第7話  絶望、ふたたび

カァカァカァ。


烏が森へと帰ってく。

何羽も何羽も飛んでいく。

オレも連れてってくんないかなー。

えっへっへ。


陽がまもなく落ちそうだ。

畝(うね)もアヤメも真っ赤だな。

オレは一層真っ赤だろう。

何せ魂まで真っ白だからな、よく染まることだろう。

ウェッヘッヘ。



好感度とか初彼女とか、今となってはどうでいい。

今日という日が終わることを、ただ祈るばかりだ。

腕も腰も既に感覚がない。

痛い痛いと騒いでいるうちは、まだ余裕のある証なんだろう。

とりとめもない事をぼやきつつ、のっそりとした作業は続けられた。


そんな生ける燃えカスとなったこの身に、救いの手が差し伸べられる。



「もう陽が暮れるし、今日はここまでにしようか。おつかれさまー」



やっと…終わった。

その言葉に腰が砕けて、その場に座り混んでしまう。

ここまで長い1日を過ごしたのは生まれて初めてだ。

夏休みの補講も大概だが、そんなレベルじゃない。

延々と続く無限地獄だと錯覚したくらいだ。



「だいぶ消耗したねー。家に帰ったらゆっくりしてていいから」

「ァィ」

「体もほぐしといた方がいいよ。筋肉痛になっちゃうからさ」

「ァィョ」



適当な返事に終始しながら、家に戻っていった。

まだ一日しか過ごしていないのに、胸に溢れるこのホーム感。

安心できる場所ってのは大事だね。



「私はご飯の用意するから、ソファにでも横になりなよ」

「ゥィ」

「準備できたら呼ぶから。眠ってても大丈夫だよー」

「ゥィゥィ」



クッタクタのぬいぐるみのように、ドサリとソファに倒れこんだ。

程よい反発がしっかりと受け止めてくれる。


寝てて良いと言われても、脳が覚醒しきって仮眠すら取れそうにない。

体は補助エネルギーの分まで使い果たしたというのに。

これはなんという拷問だろう。



視界の端にテレビが見える。

20インチちょいくらいの、控えめなサイズだ。

こんな時はテレビが良い。

頭を使わずに見られそうな、当たり障りの無い番組でもつけよう。


幸いリモコンはソファの側にあった。

体の悲鳴を聞き流しつつ、ポチり。

少しの起動時間を待って、液晶に鮮明な映像が映し出される。

電波がどうのって問題は無さそうだ。



「本日のイバラキのニュースです。現地のリポーターに繋ぎましょう」


おっと、知らない報道番組だ。

きっとローカルチャンネルなんだろう。

全国区の番組はどれかな?



「豊かなイバラキの大地が育んだ、香り豊かなブルーベリーが……」

「ん?」

「我らが名峰、筑波山から見える景色は……」

「んん?」

「ラッキーラッキーいばらっきー」

「んんんん?」



なんだよこれ。

どこのチャンネルにしても、全部ローカルじゃねぇか。

有名な番組は一切放送されていない。

これは、ひょっとして……?



「驚いたでしょ。私も最初は衝撃を受けたなぁ」



いつの間にかアヤメが側にいた。

タイトなピンク色のエプロンを身に付けて。

……似合うじゃないの。



「もしかしてこれも『異世界化』の影響なのか?」

「そうだと思うよ。電波までも断たれてるみたい」

「じゃあここの連中は、都心の放送を知らないってのか?」

「もちろん。有名なドラマもアニメもバラエティも知らないよ。話題に出しても『何それ?』って感じだったし」



マジかよ……。

ここは本当に違う世界なんだな。

人や物だけじゃなく、通信や情報までシャットアウトされちまうのか。



「それから、電話やネットも県外には繋がらないからね」

「うっそ、マジかよ!? 動画やまとめサイトも?」

「ムリムリ、見れないよ」

「うぁー、最悪。ネットがダメとかもうね……」

「全部ダメって訳じゃないけどね。県内の人が開いてるブログとかは平気だし」



違うんだ。

そうじゃないんだ。

毎日更新されるゲーム実況とかさ、攻略動画が観たい訳よ。

タイムアタックとかに熱狂したいんだよ。

思い付きでコメントを書きなぐりたいのよ。


そして何よりも大切なもの。

それはアダルトサイト。

エロスは心のオアシス、戦士たちの休息の場。


この感じだと、お気に入りのサイトから弾かれてしまうんだろう。

月額会員の登録したばっかりなのに繋がらないだなんて……。

アヤメが寝静まった頃にコッソリ楽しもうと思ってたのに!

夜な夜な左クリックしようと企んでたのに!


あぁ、もうどうにでもなれ。

何度目かわからない絶望に、オレは静かに涙するのだった。

いや、もう枯れてしまったかもしれない。



「ご飯できたよー」



世捨て人と成り果てたオレに声がかけられる。

気落ちしていても腹は減るものだ。

体をなんとか起こして、食卓へと向かった。



「どうしたの? 美味しくなかった?」



箸のすすまないオレを見て、アヤメが心配そうに言った。

先に言っておくが、料理は相変わらず絶品だ。

魚のソテーも、ジャーマンポテトも、コンソメスープも、全部旨いと思う。

ただ何というか、胃が受け付けないんだよな。

食べたいのに食べられないジレンマだ。



「食べたいのはやまやまなんだが、食欲がなくって……」

「そうだったんだ。それなら良いものがあるよー」



アヤメはそう言うと、冷蔵庫から陶器の小壺を取り出した。

手のひらサイズの壺がコトリと置かれる。

漬け物入れ……か?



「疲れたときにはやっぱりコレよね。1つ食べてみて」

「これは、梅干しか?」

「そうそう。貰い物だけどね。美味しいからさ!」



見た目は例によって、あまり良くない。

粒も大きくてシワシワだ。

カリカリ梅なんかと比べると、向こうの方が美味しそうに見えるだろう。

まぁ、食べるがね。

梅干しは割りと好きだから、2・3個貰っとくか。



「あ……。そんなに一気に食べちゃうと」

「うん、何が……ッッ!?」

「うわぁ、酸っぱいでしょー。1個でも凄いのに」

「ンンーッ!!」



焼ける!

喉が焼ける!

痛みが伴う酸味っておかしいだろ!


口のなかも唾液がすさまじい。

それに梅干しの果肉と種が加わる。

あっという間に窒息の危機に陥ってしまう。

死因『梅干し』と『やけ酒』はどっちがマシなんだろう。


どっちも格好悪ィんだよ!


それからなんとか種を吐き出し、果肉を飲み込んで窮地を脱した。

これからは軽率な行動は控えよう、マジで。



「大変だったねー。これ酸っぱいもんね」

「あぁ、死ぬかと思った。唾液で窒息とか笑えねぇ」

「ほんとにね。でもさ、スッキリしたんじゃない?」



……ほんとだ。

体の中がスキッとしてる。

さっきまで食べ物を拒んでいたのに、今では内臓が別人のように目覚めていた。

クエン酸にこんな速効性があるとは知らなかった。



「うんうん、うん!」

「元気になって良かったー。お腹一杯食べて、また明日頑張ろうね」

「うんうん、うんうん!」



翌朝。

オレは壮絶な筋肉痛に襲われることになる。

アヤメの忠告をすっかり忘れていたからだ。

自分のアホさ加減には、もはや涙すら出てこなかった。

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