名誉がかかっているのだっ!」
「……御意。では」
執事長が部屋を出て行った。
アルヴィンは目を閉じ、椅子にもたれかかる。
「最悪の場合……父上と母上にもお出でいただく必要があるかもしれぬな」
※※※
早朝、未だ太陽も登っていない時間にアデルは目を覚ました。
周囲には無数の棋譜。
どうやら、昨日も書庫で寝てしまったようだ。
身体には毛布。枕元には着替え。きっと、誰かがかけてくれたのだろう。
メモ紙に『ありがとう』と走り書き。
寝間着を脱ぎ、着替えつつ戦型を考える。
昨日の対局は途中まで良かった。考えて見ると、この二週間に、考え過ぎて負け続けている。今日は単純に打とう。
着替え終わり、これまた置かれていた手鏡で髪を確認する。一度、寝癖のまま行ったら散々からかわれ、挙句の果て、直してもらうという屈辱を味わったのだ。
あの男、許さない。絶対に、けちょんけちょんの、ぎったんぎったんにしてやるんだからっ! そして……約束を守ってもらう。
準備をし終え、自分自身に隠蔽魔法をかける。
案の定、書庫周囲には探知魔法が無数に仕掛けられていた。仕事とはいえ、みんなには迷惑をかけてしまっている。でも、私にとって大陸王者なんてどーでもいい。今は、あの男に勝つ事が最優先。
……きっと、御父様には分かってもらえないことだろうけれど。
く~、とお腹の鳴る音。
うん、決めた。朝食は――あいつに奢らせよう。この二週間で、あいつの一日は分かっている。今から行けば、寝床に潜り込めるだろう。
――アデルはこの日、浮かれていた。アーネル家に仕える者達が、その笑顔を見たら驚愕したことだろう。
しかし、それ故に気付かなかったのだ。
探知魔法が囮であり、着替えた服そのものが特殊な生地で作られ、彼女の居場所を特定する事に。
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