外伝―3 魔王の矜持

「――魔王陛下、全軍の配置、完了したとのことです。最早、あの忌々しい城は我が軍の完全包囲下にあります」

「そうか……」

「魔王陛下?」

「よい――下がれ」

「は、はっ!」


 報告をしにきた部下を下がらせる。

 

 ――おそらく、心底意外だったのだろう。即座に総攻撃命令が発せられない事が。あの驚いた顔よ。


 くくく……誰もいない謁見の間に笑い声が響く。

 この戦い――『決戦』が始まってしまえば、このような道楽は持てない。

 ならば、僅かな時間を最後の『対局』に割いたとしても問題はなかろう。

 

 ――虚空に浮かぶは現在の盤面。


 開戦から一年余り。

 まさか、ここまで局面が悪化しようとは! 神ならぬ身では予見など……否、余の対面に座る『貴様』には分かっていたのか?

 当初の奇襲作戦によって、敵軍を削ると同時に恐怖を植え付け、地を稼げせた事が間違いだったとは思わない。事実、ここまで戦えている事がそれを証明していよう。だが――


「……忌々しい短剣よ。どれ程の血を欲すると言うのだ」


 魔王軍の占領地域、その中に残されたまるで小石のような存在――今や、魔王軍内ですら知らぬ者などいない、ダカリヤ辺境伯領。

 当初は単なる小骨程度に思っていた。ただし、今後の侵攻を考えれば、抜いておくべきだとも。

 だからこそ――当時は過剰とすら思えた十将の一人を差し向けたのだ。

 

 ……が、それが錯誤の始まりだったのだ。開戦時、十人を数えた将も今や五人。

 

 その内の三人が、この小骨――否、血を欲して止まぬ短剣の前に倒れた。

 他方、人間共が『英雄』と呼ぶ女達によって、先鋒を務めていた二将も討たれ、今、この魔王城には将は一人もおらず、残っているのは直属の親衛軍のみ。

 

 ――誰しもが分かっておらぬのだろう。おそらく、人間共の王を号する連中も。


 我等はこの戦に敗れつつある。だが……余は人間共に負けてなどおらぬっ!

 今の戦局に余を――そして、魔王軍全体を追いやったのは、全て『貴様』の仕業だという事を、気付かぬとでも思ったかっ!

 唯一の錯誤は、あの時――『貴様』がいる事に気付かず、単なる小骨と誤認し、中途半端な戦力を差し向け此方の情報を与えてしまい、付け入る隙を与えてしまった事よ。余を含める全軍をもって叩くべきであった……!

 結果、『攻勢積極派』と『攻勢慎重派』に内実は分裂していた窮状を悟られ、櫛の歯を欠くように、『攻勢積極派』の将兵を各個撃破されようとはな。

 おそらく――『貴様』がいなければ、余はまだ勝っていた。

 このように、『決戦』を事もなく、今頃は、人間共が王都と呼ぶ都の前面で会戦を行っていただろう。


 しかし――現状は、余自身を囮とし、『英雄』共をおびき寄せ、その間に『貴様』と短剣を排除せざるを得なくなっている。

 分かっておる――これこそが『貴様』の望んだ事だとな。

 そうしなければ、『貴様』と精兵揃いである短剣が戦場で荒れ狂うは必至。

 それを抑え込んでいた将も最早おらぬ。今、考えればあ奴は余よりも早く、危険性に気が付いていたのだな……。


 だが……余は魔王である。

 魔王は、魔族内において最強。

 ならば――その力をもって、全てを逆転してみせよう。

 『英雄』共を返り討ちにした後、たとえ『貴様』が魔王軍主力の猛攻からその時点で生き残っていようとも、余自ら討ち果たしてみせようぞ!

 魔王は玉座から立ち上がった。


「誰かあるっ!!」

「はっ!」

「全軍に命令――全力をもってあの忌々しい城を落とせっ! 如何なる犠牲を払おうとも、あの城を抜くのだっ!! その後は、人間共を蹂躙せよ。ここに来るであろう英雄共は余自ら相手をする!!!」

「はっ!! 仰せのままに」


 さぁ……『貴様』の望み通りの盤面にしてやったぞ?

 後は死力を尽くして戦うのみ――うむ、これこそ魔族の、そして魔王の闘争に相応しい。

 最後は純粋な力によって決そうではないか? 

 まだ見ぬ――余の対局者よ。



※※※



「――風が変わったな」

「ああ――ヨハン、どうやら来るぞ」

「そのようだ」


 城壁の上から、魔王軍――目測で約二十万――を眺めていた、ヨハンとカイはまるで日常会話でもするかのよう呟いた。

 それを聞いていた将兵達に緊張が走る――ついに来るのだ。


「よし! お前は本営へ退け。俺も塔へ行く。まずは挨拶代わりに狙撃する」

「……カイ」

「何だ?」

「……いいか、死ぬなっ! 絶対に死ぬなっ!! お前は私にこんな所で死ぬ男じゃないと言ってくれたな。その言葉、そっくり返してやる。お前はこんな所で死ぬべき男ではないっ!!!」

「――人は誰でも何時か死ぬ。それは避けられない。だが――それと足掻かないのは全く別の話だ。そうだろ? 俺は足掻くよ。まだ死にたくはないしな。それにだ――」


 カイがこんな局面でも、くすくす、と笑う。

 それを見ていた将兵の心に宿るは――希望。


「お前に説得を任せたとしても、だ――あの嬢ちゃん、あの世まで来かねないじゃないかっ! 頭は良いのに、変な所で常識外れだからなっ!!」

「……確かに、そうだな」

「ま、そういう訳だ――重ねて言う、死ぬつもりはない。ないが……もしそうなったら」


 カイがヨハンだけに聞こえるように囁いた。



「……すまないが、謝っておいてくれ。だから、お前はどっちみち死ねないよ?」

「……勝手な奴めっ。だが……しかと承った、殿

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