外伝―24 盤上に踊りし魔女➁

「中央に、魔法兵を三個。長槍兵を三個――もうここまできたならば、構うまい。三手目も公表しよう。中央に軽騎兵を二個だ」


 自信満々に男――王帝兵棋おうていへいぎ大陸王座決定戦の挑戦者は、宣言した。片目だけに眼鏡をつけ、髪は金髪。長身で礼服姿。勿体ぶった動きで眼鏡を直す。どうやら、七番勝負の初戦勝利を確信しているようだ。

 臨時に大聖堂内へ設けられた対局場。周囲で、戦局を見守っている観客や、映像宝珠を構えている新聞記者からはどよめきが起こる。

 当然だ。

 三手の内、一手が相手に分からないこそ盤面はより複雑化し、予想だにしない状況が生まれる。これは、盤上が対戦の度に地形を変え実際に駒をその場へ動かして見なければ、大部分が霧に覆われている要素と相まって、王帝兵棋が軍人の教育に最適、とされる所以ともなっている。戦場では、得てして摩訶不思議な事が起こるものだからだ。

 対して――現大陸王者が座っている席は空だった。

 お昼休憩が入り、対局が再開して以降、誰一人、その姿を見た者はいない。

 挑戦者の駒が動き出し、王者の陣地へ進軍。霧が晴れていき、そこにいたのは、僅か長槍兵が一個のみ。軽騎兵のみが持つ偵察効果により更に霧が晴れていく。

 観客達がひそひそ話。


「……おいおい。幾ら何でも中央が薄すぎるぞ」

「ああ。これでは、如何な王者でも」

「右翼でも、左翼でも無駄に騎兵を散らした。これは――もしかすると、もしかするか?」

「かもな」

「それにしても、当の本人は何処へ行ったんだ? まぁ、王者が対局中にいなくなるのは何時もの事だが……今回は、相手が相手。挑戦者決定戦を全勝で勝ち上がったきた、ベイリー伯爵だ。調子に乗ってると――」


 大聖堂の奥から、立会人と関係者数名がやって来た。表情は極度の緊張。

 全員の視線が突き刺さる中。紙を持っている立会人の老人が重々しく口を開いた。


「申し訳ない。王者は気分が優れず、帰宅されました」


 皆がざわつく。おい、もしかして、またか? またなのか??

 ベイリー伯は、忙しなく眼鏡を直しながら尋ねた。


「……どういう事だろうか? それはつまり、投了、したと?」

「いいえ。現状は――ああ、なるほど、中央へ駒を更に進めた第八十五手目ですか。では、王者の次手を読み上げます」 


 あぁ……という、深い溜め息。

 初めて取材にきた記者は怪訝そうな表情を浮かべ、ベテランの先輩記者へ尋ねる。


「(何ですか? この空気。いきなり、終局を迎えたような雰囲気ですけど)」

「(ああ? お前、何を言って――初めてだったか。なら、よく見とけ)」

「(?)」


 立ち合い人が、次手を読み上げる。単純に中央の長槍兵を退却させ、もう一手もまた、先程右翼で撃破された騎兵を動かす一手。

 挑戦者は、苛立たし気に駒を中央へ進ませる。

 騎兵と長槍兵では、移動速度は違う為、追いつかれ戦闘。

 が、地形に寄った長槍兵。そして、秘かに布陣していた弓兵の抵抗により、騎兵が苦戦。軽騎兵が損耗。

 ――それでも、どうにか殲滅し、王者の本陣へ駒を進めさせる手を打った挑戦者。今度こそ勝利を宣言しようとし……直後、音を立てて、椅子が倒れた。


「!? ば、馬鹿なっ! こ、こんな馬鹿なっ!! 『皇帝』は何処へ消えたのだっ!?」


 本陣はもぬけの殻。

 観客の多くからは、更に大きな深い深い溜め息。……終わった。

 立会人が王者の次手を指す。  

 ――突如、挑戦者側の本陣後方に、『皇帝』の駒と、魔法騎兵が姿を現した。

 片や『国王』を守る駒は少ない。前線へ投入されてしまっているのだ。

 挑戦者の顔が蒼から赤へ。身体が怒りと屈辱で震え、声を荒げそうになるのを、超人的な精神力で抑え込み――やがて、投了を告げた。

 新米記者は呆然。先輩記者は、魂が今にも抜けてしまいそうな挑戦者を気の毒そうに見つめ、呟いた。


「……もう駄目かもしれんな。、また四戦全敗だろう」

「噂には聞いてましたけど、現王者ってそんなに凄いんですか?」

「絶望的にな。あの赤髪で、目つきの悪い糞餓鬼――『魔女』アデル・アーネルは、齢七歳で大陸王者に君臨して以来、この五年間、公式、非公式含め全勝。しかも、飽きると今回みたいに途中で退席。しかも、ご丁寧に、だ。あの、餓鬼は長い王帝兵棋の歴史上最高の打ち手にして……最悪の打ち手なんだよっ!」



※※※



 コーネリアの港が一望出来る、とあるカフェ。

 潮風が気持ちよく吹き、空は雲一つない快晴。多くの観光客や、地元の人間が行き来している。皆、楽しそうだ。

 ……カフェ奥のテーブルを除いては。


「ほれ、そっちの番だぞ」

「……五月蠅い。気が散る。黙れ」

「へーへー。あ、悪い、俺、もう一杯珈琲を。それと何か軽く食える物をくれ。学生さんは? 奢ってやるよ」

「……いらない。話しかけるな」 

「美味いのに。なぁ?」

「は、はぁ」


 困惑しきりな店員を呼び止めた、黒髪の男は肩を竦める。

 ――テーブル上には、この場にまるで似つかわしくない王帝兵棋の箱。

 盤面を見つめているのは赤髪の少女。

 顔立ちが人とは思えない程整い、まるで人形のよう。幼い顔は真剣そのもの。白を基調に細かい刺繡が施してあるローブを着ている。どうやら、魔法学校の生徒なようだ。

 やがて、静かの口を開いた。


「……右翼へ、軽騎兵を三個。魔法騎兵を三個」

「おー手堅い一手。前に西を旅してた時、馬車で乗り合わせた婆さんみたいな手だな」 

「……うるさい。燃やされたいの?」

「こえーこえー。ツンツンするなよ。折角の可愛い顔が台無しだぜ?」

「……触れるな。勝ったら、約束は守ってもらう」

「分かってるって。これでも義理堅い男なんだ、俺は。こうして時間通りに来てるだろ?」


 少女は、頭を触ろうとした手を叩き、冷たく言い放つ。

 対して男は苦笑しながら、珈琲を飲む。


「……当たり前。なんか許さない。私が勝ち越すまでやる」

「大分、遠そうだがなぁ。ま、当分は付き合ってやるよ。風も吹かないらしいし、な。あー」 

「…………アデル。アデル・アーネル。いい加減、覚えろ。馬鹿男」

「お前だって、俺の名前覚えてないだろ? さ、言ってみな」 

「……覚える必要がない」

「なら、覚えるまで毎日言ってやるよ。俺の名はカイ、だ。学生さん?」

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