外伝―20 迷子の子猫➈
「ねぇ、ゼナ」
「んー」
「あのカイさんは、どういう人なの?」
「ますた? ますたはますた!」
「あ、うん、それは分かってるんだけど……」
嬉しそうに振り向いた妹の髪を櫛で梳く。石鹸の匂い。
それにしても随分と伸びたなぁ……。
小さな手が、綺麗な刺繍がされたリボンを掴んで私へ渡してくる。
「これは?」
「ゼナのリボン! ますたがくれたの♪ つけて、つけて」
「今から、寝るのよ?」
「つーけーて」
「……仕方ないわねぇ」
細くて本当に綺麗な髪だ。輝いている。
……てっきり、とても酷い事をされたんじゃないか、と思っていた。あのカイという人間は、妹を心から大事にしてくれていた事が分かる。
だからこそ――戸惑う。
あの目……明らかに、私達を『敵』と定めていた。私が飛び出さなければ、躊躇なく敵対しただろう。
くすぐったそうに膝の上でゼナが身体を揺する。
「こーら、駄目よ。上手く結べないじゃない」
「♪」
耳と尻尾が嬉しそうに動く。
この子の笑顔を守ってくれた男の人。
そして、私達へ剣を向けようとしていた男の人。
……いったい、どっちを信じればいいんだろう?
ゴマと話をしたかったけれど、宴会中はその機会がなかった。
まぁ、いいや。明日の朝にでも話せば。
ゼナが扉をじっと見つめている。
「ゼナ? どうかしたの?」
「ますた!」
「あ、ち、ちょっと」
私の腕を振りほどき、外へ駆けだそうとした。
慌てて掴みつつ、屈み話しかける。
「ど、どうしたのよ? あの人が近くにいるの?」
「んーんー! ますた、ますた!!」
「大丈夫よ。明日の朝には会える――」
「ザナ様! ゼナ様!」
部屋の中に剣を持ったゴマが叫びながら駆け込んで来た。
――全身傷だらけで、血が滲んでいる。
「ゴマ! 大変、血が」
「それどころではありませんっ! 早く……早くお逃げ下さいっ!」
「へっ? に、逃げるって、何が」
「いいから! 外へ出て、カイ殿の」
「行かせる筈がないだろう? お前たちは今宵、この場所で死ぬんだよ」
「うむ。姉妹再会の晩に――人族の手で殺害されて、な」
こ、この声……そ、そんな……どうして? 何で??
武器を構えた一尾と二尾の兵達に守られて、入って来たのはギオロと、二尾族の長であるブール。
「貴方達……!」
「嗚呼、可愛い可愛いザナ。そんな怖い顔をしてくれるなよ。これは必要な――そう、猫族が生き残っていくには必要な事なんだからなぁ」
「うむ、そうだ」
「何を言って……」
「猫族は一つにならなくてはならなきゃならねぇんだよ。外の人間共は、どんどん人口を増やし、産業を発展させている。その為には俺達もまとまらないとならねぇ。だが……それは兄貴が言ってたような理想論なんかじゃ駄目だ」
「うむ。幾ら我等が一つになっても、他の獣人の下につくのは我慢出来ない。前長の時のように、他獣人に譲歩するのではなく……我等が支配しなくてはな」
「な、何を言っているの!? そ、そんな事出来る筈ないじゃないっ! 獣人同士で戦争でもする気なの!!?」
「戦争。いいじゃねぇか。俺は、お前達や、あいつら馬鹿共と違って、外を――人族の世界を知っている。そして、そことの繋がりもある。進んでいる考えと優れた武器があれば、獅子だろうが、虎だろうが、怖くねぇ」
「うむ。我にも多少の伝手はあるのだ」
思いっ切り歯ぎしりをする。
言ってる事が無茶苦茶だ。第一たとえ勝てても、そんな国は周囲の人族から疎まれるに決まっているじゃない!
槍が突きつけられ、じりじりと後退。
……どうにかして、ゼナだけは、妹だけは逃がさないと。
ベッド脇に置いてある、片手剣が視界の端に見える。
「……私を殺すのは分かるわ。邪魔なのよね。ただ、どうしてゼナまで巻き込むのっ! この子は、まだ子供なのよ!? それに三尾族へどう説明する気?」
「その子は『神子』だ。俺は信じちゃいないが……多くの馬鹿共は未だに信じていやがる。『精霊に愛された者』。馬鹿馬鹿しいっ。だが、信じられている以上、そいつは俺の統治に邪魔だ。なら――悲劇の主人公にしちまう方がいい。三尾なんてのはどうとでもなる。あんな少数者の口を塞ぐなんて、わけないんだよ」
「……俺のではない。『俺達』の、だ。そうだろう?」
「おっと、いけねぇ。そうだった、そうだった。『俺達』のだ」
この二人……どうやら、完全に手を結んでいるわけじゃないみたい。
ゼナが私の足にしがみつき、さっきからずっと震えている。
……ごめんね。折角、帰って来てくれたのに、こんな馬鹿な事に巻き込んで。
「ザナ様。ゼナ様を連れてお逃げください。ここは私が!」
「おいおい。ゴマ。分かってるだろうが? 幾らお前でも、これだけの数は相手に出来ない。死ぬぞ。間違いなく。その二人と違ってお前には使い道がある。どうだ? 俺の下に来いよ」
「貴様っ!」
「おお、怖い――なら、死ね」
ギオロがぞっとする程、冷たい声で命令を下した。
ゼナを抱えて、咄嗟に跳躍し片手剣を手にし、引き抜く。
「……おねえちゃん」
「ゼナ、離れちゃ駄目よ? 大丈夫。お姉ちゃんが守るから!」
「ははは、麗しき姉妹愛ってやつだな――ちびは殺せ。姉は好きにしていいぞ」
「やらせんっ!」
ゴマが群がってきた、雑兵達を即座に数名斬り伏せ――られなかった。高い金属音が室内に響く。
服の下からは、見た事がない金属製の鎧。
「人族から買った、魔法金属で作られた鎧だ。幾らお前でも、そいつは斬れねぇよ、ゴマぁ」
「うむ。こいつらは精鋭だ。何時も対策はしている」
「ほぉ……ブールさんよ。そいつは、何の対策なんだい?」
「——二尾族は常在戦場を旨としているのだ」
「そうかよ」
じりじりと追い詰められる私達を無視して、ギオロとブールはもう既に戦後を考えている。だけど、このままじゃ。
兵の剣と槍を必死に防ぐも――遂にゼナが足を取られた。
「よし、捕まえたぞっ」
「やっ!」
「ゼナ!!!」
「ゼナ様」
「いいぞ。そのまま――殺」
「やぁぁぁぁぁぁぁ!!!!!!!」
ゼナの叫び声。同時に室内の、家具がガタガタと揺れ、照明が点滅。
四方に突風が吹き荒れ、硝子が四散。周囲の兵達のみならず、私達までも吹き飛ばす。壁にぶつかり激痛。片手剣を支えに、何とか立ち上がると――。
「何だ!? 何が起きた! 何だというのだっ!」
「うむぅ……ま、まさか……あ、あれは……」
「ゼナっ!」
「ゼナ様っ!」
――ゼナを包み込むように、禍々しい漆黒の竜巻が産まれていた。踏ん張っていないと、引きずり込まれそうだ。
悲鳴と共に、兵の数名が目の前で飲み込まれた。異音。鎧の欠片が飛んできて、壁にめり込む。
こ、これって……呆然とする、私の耳朶を平坦な男の声が打った。
――窓から入ってきたのは、カイ。私達を見る目は、冷たさを通り越している。
「あー……やっぱりこうなったか。本当に、てめえ等は俺を怒らしてくれる……。おい、どーするよ? 精霊達は怒り心頭だ。お前らどころか――ゼナが『止まれ』と言うまで、全てを薙ぎ払い続けるぞ。どう落とし前をつけるんだ? ん?? ああ、当然だが逃げるのは不可だ。逃げたら俺が今すぐ殺す。もしかして、自分達だけは安全圏かと思ったか? 残念、射程内だ。……剣を抜いた以上、剣を向けられてから逃げようとするな。さ――どうするよ。せめて覚悟くらいは見せてくれるんだよな?」
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