達磨

第1話 面接

 なぜこんな焦燥感にいらだつのか。そんなものは決まっている。自分ののぞまぬ事をしたからである。なぜこんなに絶望的な気分になるのか。自分がえるはずだったものを目の前に見せつけられているからである。

 今週で5社受けた。新卒で就職できなかったがためにアルバイトをしながら金をためて資格を取得した。しかしその資格も仕事をやってみて自分には合わない事を確信した。人を扱うものであったが、些細なことから危機感を感じ相手を殺してやりたい衝動に駆られるのである。目の前に顔があるともう顔の形が変わるくらいぶん殴ってやりたくなる。これではいけない。いつか人を殺してしまうと平謝りでやめ、就職活動を開始した。しかしこの不況である。しかも転職と言えば経験が見られる。職歴と言えばアルバイトだけで経験は見られない。何の経験もなく、雇ってくれる新卒カードもすでにない。求人も少ない。東京にも行ったもののこの事を痛感するだけだった。東京にも行った。しかし、やはりだめだった。もう遅いのだ。新卒でなければ意味がないのだ。面接を一緒に受けた隣の男性は同い年で大企業での勤めの経験を持つ人で。自分も本当ならその位置にあったはずだ。本来なら。大学で都会に出る。新卒で都会に出るという夢は潰えたわけである。上を見るなと言うけれど無理な話だ。だって前まであったんだ。自分も上にいけるという希望があったんだ。たとえ大学も絶望だけだったとしても。まだ未来はあるという希望があったんだ。両親は日本全国で就職活動をしろという。大学での就職活動の時にそれを言ってくれたならば。地元にこだわらせなかったならば、こんなことにはならなかったはずなのに。

 まあ、自分が悪い。全ては自分が悪い。うまく説得しきれなかった自分も。負けた自分も。

 這い上がろうと努力するもののなかなかうまくいかない。貯めた金も底をつく。親に借りる。嫌なものだ。本当に嫌だ。この年になってまだ小遣いをせびるとは。ほんとうは逆のはずだ。本当なら今頃楽をさせてあげている頃なのだ。本当なら!

 大学から通じてスネをかじる。甘えているのは己だ。恥を知ればいいんだ。能なしめ。昔の光景がフラッシュバックする。大学のバス停。一人暮らしの部屋。教室………。深く考えるのはもうやめている。考えて考えて止まらなくなる。泣くのはもう飽きたんだ。現実が朧に揺れる。まるで夢のように。そうすべては夢なんだ。現実も過去も。

 今週の1社目は飛び込み営業だった。それは前の経験のおかげかかなりの好感触だった。しかし行きたくないので入社試験の答案をわざと間違え、履歴書も誤字を入れた。2社目は契約社員。3社目は工場の技術職。能力・経験がないからと断られた。4社目はライター。別の経験者がいるからと断られた。5社目も工場。山奥で行くのに難儀した。しかも地図とバス停の名称が違う。迷って面接に二時間遅れた挙句追い出された。

 今現在その一社目の結果待ちだった。しかし考えれば考えるほど自分には向いてないと思えた。飛び込み営業・運転・服装………。似たようなものをアルバイトで経験しているので不安もひとしおだった。おいおいおいおいおい無理だよ。いらないと言われた時の客の冷たい声と目がよみがえる。売れなかった時の殴るけるの暴力がよみがえる。本当にやめてほしい。なんで今更…。頼む。受からないでください。無理です。

 嫌なものを思い返さないためにまた嫌な事を考える。二社目は契約社員とはいえ派遣会社と県の事業で研修の後正社員雇用を紹介するというものだ。例の茶番。つまらない

 その日は起きて次の会社の履歴書を書いて家事をして電車に乗った。行くのはビジネス街である。以前まではスーツを見るだけで身の毛もよだつものだったが今は平気だ。自分もスーツを着ている。彼らと同じく順応している。昆虫の擬態のように。15分前にビルに着き、オフィスに入る。電話で用件を伝え奥の部屋に通される。10人が入ればいっぱいになるような狭い部屋だ。目の前にTVと映像の再生機械。三人掛けの長方形の机にそれぞれ椅子が3つ。一番前にはもう人が座っている。スーツ姿の女性だ。下はスカートでまるで芋虫みたいだった。「前からどうぞ」といわれ案内をしてくれた女性に会釈してその女性の横の席に座る。TVの真ん前でそこにうっすらと映る自分がひどく気持ち悪かった。座って隣の女性にも会釈する。女性は机に置かれた資料を読んでいた。各机にもある。自分の机にもある。手に取ると個人情報に関する契約書が二枚。この説明会に関するチラシが1枚である。面倒なので先に契約書に日付と名前を記入しチラシに目を通す。まあお決まりのつまらないものだ。暇なので手帳とノートをかばんからだし、眺めていると社員らしい女性が入ってきた。これから説明会が始まるらしい。その前に遅れて男性が一人入ってきた。この三人が説明会の人数らしい。少ないものだ。参加した中では一番少ない。社員らしき女性が自分のいる机のすぐそばに立つ。できればもう少し離れてほしい。気持ち悪いし、見下ろされているようで嫌になる。「皆さん元気ですか?」と女性が聞く。こんな事に何の意味があるんだろう。早く始めればいいのに。時間の無駄ではないのか?

 「はい」と隣の女性が答えた。若い声で最近の妙に高い媚びた声ではないので少し安心した。自分はあの声を聞くと鳥肌が立つくらい嫌な気分になる。返事をしなかったのは後ろの男性と自分だけらしい。まともなのが自分だけでなく安心する。するとまた女性が「○○さん、元気ですか?」という。どうやら答えがない人全員に聞くらしい。こんな無駄な事しなくていいのに。仕方がないので小声で「はい」と答えた。

 それから説明会と評し簡単な説明とTVに特集された時の映像を見る。途中、ブレーンストリーミングの一環で簡単なゲームをする。回答と答えを考えて互いにあてあうというものだ。自分は隣の女性と男性は相手がいないのでもう一人、男性の社員を新たに読んでのスタートだった。大学でも似たような事をしたなあと特に感慨もなく思い出した。正直面倒でたまらなかった。大した事を言ってないのに大げさな賛辞と拍手が答えの度にとび、辟易した。ただ見せかけだけの空虚なくだらない生ぬるい空気に窒息死そうだった。以前似たような事をした大学での時と同じく。

 終わってから「皆さんどうでしたか?」とやはり一人一人に聞く。今度は男性が真っ先に「面白かったです」と答え、まともなのが自分ひとりになってしまったと心の隅で小さくため息をついた。一通り終わり後は面談であるらしい。一人ひとり呼ぶのでその間作文を書くようにと原稿用紙を渡された。今時原稿用紙とは………とすごく懐かしい気分にさせられた。題名は「あなたにとって正社員とは」傑作だった。悪い意味で。

 笑いそうになるのをこらえながら書こうとすると、別の社員の女性に呼ばれた。説明会をしていた女性とは違う、小柄でパーマの中年女性だった。

 面談をするのはキャリアカウンセラーであるらしい。チラシによれば。そのキャリアカウンセラーの黒いファイルを持った女性によばれた。その声は緊張で上ずっていて、猫なで声で平たく言えば不快だった。そういえば電話で応募した際の相手の男性もこんな感じだったっけ。説明会を部屋をかばんを持って出て、案内されたのは入口近くの個室だった。狭い中に大きな机とそれを挟んで椅子二つ。それと人が二人入ればいっぱいになる狭い部屋だった。「どうぞ」と椅子をすすめられ、「よろしくお願いします」と礼をして面談が始まった。そういえば他人と二人きりで話すのは久しぶりだなあとぼんやりと思った。

「随分、良い大学を出られてますね。この前もTVで放送されてましたよ」

「はあ、まあ、自分は変わり者というか浮いてましたから」

 ぼんやりと答える。大学の話題なんて聞きたくもなかった。そんな良い所でもないだろうに。この話をすれば喜ぶとでも思っているのだろうか。良い大学? あそこが? ああ、あれだ、学歴とかいう奴か。高学歴は自分の学歴に絶対の誇りを持つとかいう。相手は自分を学歴コンプレックスだと思っているらしい。残念ながらそれはない。あるのは自分が学歴コンプレックスだという事ではなく他人が学歴のある人間は自分の学歴を鼻にかけていると決めつけているくだらない先入観だ。これも立派な学歴コンプレックスである。自分の態度は残念ながら周りにそう誤解させてしまっているという事だろう。くだらないことだ。

 まあ、この会話はさわりというか相手をリラックスさせるために行うものだろう。要は前座だ。本題に入りやすくするための前ふりというか。なら少し茶目っ気を出した方がいいかもしれない。すこしおどけることにした。

「よく悪口を言われました。同性愛者がどうだこうだと」

「え?」

 相手がいぶかしむように口を開いた。ポカンとだらしなく開く口腔がなんだか間が抜けているようでわらえてきた。声もそれまでのおべっかな声とは違っていて小気味よかった。

「ああ、私自身にその嗜好はないのですが、よく間違えられるんです。最近もTVに同性愛者として出た人と似ているとかで、よく言われるんです」

「それは迷惑な話ですね」と口元に手を当てて社員は答える。

 …本当に。

 その上辺だけの同情もしぐさも声も芝居がかっていて、ひどく不快だった。


「ああ、就職活動をがんばっておられたんですね。この数を見ればわかりますよ。大変だったでしょう」

 手元の黒いファイルを見ながら言う。大学在学中から数えて受けた企業は300社を超える。だがそれがなんだというのだ。何の自慢にもならない。むしろ自らの無能を証明するだけではないか。ことここに至っては…。数なんて無意味だ。欲しいのは量ではなく質であり、過程ではなく結果である。

 自分はまるで空気の抜けたゴムタイヤのような空虚な相槌を打つ。

「先程、当説明会を聞いていただいたと思いますが、最初は当社の契約社員として研修を受けていただき、それから現場研修、内定となります。ただ--」

言いにくそうに社員は言う。

「あなたにはこんなこともわからないのかと思う場面が多々あると思います。参加する方は皆あなたより若いですから」

「気にしません。自分もビジネスマナーなどは勉強しているのですが初心者ですし。そのくらい考慮のうちです」

 以前の就職活動中の面接でもビジネスマナーくらい知っておけ。もう新卒じゃないんだぞ。甘えるな。と面接官に言われたことを思い出し赤面する思いだった。

「自分は大学卒業後、アルバイトをしながら資格取得や就職活動を行ってきました」

「資格は何を取りましたか?」

「介護です。親族に要介護者がおり、家族で面倒を見ています」

「大変ですね」

「最近では当たり前のことです。友人にも大学に通いながら祖母の介護をしているやつもいます」

 ちなみにその友人も就職できていない。介護と大学の両立は遊ぶ暇もないほど忙しい。もちろん勉強もだ。アルバイトもできず就職活動の費用も貯める事が出来ない。それでもやる奴はやるというがそれは周囲の支え合ってのことだ。それがないやつはこういう事になる。少子高齢化により色々な所で不具合が生じている。まあ弱い所にいくのはいつものことなのだ。もう壊れかけなのだ。このシステムは。

「アルバイトはなにを?」

「今は工場です。夜勤で週6で入っています。在学中は飛び込み営業のような事をやっていました。」

「飛び込み営業? 本当に?」

訝しげだ。当然だろう。普通学生のアルバイトと言えばコンビニや家庭教師よくて予備校の講師と言ったところだろう。

「まあ似たようなものです。ホテル交渉から販売をやっていました。毎日毎日笑顔を作っての応対で、顔面が毎日ひきつって苦労しました。だから今はそれに懲りてなかなか笑えません。笑おうとすると頬がひきつっていびつな笑いになるんです」

「大変でしたね」

正直、いままでしゃべったことの方が大変だった。普段しゃべらないせいか喉が重い。

「しかし、介護の資格があるならどこへでも行けるのではないですか?」

「アルバイトじゃ大丈夫ですが正規雇用には行きません。それに介護は家族で手一杯ですので他の事をしたいと思っています」

正直、人間が嫌い過ぎて、近寄りたくないのである。気持ち悪くて吐きそうになる。

「アンケートの方も見ましたが、プログラムの参加動機が仕事にやりがいを求めてというのはすごいですね」

 アンケートは机の上に配られた書類と一緒に見落としがちにひっそりとおかれていた。ありがちなプログラムの参加動機とプログラムを知った場所などが記されていた。選択式だったので適当につけておいたのだ。しかしやりがいとは。我ながら反吐が出る。それを言えるの世間を知らない馬鹿でお気楽な学生だけだ。もう言っていい年齢でもないし、学生ではない。大体大学生の時もこの青空を仰ぎ見るような空々しさに胸糞悪い思いをしてきたのではないか。

「まあ、今はアルバイトなのですがやりがいがないというかつまらなくて。正規雇用ならもう少し責任感のある所にいけるかなと思ったんです。」

 例の胸糞悪い心の底が冷え冷えするような感慨を抱きながら空虚にこたえる。ため息をつかなかった自分をほめてもらいたい。そして目の前の社員はその空気に触れなかった事に対し自分に感謝してもいいはずなのだ。

「関係のない事ばかり聞いてすみません」

「いえ」

 本当に………。

こほんと空気を入れ替えるように咳払いをする。と同時に近くの部屋から先程説明会で隣だった女性と社員であろう男性の和気あいあいとした声が漏れ聞こえてきた。目の前の社員も自分よりあの女性の方がよかっただろう。説明会をしてくれた社員の手元を盗み見た、というよりわざわざこちらに名前が見えるように向けてきたのである。所、女性は20歳という事だった。説明会で一緒だった男性も以前仕事をしていたという事だから自分より年下だろう。あんな若く素直でみなぎるような声も態度も今の自分には到底無理だ。やれと言われてもできない。若さとは本当に素晴らしい。


それからは淡々と通例どおりの無味乾燥な応答が部屋の空気を満たしていた。

「希望業界は?」

「営業とホテル以外ならどこでもいいです。」

「いえ、希望業界は?」

「………特にありません」

機械的な応答に辟易する。説明を言うとかそういう事は出来ないのだろうか? 人間なのだから。相手がわざと言っているのではないかと錯覚した。

「職種で言えば営業とホテルはこりました」

わざとこちらも二回フランクに言ってやる。

「よく殴る蹴るの暴力を受けるんです。それでこわくなってしまって。内定をもらった企業は営業の会社でしたがどうしても怖くて断ってしまいました」

「はあ、パワハラですか」

間の抜けた声が気の緩みに浮上する気流のように全身あびせられる。

――――そうだ悪いか。悪いかその程度で。でもな、人によっては本当に気が狂うくらい嫌な思いをするんだよ…。

 ひどく馬鹿にされたと錯覚し顔に血液が集中することを抑えられない。理由はもう一つある。こんな恥ずかしい心情の吐露のような軟弱な事をしてしまった自分自身に対してである。

 顔を真っ赤にしてうつむくのを女社員は相手がパワハラの事実により就職できずにいる事を恥ずかしいと思ったと勝手に解釈し、適当な、心のこもらない、機械的な慰めを口述する。怖気が全身に走り、体を震わせないようにするのに苦労した。


「ではこれで以上です。ああ、待ってください。言い忘れました。」

 慌てたようにわざとらしく言うので辟易した。まだあるのか?

「当プログラムへの参加意思はありますか? ご家族に相談されますか?」

なぜ家族の名前が出てくるんだろう。もう親に頼っていい年じゃない。ただこのあと二社の面接がある。プログラムは約一月後だから心配ないだろうが、もしもそれにかぶってはまずい。

「はあ、一応家族に言います」

と言って、やはり恥ずかしいので面接があるかもしれない事を素直に言った。

「もしかしたら今受けている選考の面接が入るかもしれません」

言った所でしまったと思った。プログラムの募集要項は今現在就職先のない者及び企業の選考を受けていない者だからだ。ああ、これは落ちたなあとおもった。もう遅い。

「選考ですか?」

「はい。貴社のプログラムにはかぶりませんがもしかしたら開始前に決定するかもしれません」

「それならかまいませんよ」

本当かあ? 多分この女社員は言及する面倒を避けるために自分に言っているのである。これは落ちたなあ。

女社員の声のトーンが1つ落ちる。早く終わらせたいらしかった。

「当プログラムへの参加意思はありますか?」

自分は黙っている。混乱してどう答えればいいのかわからないのだ。というか、ぼろを出してしまった事でこの数時間がぱあになってしまったという失望とこんな茶番に関わらなくてよかったと思う安堵が心の中で嵐をおこしていた。

「当プログラムへの参加意思はありますか?」

二度目の追い詰めるような弾劾の色を持った問いが自分にぶつけられる。いい加減にしてほしい。なんだこれは。なんだか空気のできない真空に投げ込まれ窒息するような錯覚を味わった。

「はい。是非お願い致します」

絞り出すようにやっと応えた。

「はい。ではよろしくお願い致します。長い時間お疲れさまでした」

女社員は頭を下げる。こちらも礼をする。

「大丈夫。素晴らしい素質もおありだし、責任感もあるようです。当プログラムに参加すれば就職先もすぐ見つかりますよ」

甘ったるくて気分の悪い世辞を口にしてカウンセリングと名付けられたくだらない茶番は幕を閉じた。


 案内されてもといた席に戻ると参加者の女性も男性も原稿用紙に作文を書いている。やはり自分が一番長かったらしい。それにしては関係のない言葉を口にしたと反省する。男性は今書きあがったのか、きちんとボールペンで清書した原稿用紙を社員に(自分を案内してくれた社員である)渡し、退出した。机に残る消しカスが害虫の糞を思わせて汚らしく感じた。自分も席に着き原稿用紙を書く。題名は「あなたにとって正社員とは」という吐き気のしそうな代物である。どうせ落ちるのは決まったのだし、適当に書こうと乱雑で醜い字で白紙を汚していく。

 おおむね先程のカウンセリングと似たものを書いた。やりがいの為とか家族の為とか立場とか。それでも半分余ったのでアルバイトはただの燃料だと昨日のTVのブラック企業特集のままを書いた。書くと清書をすべきか迷ったがやめた。疲れるしその必要はないだろう。横を見ると女性はもう帰ったようだった。部屋には自分ひとり。なんだか狭い部屋に閉じ込められたようで気味が悪かった。本当に気味が悪かった。狭くて暗い蟻の巣に迷い込んだように。

 耐えきれず出口をノックすると男性の社員が出てきた。原稿用紙を手渡す際、中身を見て笑っていた。うん、面白いなら結構だ。

 それからオフィスを出て階下につながるエレベータまで案内される。その時の後ろ姿がまさに蟻のようにうごめいて見えて笑いそうだった。

「ありがとうございました」と深い礼をしてエレベータに乗る。相手も礼をしていた。

 ビルを出てバス停に着き、きていたバスに乗り、帰路に着く。途中、前の座席に乗っていた女が履いているスカートをわざとらしくたくしあげたが無視しておいた。自分は今それどころではなく、そんなものに興味はないのだ。座席に身を預けながら全くの無駄足だった事に嘆息しこれからの事に更に深いため息をつく。なぜこうも疲れるのか。人間は本当にくだらない。ふと止まった停留所からスーツの若い男性が乗ってきて大きな声で話をし始めた。自分はその様が黒く太った蟻二匹が交差するように重なりじゃれているように見えた。


 なぜこんな焦燥感にいらだつのか。そんなものは決まっている。自分ののぞまぬ事をしたからである。なぜこんなに絶望的な気分になるのか。自分がえるはずだったものを目の前に見せつけられているからである。

 今週で5社受けた。新卒で就職できなかったがためにアルバイトをしながら金をためて資格を取得した。しかしその資格も仕事をやってみて自分には合わない事を確信した。人を扱うものであったが、些細なことから危機感を感じ相手を殺してやりたい衝動に駆られるのである。目の前に顔があるともう顔の形が変わるくらいぶん殴ってやりたくなる。これではいけない。いつか人を殺してしまうと平謝りでやめ、就職活動を開始した。しかしこの不況である。しかも転職と言えば経験が見られる。職歴と言えばアルバイトだけで経験は見られない。何の経験もなく、雇ってくれる新卒カードもすでにない。求人も少ない。東京にも行ったもののこの事を痛感するだけだった。東京にも行った。しかし、やはりだめだった。もう遅いのだ。新卒でなければ意味がないのだ。面接を一緒に受けた隣の男性は同い年で大企業での勤めの経験を持つ人で。自分も本当ならその位置にあったはずだ。本来なら。大学で都会に出る。新卒で都会に出るという夢は潰えたわけである。上を見るなと言うけれど無理な話だ。だって前まであったんだ。自分も上にいけるという希望があったんだ。たとえ大学も絶望だけだったとしても。まだ未来はあるという希望があったんだ。両親は日本全国で就職活動をしろという。大学での就職活動の時にそれを言ってくれたならば。地元にこだわらせなかったならば、こんなことにはならなかったはずなのに。

まあ、自分が悪い。全ては自分が悪い。うまく説得しきれなかった自分も。負けた自分も。

這い上がろうと努力するもののなかなかうまくいかない。貯めた金も底をつく。親に借りる。嫌なものだ。本当に嫌だ。この年になってまだ小遣いをせびるとは。ほんとうは逆のはずだ。本当なら今頃楽をさせてあげている頃なのだ。本当なら!

 大学から通じてスネをかじる。甘えているのは己だ。恥を知ればいいんだ。能なしめ。昔の光景がフラッシュバックする。大学のバス停。一人暮らしの部屋。教室………。深く考えるのはもうやめている。考えて考えて止まらなくなる。泣くのはもう飽きたんだ。現実が朧に揺れる。まるで夢のように。そうすべては夢なんだ。現実も過去も。

今週の1社目は飛び込み営業だった。それは前の経験のおかげかかなりの好感触だった。しかし行きたくないので入社試験の答案をわざと間違え、履歴書も誤字を入れた。2社目は契約社員。3社目は工場の技術職。能力・経験がないからと断られた。4社目はライター。別の経験者がいるからと断られた。5社目も工場。山奥で行くのに難儀した。しかも地図とバス停の名称が違う。迷って面接に二時間遅れた挙句追い出された。

今現在その一社目の結果待ちだった。しかし考えれば考えるほど自分には向いてないと思えた。飛び込み営業・運転・服装………。似たようなものをアルバイトで経験しているので不安もひとしおだった。おいおいおいおいおい無理だよ。いらないと言われた時の客の冷たい声と目がよみがえる。売れなかった時の殴るけるの暴力がよみがえる。本当にやめてほしい。なんで今更…。頼む。受からないでください。無理です。

嫌なものを思い返さないためにまた嫌な事を考える。二社目は契約社員とはいえ派遣会社と県の事業で研修の後正社員雇用を紹介するというものだ。例の茶番。つまらない

その日は起きて次の会社の履歴書を書いて家事をして電車に乗った。行くのはビジネス街である。以前まではスーツを見るだけで身の毛もよだつものだったが今は平気だ。自分もスーツを着ている。彼らと同じく順応している。昆虫の擬態のように。15分前にビルに着き、オフィスに入る。電話で用件を伝え奥の部屋に通される。10人が入ればいっぱいになるような狭い部屋だ。目の前にTVと映像の再生機械。三人掛けの長方形の机にそれぞれ椅子が3つ。一番前にはもう人が座っている。スーツ姿の女性だ。下はスカートでまるで芋虫みたいだった。「前からどうぞ」といわれ案内をしてくれた女性に会釈してその女性の横の席に座る。TVの真ん前でそこにうっすらと映る自分がひどく気持ち悪かった。座って隣の女性にも会釈する。女性は机に置かれた資料を読んでいた。各机にもある。自分の机にもある。手に取ると個人情報に関する契約書が二枚。この説明会に関するチラシが1枚である。面倒なので先に契約書に日付と名前を記入しチラシに目を通す。まあお決まりのつまらないものだ。暇なので手帳とノートをかばんからだし、眺めていると社員らしい女性が入ってきた。これから説明会が始まるらしい。その前に遅れて男性が一人入ってきた。この三人が説明会の人数らしい。少ないものだ。参加した中では一番少ない。社員らしき女性が自分のいる机のすぐそばに立つ。できればもう少し離れてほしい。気持ち悪いし、見下ろされているようで嫌になる。「皆さん元気ですか?」と女性が聞く。こんな事に何の意味があるんだろう。早く始めればいいのに。時間の無駄ではないのか?

「はい」と隣の女性が答えた。若い声で最近の妙に高い媚びた声ではないので少し安心した。自分はあの声を聞くと鳥肌が立つくらい嫌な気分になる。返事をしなかったのは後ろの男性と自分だけらしい。まともなのが自分だけでなく安心する。するとまた女性が「○○さん、元気ですか?」という。どうやら答えがない人全員に聞くらしい。こんな無駄な事しなくていいのに。仕方がないので小声で「はい」と答えた。

それから説明会と評し簡単な説明とTVに特集された時の映像を見る。途中、ブレーンストリーミングの一環で簡単なゲームをする。回答と答えを考えて互いにあてあうというものだ。自分は隣の女性と男性は相手がいないのでもう一人、男性の社員を新たに読んでのスタートだった。大学でも似たような事をしたなあと特に感慨もなく思い出した。正直面倒でたまらなかった。大した事を言ってないのに大げさな賛辞と拍手が答えの度にとび、辟易した。ただ見せかけだけの空虚なくだらない生ぬるい空気に窒息死そうだった。以前似たような事をした大学での時と同じく。

終わってから「皆さんどうでしたか?」とやはり一人一人に聞く。今度は男性が真っ先に「面白かったです」と答え、まともなのが自分ひとりになってしまったと心の隅で小さくため息をついた。一通り終わり後は面談であるらしい。一人ひとり呼ぶのでその間作文を書くようにと原稿用紙を渡された。今時原稿用紙とは………とすごく懐かしい気分にさせられた。題名は「あなたにとって正社員とは」傑作だった。悪い意味で。

笑いそうになるのをこらえながら書こうとすると、別の社員の女性に呼ばれた。説明会をしていた女性とは違う、小柄でパーマの中年女性だった。

 面談をするのはキャリアカウンセラーであるらしい。チラシによれば。そのキャリアカウンセラーの黒いファイルを持った女性によばれた。その声は緊張で上ずっていて、猫なで声で平たく言えば不快だった。そういえば電話で応募した際の相手の男性もこんな感じだったっけ。説明会を部屋をかばんを持って出て、案内されたのは入口近くの個室だった。狭い中に大きな机とそれを挟んで椅子二つ。それと人が二人入ればいっぱいになる狭い部屋だった。「どうぞ」と椅子をすすめられ、「よろしくお願いします」と礼をして面談が始まった。そういえば他人と二人きりで話すのは久しぶりだなあとぼんやりと思った。

「随分良い大学を出られてますね。この前もTVで放送されてましたよ」

「はあ、まあ、自分は変わり者というか浮いてましたから」

ぼんやりと答える。大学の話題なんて聞きたくもなかった。そんな良い所でもないだろうに。この話をすれば喜ぶとでも思っているのだろうか。良い大学? あそこが? ああ、あれだ、学歴とかいう奴か。高学歴は自分の学歴に絶対の誇りを持つとかいう。相手は自分を学歴コンプレックスだと思っているらしい。残念ながらそれはない。あるのは自分が学歴コンプレックスだという事ではなく他人が学歴のある人間は自分の学歴を鼻にかけていると決めつけているくだらない先入観だ。これも立派な学歴コンプレックスである。自分の態度は残念ながら周りにそう誤解させてしまっているという事だろう。くだらないことだ。

 まあ、この会話はさわりというか相手をリラックスさせるために行うものだろう。要は前座だ。本題に入りやすくするための前ふりというか。なら少し茶目っ気を出した方がいいかもしれない。すこしおどけることにした。

「よく悪口を言われました。同性愛者がどうだこうだと」

「え?」

相手がいぶかしむように口を開いた。ポカンとだらしなく開く口腔がなんだか間が抜けているようでわらえてきた。声もそれまでのおべっかな声とは違っていて小気味よかった。

「ああ、私自身にその嗜好はないのですが、よく間違えられるんです。最近もTVに同性愛者として出た人と似ているとかで、よく言われるんです」

「それは迷惑な話ですね」と口元に手を当てて社員は答える。

…本当に。

その上辺だけの同情もしぐさも声も芝居がかっていて、ひどく不快だった。


「ああ、就職活動をがんばっておられたんですね。この数を見ればわかりますよ。大変だったでしょう」

手元の黒いファイルを見ながら言う。大学在学中から数えて受けた企業は300社を超える。だがそれがなんだというのだ。何の自慢にもならない。むしろ自らの無能を証明するだけではないか。ことここに至っては…。数なんて無意味だ。欲しいのは量ではなく質であり、過程ではなく結果である。

自分はまるで空気の抜けたゴムタイヤのような空虚な相槌を打つ。

「先程、当説明会を聞いていただいたと思いますが、最初は当社の契約社員として研修を受けていただき、それから現場研修、内定となります。ただ--」

言いにくそうに社員は言う。

「あなたにはこんなこともわからないのかと思う場面が多々あると思います。参加する方は皆あなたより若いですから」

「気にしません。自分もビジネスマナーなどは勉強しているのですが初心者ですし。そのくらい考慮のうちです」

以前の就職活動中の面接でもビジネスマナーくらい知っておけ。もう新卒じゃないんだぞ。甘えるな。と面接官に言われたことを思い出し赤面する思いだった。

「自分は大学卒業後、アルバイトをしながら資格取得や就職活動を行ってきました」

「資格は何を取りましたか?」

「介護です。親族に要介護者がおり、家族で面倒を見ています」

「大変ですね」

「最近では当たり前のことです。友人にも大学に通いながら祖母の介護をしているやつもいます」

ちなみにその友人も就職できていない。介護と大学の両立は遊ぶ暇もないほど忙しい。もちろん勉強もだ。アルバイトもできず就職活動の費用も貯める事が出来ない。それでもやる奴はやるというがそれは周囲の支え合ってのことだ。それがないやつはこういう事になる。少子高齢化により色々な所で不具合が生じている。まあ弱い所にいくのはいつものことなのだ。もう壊れかけなのだ。このシステムは。

「アルバイトはなにを?」

「今は工場です。夜勤で週6で入っています。在学中は飛び込み営業のような事をやっていました。」

「飛び込み営業? 本当に?」

訝しげだ。当然だろう。普通学生のアルバイトと言えばコンビニや家庭教師よくて予備校の講師と言ったところだろう。

「まあ似たようなものです。観光ホテルで写真の交渉から販売をやっていました。毎日毎日笑顔を作っての応対で、顔面が毎日ひきつって苦労しました。だから今はそれに懲りてなかなか笑えません。笑おうとすると頬がひきつっていびつな笑いになるんです」

「大変でしたね」

正直、いままでしゃべったことの方が大変だった。普段しゃべらないせいか喉が重い。

「しかし、介護の資格があるならどこへでも行けるのではないですか?」

「アルバイトじゃ大丈夫ですが正規雇用には行きません。それに介護は家族で手いっぱいですので他の事をしたいと思っています」

正直、人間が嫌い過ぎて、近寄りたくないのである。気持ち悪くて吐きそうになる。

「アンケートの方も見ましたが、プログラムの参加動機が仕事にやりがいを求めてというのはすごいですね」

アンケートは机の上に配られた書類と一緒に見落としがちにひっそりとおかれていた。ありがちなプログラムの参加動機とプログラムを知った場所などが記されていた。選択式だったので適当につけておいたのだ。しかしやりがいとは。我ながら反吐が出る。それを言えるの世間を知らない馬鹿でお気楽な学生だけだ。もう言っていい年齢でもないし、学生ではない。大体大学生の時もこの青空を仰ぎ見るような空々しさに胸糞悪い思いをしてきたのではないか。

「まあ、今はアルバイトなのですがやりがいがないというかつまらなくて。正規雇用ならもう少し責任感のある所にいけるかなと思ったんです。」

例の胸糞悪い心の底が冷え冷えするような感慨を抱きながら空虚にこたえる。ため息をつかなかった自分をほめてもらいたい。そして目の前の社員はその空気に触れなかった事に対し自分に感謝してもいいはずなのだ。

「関係のない事ばかり聞いてすみません」

「いえ」本当に………。

こほんと空気を入れ替えるように咳払いをする。と同時に近くの部屋から先程説明会で隣だった女性と社員であろう男性の和気あいあいとした声が漏れ聞こえてきた。目の前の社員も自分よりあの女性の方がよかっただろう。説明会をしてくれた社員の手元を盗み見た、というよりわざわざこちらに名前が見えるように向けてきたのである。所、女性は20歳という事だった。説明会で一緒だった男性も以前仕事をしていたという事だから自分より年下だろう。あんな若く素直でみなぎるような声も態度も今の自分には到底無理だ。やれと言われてもできない。若さとは本当に素晴らしい。


それからは淡々と通例どおりの無味乾燥な応答が部屋の空気を満たしていた。

「希望業界は?」

「営業とホテル以外ならどこでもいいです。」

「いえ、希望業界は?」

「………特にありません」

機械的な応答に辟易する。説明を言うとかそういう事は出来ないのだろうか? 人間なのだから。相手がわざと言っているのではないかと錯覚した。

「職種で言えば営業とホテルはこりました」

わざとこちらも二回フランクに言ってやる。

「よく殴る蹴るの暴力を受けるんです。それでこわくなってしまって。内定をもらった企業は営業の会社でしたがどうしても怖くて断ってしまいました」

「はあ、パワハラですか」

間の抜けた声が気の緩みに浮上する気流のように全身あびせられる。

そうだ悪いか。悪いかその程度で。でもな、人によっては本当に気が狂うくらい嫌な思いをするんだよ…。

ひどく馬鹿にされたと錯覚し顔に血液が集中することを抑えられない。理由はもう一つある。こんな恥ずかしい心情の吐露のような軟弱な事をしてしまった自分自身に対してである。

顔を真っ赤にしてうつむくのを女社員は相手がパワハラの事実により就職できずにいる事を恥ずかしいと思ったと勝手に解釈し、適当な、心のこもらない、機械的な慰めを口述する。怖気が全身に走り、体を震わせないようにするのに苦労した。


「ではこれで以上です。ああ、待ってください。言い忘れました。」

慌てたようにわざとらしく言うので辟易した。まだあるのか?

「当プログラムへの参加意思はありますか? ご家族に相談されますか?」

なぜ家族の名前が出てくるんだろう。もう親に頼っていい年じゃない。ただこのあと二社の面接がある。プログラムは約一月後だから心配ないだろうが、もしもそれにかぶってはまずい。

「はあ、一応家族に言います」

と言って、やはり恥ずかしいので面接があるかもしれない事を素直に言った。

「もしかしたら今受けている選考の面接が入るかもしれません」

言った所でしまったと思った。プログラムの募集要項は今現在就職先のない者及び企業の選考を受けていない者だからだ。ああ、これは落ちたなあとおもった。もう遅い。

「選考ですか?」

「はい。貴社のプログラムにはかぶりませんがもしかしたら開始前に決定するかもしれません」

「それならかまいませんよ」

本当かあ? 多分この女社員は言及する面倒を避けるために自分に言っているのである。これは落ちたなあ。

女社員の声のトーンが1つ落ちる。早く終わらせたいらしかった。

「当プログラムへの参加意思はありますか?」

自分は黙っている。混乱してどう答えればいいのかわからないのだ。というか、ぼろを出してしまった事でこの数時間がぱあになってしまったという失望とこんな茶番に関わらなくてよかったと思う安堵が心の中で嵐をおこしていた。

「当プログラムへの参加意思はありますか?」

二度目の追い詰めるような弾劾の色を持った問いが自分にぶつけられる。いい加減にしてほしい。なんだこれは。なんだか空気のできない真空に投げ込まれ窒息するような錯覚を味わった。

「はい。是非お願い致します」

絞り出すようにやっと応えた。

「はい。ではよろしくお願い致します。長い時間お疲れさまでした」

女社員は頭を下げる。こちらも礼をする・

「大丈夫。素晴らしい素質もおありだし、責任感もあるようです。当プログラムに参加すれば就職先もすぐ見つかりますよ」

甘ったるくて気分の悪い世辞を口にしてカウンセリングと名付けられたくだらない茶番は幕を閉じた。


 案内されてもといた席に戻ると参加者の女性も男性も原稿用紙に作文を書いている。やはり自分が一番長かったらしい。それにしては関係のない言葉を口にしたと反省する。男性は今書きあがったのか、きちんとボールペンで清書した原稿用紙を社員に(自分を案内してくれた社員である)渡し、退出した。机に残る消しカスが害虫の糞を思わせて汚らしく感じた。自分も席に着き原稿用紙を書く。題名は「あなたにとって正社員とは」という吐き気のしそうな代物である。どうせ落ちるのは決まったのだし、適当に書こうと乱雑で醜い字で白紙を汚していく。

おおむね先程のカウンセリングと似たものを書いた。やりがいの為とか家族の為とか立場とか。それでも半分余ったのでアルバイトはただの燃料だと昨日のTVのブラック企業特集のままを書いた。書くと清書をすべきか迷ったがやめた。疲れるしその必要はないだろう。横を見ると女性はもう帰ったようだった。部屋には自分ひとり。なんだか狭い部屋に閉じ込められたようで気味が悪かった。本当に気味が悪かった。狭くて暗い蟻の巣に迷い込んだように。

耐えきれず出口をノックすると男性の社員が出てきた。原稿用紙を手渡す際、中身を見て笑っていた。うん、面白いなら結構だ。

それからオフィスを出て階下につながるエレベータまで案内される。その時の後ろ姿がまさに蟻のようにうごめいて見えて笑いそうだった。

「ありがとうございました」と深い礼をしてエレベータに乗る。相手も礼をしていた。

 ビルを出てバス停に着き、きていたバスに乗り、帰路に着く。途中、前の座席に乗っていた女が履いているスカートをわざとらしくたくしあげたが無視しておいた。自分は今それどころではなく、そんなものに興味はないのだ。座席に身を預けながら全くの無駄足だった事に嘆息しこれからの事に更に深いため息をつく。なぜこうも疲れるのか。人間は本当にくだらない。ふと止まった停留所からスーツの若い男性が乗ってきて大きな声で話をし始めた。自分はその様が黒く太った蟻二匹が交差するように重なりじゃれているように見えた。


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