外伝4:迷子の子猫

外伝―12 迷子の子猫①

 アーレス海に面する、大陸南西部の交易都市ウルトンの主要産業は、その名の通り各地との交易と漁業。そして、最近は観光業が発展してきている。

 ウルトンには約500年前の街並みが残っており、それを見物しに大陸中から多くの人々が訪れる。これは、この都市が所属している都市連合である、商業同盟が打ち出した大方針『観光業の育成』のテストケースとして、同盟からの大規模支援が行われた結果とも言える。

 都市内部では、今や観光客相手の飲食店や屋台、土産物店が軒を連ね、活況を呈している。

 そして港が見えるここにもそんな屋台が一つ。何かを焼く臭いが周囲に立ち込めている。


「いらっしゃい、いっらっしゃい! ウルトン名物、魚の干物だよ! 旨いよ! 騙されたと思って食ってみてくれよっ! 脂ものってるよっ!」

「おぉ……旨そう……おっさん。一枚、喰わせてくれ」

「いらっしゃい! ……あん? おいおい、兄ちゃん」

「何だ?」

「金、持ってんだろうな? 先に金を払ってくれ!」

「あー……物々交換じゃ駄目?」

「駄目だ。金持ってねぇ人間に興味はねぇ。ほら、とっととうせな」


 干物を焼く男に声をかけてきたのは、ボロボロの外套を羽織っている青年だった。20代前半だろうか? 髪はぼさぼさ。どうやら旅人か。見るからに胡散臭い。

 青年は、男からそう言われると、おもむろに何かを取り出し、そしてもう一度口を開いた。


「分かった。ならこうしよう。おっさん、火だけ貸してくれ。で――俺が今からこいつを焼く。それで、客が増えたら俺にその干物を喰わせてくれよ」

「はぁ? てめぇ、喧嘩売ってやがるのか? 大体――そりゃ、何だ?」

「焼けば分かるさ」

「お、おいっ!」


 そう言うと、青年はさっさと男の屋台に入り込み、持っていた何かを焼き始めた。何処から、奇妙な風を送る物を取り出し、パタパタ、とはたく。

 

 ――周囲を歩いていた観光客が、次々と足を止める。


 嗅いだことがない、けれど、食欲――否、お酒が飲みたくなってくるような。

 青年が男に声をかけた。


「なぁおっさん、ここは酒を売ってないのか?」

「酒だと?」

「おお。どう考えても――干物とこいつには酒が必要だと思うんだが? お、もう、そろそろいいな。ほれ、喰ってみてくれよ。絶対、酒が欲しくなるぜ」


 そう言って、青年が何かの肉の燻製? だろうか。焼きあがったそれを男に渡してくる。

 ――周囲は男を注視。

 視線を感じながら、男はそれを口へ。


「~~~! うっめぇなぁ、こいつぁ!!」

「だろ? そいつは、俺特製バジリスクの粕漬だ」

「粕漬? しかも……バジリスクっておめぇ……」

「粕ってのは、東の方で作られている酒を仕込む際に出るもんだ。前に向こうを旅した時、大量に作ったんだよ。で――どうやら、客だぜ、おっさん。ここは、俺がやっとくから、酒を仕入れてきてくれよ。昼間でも酒飲ませてもいいんだよな?」

「お、おぅ! あ、干物は一枚」

「銅貨20枚だろ。ちょっと安すぎだと思うぜ? ほい、お待ち。何が食べたんだい? もう少し待っててくれれば、酒もあるよ!」


 呆然とする男に目もくれず、青年が客の応対と、干物と粕漬を焼き始める。その仕草は、とても素人のそれではない。

 ……しかも、バジリスクだって? 超高級素材じゃねぇか! そんなのを狩ったってのか? こんな旅人が??


「おっさん! 早く酒ー! 取りあえず、俺の手持ちを売っておくからさ」

「わ、分かった! ま、待ってろ!」


※※※


 仕入れた干物の全てと酒を売り切り、屋台を閉めた時、既に街灯がともり、空には星が瞬いていた。

 男は、震える手で手持ち金庫を閉じる。


「……し、信じられねぇ。一日でこんなに儲かるなんて……」

「いやぁ全然だろ。おっさんの干物旨いし。酒を仕入れて、他にも売ればもっと儲かると思うぜ。と言うか、こんなにもらっちまって良かったのか? 俺は、別に干物数枚貰えれば良かったんだが」

「その金は、お前が例の粕漬だかを売って稼いだ金だ。第一、さっき俺に押し付けてきた金額だって場所代にしちゃ多過ぎる。ウルトンの商売人は、商売の駆け引きはしても、騙しはしねぇんだよ!」

「そっかそっか。まぁ、今日は楽しかった。宿まで教えてもらえた挙句、部屋まで抑えてもらえたし」

「おうよ。そう言えば聞きそびれたがよ、お前さんは――」


 その時、小さな影が彼等の目の前を風のように駆けて行った。何だ?

 隣の青年が「猫族の子供? しかも精霊反応だと? 何でこんな所に」と、小声で呟いたような……。

 暫くして男が三人、殺気立った様子で現れ、懐から懐中時計のような物を取り出すと、小さな影が消えた方向へと再度、駆け出し、夜の帳に消えていった。


「ありゃ何だ? 危ねぇ感じがしやがるが……」

「おっさん、ちょっと野暮用が出来たみたいだ。今日は楽しかった。干物、ありがとうよ。じゃな」

「お、おう。あ、だから、お前さんの名前は」


 男が声をかける間もなく、青年の姿は消えていた。

 ――夢か? 思わず、頬をつねる。自分は起きている。

 何より片手には、重たい手持ち金庫。

 不思議な男もいたものだ。何より――あの粕漬たるや!

 何時か、必ずあのレシピを再現してみせる。必ずだ!

 男はやがてその野望と共に、店を大きく発展させていく事になるのだが……それはまた別の話。



※※※



 ウルトンのとある路地では、追いかけっこが終わろうとしていた。

 三人の男達はじりじりと距離を詰め、その子供はもう捕まるばかり。


「ちっ! 手間どらせやがって。ようやく、明日は競売だってのに……ここで、てめえを逃がしちまったら、今までの苦労が水の泡なんだよ!」

「人の売買はご禁制。バレたら、俺達は即刻死刑だ」

「優しくしたら付け上がりやがって、少し、御仕置が必要なようだなぁ」


 その子――猫族の少女は、身体を大きく震わせて動けない。おそらく、逃げた事ですら、勇気を振り絞った行為だったのだろう。

 男達が近付いてくる。そして、その手が――。


「うわぁ……このご時世で、まだこんな事をしてる阿呆がいたよ……命知らずを超えるね……あ、やっぱ、この干物旨いわ」


 場にそぐわない声。男たちが振り向くと、干物を口に咥えている青年。

 男達の間に、多少の緊張と動揺。

 

 ――青年の姿が消える


 次に聞こえてきたのは、男達の後方。


「つーかさ……猫族の子をどっから連れてきたんだよ? まさかほぼ、大陸の1/4を横断してきたのか? その根性あるなら何でも出来るだろうに……阿呆だな」

「て、てめぇ! 何者だ!」

「何者か? う~ん、一概には言えん。ああ、お嬢ちゃん。俺は味方だよ。大丈夫だ」

「…………ほ、んと?」

「ああ、本当だ。俺の名はカイ」

「カ、イ?」

「そうだ。頭がいい子だな。さて、と」


 震えていた猫族の少女の頭を優しく撫でた青年――カイが男達へ向き直った。

 どさり、男達の一人が尻もちをつけて後ずさる。

 凄まじいまでの殺気。



「な、何なん、何なんだ、て、てめえはっ!! お、俺達を誰だと――」

「知らん。興味もない。第一、獣人を奴隷として売買しようとしてる輩の情報とか人生に必要としてない。あと、俺のことも、今から死ぬ人間擬きが知る必要はないと思うぜ? 取りあえず――この子が感じた恐怖分はその身で払っていけ。遠慮はいらないからよ」

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