第2話 工場
夢を見ていた。
「東京に行くの良いと思うよ」
陽光の中、甲高い声が温かな光をつんざくように響いた。自分はそれを耳障りに感じながら、車の助手席に乗りまどろんでいる。隣の席で運転しているのは友人である。太って首がない。大きな肉の上に小さな顔がこびりついて妖怪か何かのようだった。確か東京に就職活動に行く前日、こまごまとしたものを用意するために車を出してもらったのだ。かわりにお昼をおごった。徹夜明けなので疲れていた。
「東京に行くの良いと思うよ。だってここには何もないもん。みんな出て行くし」
甲高い子供のような声で悟りきったように言う。高い声は嫌いだ。耳が痛い。最近の女子はTVに出るやつでもなぜあんなに声が高いのだろう。アニメ声というか。不快だ。以前この隣の友人は自分の高い声を気持ち悪いと評していたが、正直自分の事を悪く言う事ほど気持ちの悪いものはない。あれは同情されたいのだ。周りに気を使うかわいそうなわたしを演出したいだけだ。くだらない。バカバカしい。つまらない。
「そうかなあ」
不快感を出さないように間の抜けた声で答える。同時にバイト先の工場で「バカバカしい」と言われたことを思い出し、内臓が軋むように痛かった。
「うん。何もないしつまんないよ。地域の祭りだってどんどん勢いがなくなっていくし。ここにいる若いやつって人生失敗したやつだけじゃん」
お前もな。
口の中から漏れそうになったが必死で抑えた。これは暗に自分の事も入っている。
言葉に小さな刺をいくつも隠して。本心を悟られないように。でも悟ってほしいというように。だから女は嫌いなのだ。計算高くてずる賢い。女の弱さは武器だ。それで許してもらおうと思っている。ちょっと我がままでも許してくれると思っている。ただの甘えだ。虫唾が走る。だからこういう時はただ黙って受け流せばいい。行動すればいい。この場合の行動は矛盾するようだが別の話題を振ることである。
「しかし、悪かったね。買い物に車まで出してもらって」
後部座席には大きな買い物袋が2つ満杯になって乗っていた。トラベルセットや下着などこまごまとしたものだった。
「いいよいいよ。暇だったし。ばあちゃんの具合も良かったからさ」
「そっちも大変なのにごめんね。本当にありがとう」
謝意は本物である。感謝も本物である。
「いいよ。いいよ」言われ慣れているのか、気を使わせないためかなんでもないように言う。世辞かもしれないが、それほど負担になっていない事にほっとする。太陽の陽光が目に柔らかい光を放って周りをほのかに白く見せていた。まどろむ様なでも少しだけ不安で不安定な停滞を作り出しどこに行けばいいかわからない迷い子になってしまったかのような気分を錯覚する。
「あたしもなんかあった時、話聞いてほしいし。」
その一言は当たり前の言葉かもしれない。友人の頼みを聞きいれ、かわりに自分の要求をのませる。友人関係というものは所詮利害関係あってのものと言えばいいのかもしれない。けれど、そんなものは対等の友人関係ではないという青臭い意識が自分の中にくすぶっている。
以前、出会い系の知らない番号からメールが来た事があった。俺の話も聞いてほしい。だから君の話もきかせてよという内容だった。この事を友人に言うと最近のネットはこわいからさわらないほうがいい。気持ち悪いねと怒っていた。しかし。現実の友人とネットの友人にどれだけの差があるというのだろう。結局のところ自分の都合のいいように他人を利用したいだけなのだ。自分はごめんだ。どちらもいらない。友人など必要ない。そんなものはいらない。
その時場面が変わった。陽光の車内から灰色と白の部屋に。隣にいた醜い友人はいない。部屋は大きな机が中心にあり周りは紙の束や本で埋もれていた。その机に自分は座り対面に釘抜きのような形のセラミックの機械が座っている。機械は人と同じ大きさで先端に赤い光を放つ機械が取り付けられている。どうやらそれは赤外線とカメラの装置のようだった。カタカタと胴体から突き出た機械が電子板をタイプし、そばの機械とコードの塊からピーという電子音と共に紙が吐き出され。また新しい紙山の養分として周りに乱雑に並べられていく。自分はカウンセリングを受けるようだ。機械が人間の話を聞くのである。まあこれもありじゃないかと思う。人の話を聞いて嫌な思いをすることもない。ストレスを感じる事もなくなる。最近の医者はカウンセリングと評し10万ほどの金銭を要求する場合があるというがそれもないだろう。ただ自分は人間よりましとはいえ気持ちの悪い事にかわりはない。以前心療内科に行きカウンセリングの際、笑われた事を思い出し、不快な気分になった。機械も人間も気持ち悪い。
ふと目の前の釘抜きを見ると、徐々に姿がぼやけてくる。かぞく、友人の姿が次々にぼやけた空間に映写機で映し出されたかのように表れる。最後に先程の説明会でカウンセリングをしたパーマの女社員がいびつな見下した笑顔を浮かべていった。
「こんなところに何しに来たの? あなたはいらないの。もう無理なの。見て。みんなあなたより年下よ。あなたがどれだけ努力しても無意味なの。どこにも行けないの」
気持ち悪くて吐きそうだった。逃げ出そうと立ち上がるとくらりと眩暈がした。
びくっと海底から海上に押し上げられたかのような感覚に脳が揺さぶられ目が覚める。少し眠っていたようだった。口元のよだれを気づかれないように袖で拭うと車体が少し揺れた。バスが丁度最寄りのバス停に着いた所だった。もうあたりは暗い。窓ガラスに映る街灯と行きかう車のライトが七色に輝いてまぶしかった。急いで立ち上がり、「おります」と言うと運転手は迷惑そうに眉根を寄せた。自分はすみませんと謝り、あわただしくお金を払ってバスを降りた。
それは子供の頃のお誕生日会の事だった。たしか、小学校の1,2年生のころだ。幼稚園から一緒の友達のお誕生日会だった。幼稚園で同じクラスになってから、毎年贈り物を送っていた。何をあげていいのかわからなかったので、家族にいつももらうおもちゃをあげていた。でもクラス替えがありいつも一緒だったその子とはなれた。いつも一緒だったというのは語弊がある。自分はクラスではその子に関わらず、その子の誕生日の時だけ参加した。だって普通だと思った。いつも参加していたし、誕生日を皆で祝うのは当たり前のことだ。プレゼントはフリーマーケットで買ったきれいなオルゴールとキティのクッションだった。オルゴールはシンプルできれいな音が出て好きだった。クッションは女の子なら好きだろう。いいものを見つけた。きっと喜んでくれるだろう。前日にその子に偶然学校であって我慢できずに言ったんだ。「今年のプレゼントは取っておきなんだ。いいもの見つけたんだ。楽しみにしててね」だけど――それがいけなかったのかな。
「もう、うちにこないで」
誕生日会当日、近所のその子の家までプレゼントを抱えて歩いた。喜んでくれるといいなあと思いながら。その子の家に着くとおばさんが家の前で仁王立ちしていた。おばさんはその子のお母さんだ。大柄でいつも明るく笑う人だ。声が高い人でいつもは鳥の囀るような声だった。けれど、今はキンキンと頭に響いて痛かった。自分が挨拶をするとおばさんは無表情に見下ろした。周りには誰もいない。シーンと静まり返っている。
「もうクラスも違うしあなたは来なくていいの。もう帰ってくれる? 正直迷惑なの。あの子もそう言ってる」
平坦な、申し訳なさを感じない、ただ事務的に述べるような言葉だった。自分は少しの間動けなかったと思う。でもすぐに「うん、わかった」と言って、きた道を戻った。
嫌がるなら行かないほうがいい。今までの誕生日会もプレゼントも迷惑だったかもしれない。取っておきのプレゼントだなんて言ったからきっと断れなかったんだ。だからおばさんが言いに来たんだ。二人に迷惑かけちゃったな。
てくてく歩いていると後ろから「ハッピー・バースデイ」の声と歓声が聞こえてきた。きっと今ケーキのロウソクをふいて拍手をもらっているんだ。みんなで拍手してケーキを食べて誕生日を祝っている。きっと心の底から楽しんでいる。その場所を汚さなくて本当によかった。自分がいたらきっとその光景はなかっただろう。その子も楽しくなかっただろう。だから、本当に、よかった。
家に帰って包装を解く。クッションはよく見るとほつれていた。あげなくてよかったとほっとした。オルゴールは机に置いてねじを回した。最初は回す方向がわからず壊したらいけないしどうしようと考え、時間がかかったがネジをまいた。きれいな音色が部屋を満たしていく。一緒に目から水があふれたけれど、全く悲しくなかった。ただしばらくして猛烈に眠くなって腕を枕にして寝た。起きると夜でお誕生日会はもちろん夕食も終わっていて両親に怒られた。
ひどく懐かしい夢を見た気がした。なんだか瞼が重かった。ピピピっとかしましい音を立てる目覚まし時計を止め、背伸びをする。バスから降りて帰宅し、家族にご飯を持っていき、家事をして、仮眠を取ろうとしたのが3時間前。まあよく寝むれたほうである。ひどい時は2時間しか寝れない時もざらだった。ジャージに着替えて安全靴と制服であるジャンバーを入れたリュックを背負い、自転車で海沿いの工場へと急ぐ。音楽を聴きながら行くので結構楽しい。行く途中、海沿いの防波堤で中学生らしき男の子が任天堂DSでゲームをしている。青い光が不気味に中学生の顔を照らすのでなかなかにホラーだった。親は何をしているんだろうかと少しいぶかしむ。過去はどうであれ故郷の人間がひどい目にあっているのは嫌な気分だった。人が去り、資本が流れ、町は衰退し、残ったのはここ以外行くあてのない人々。そしてそこに入ってくるのは去った人々ではなく、都会から追い出されてきた人々。古い人々と新しい人々の間には隔絶がある。深い深い隔絶が。これをなんとかしないといけないんだけど、でもできないんだよな。誰も面倒事に関わりたくない。
そんなことを考えているとラジオ体操が聞こえてきた。
その音楽を聴きながら工場へ急いだ。
工場につくと自転車を駐輪場に止めて入口へと急ぐ。白く大きな建物。その向かいには駐車場と宿舎がある。入口は駐輪場のすぐそばだ。はいってすぐの所にあるアルコールの消毒液で手を消毒し、受付の人に挨拶する。返事はない。いつものことであるので気にせず素通りする。階段を上がりロッカーへ急ぐ。時間ぎりぎりなので勤務の人も大勢いる。紺のジャンバーの人がこの工場に直に雇われている社員・パートだ。赤いジャンバーは派遣社員。黄色や白や青のジャンバーは派遣のアルバイトやパートだ。すれ違う人に挨拶をしてロッカーで手早く青色のジャンバーに着替え、安全靴をはき、急いで下へ行く。受付も入っているオフィスにいくと機械に配布されたバーコードを通し、バーコードリーダーを借りる。この時間帯は混む時間からはずれているのですんなり借りる事が出来た。それから中へ入る。食品を扱うためか常温だ。少し寒く感じる。バーコードリーダーのバッテリーを借りる。もう朝礼が始まっているが、目立たないように迂回して奥の派遣会社のタイムカードへ急ぐ。タイムカードを押すと21:56でぎりぎりだった。それから束ねてある紙に名前と日時を記入する。そろそろと朝礼のやっている場所まで戻ると工場の社員の朝礼は終わり、派遣会社の朝礼が始まっていた。赤いジャンバーの壮年と茶髪の若い社員を中心に円陣を組む。社員は現在4人。しかし二人どこかに行ったので今は実質この二人で取り仕切っている。
今日も朝5時まで仕事が始まる。
蟲 達磨 @darumarenma
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