ルニエのルート召喚術式

草詩

第1話「召喚術はじめます」

 虫の声が遠くに響く涼しい夜だった。雲はなく夜空を瞬く星々が埋め尽くし、澄んだ冷気をパチパチと小気味よい音をたて焚火の炎が和らげる。

 遠く見える山肌はシルエットとなり、黒く、星空を切り取るコントラスト。どこまでも広がる山々も、夜のとばりのもとでは大自然の尊厳さを持って私たちを見守っていた。


「ルニエ・ツェルニク召喚士、時間だ」

 そんな中で私、ルニエ・ツェルニクを呼ぶ声が夜の静けさを割った。


 そんな大声を出さなくても聞こえるのに。無駄に威圧的なその言葉は、せっかくの夜を台無しにしてしまった。

 私はわざとらしく溜息をついたが、背後の兵士は気づきもせず、それどころか焚火を消す騒音をたて続けに起こしてきた。それはこちらを苛つかせるに足るほど乱暴なものだった。

 いつもなら黙っているところだけれど、今夜はちょっと事情が違う。


「君は今夜の召喚がいかに大事か王に聞いてないの……?」

「なんだ召喚士。聞いている。だからこそ呼びに来たのだ」


 火かき棒を肩にかけ、若い兵士はふんぞり返って鼻を鳴らしていた。この歳で王直属というのだから、さぞ伝令の真似事や焚火の処理など気に食わないのだろう。


「理解を求めた私が浅はかでした。魔導を嗜む者なら術式前の精神統一がいかに大事かを承知してるもの。君は残念、落第点」


「なんだと小娘。召喚士の分際で侮辱するか!」

「そんなつもりはありません。でも、君が召喚士に敬意を払わないのなら、こちらも相応の態度になりますのであしからず」


 召喚士はあまり尊敬されない職業だ。兵士や魔導士と違って直接戦闘するのではなく、召喚した下僕を戦わせ、自分は安全なところに退避している。そう、命をはって前線に居る彼らには見えるそうだ。

 もともと術者の苦労は術者にしかわからない。私も兵士や騎士の苦労を知らないし。だからまぁ、今回は無駄なエネルギーは使わずに行こう。


「私大事な召喚があるのでこれにて。焚火の始末、頑張ってください」


 精一杯の言葉に、最初に抱いた苛つきを全て押し込んで、私は逃げるようにその場を去った。向かう先は魔法陣のところ。


 この日のために準備をしてきた。別に私の望んだ召喚ではないけれど。危機にあるこの国は禁忌に手を出してまで、強力な召喚物が欲しいらしいから。封印されていた山中の祭場を無理矢理こじ開け、お膳立ては整えられていた。


 私が所属する研究機関イスハイトに今こそ研究成果を示せと言うのだ。出来なければ今まで食い潰した国費の責任をとって極刑。祖父の元、幼少期から研究所に居た私には何がなんだかわからなかったが、いずれにせよ成功させなければならない。


 ――ああ、また手が震えて来た。


「大丈夫ですかマスター」

「あ、ドルテ。うん、大丈夫。やれる」


 気が付けば私は魔法陣の前に立っていた。喉が渇いた。ごくりと生唾を呑み込もうとしたが、どうにもひりひりと焼け付いて、唾が出てこなかった。


「お水を」

「ありがとう」


 ドルテは水の入ったコップを持ってきてくれた。この子が、私の唯一の召喚成功例であり、国でも1、2を争うほど高位な存在だった。

 銀の長髪を揺らし、優雅な所作で微笑む様は、ちょっと肌が青いお姉さんにしか見えないが、その実頭から生えた2本の赤黒い角がヒトではないと主張している。


 本当にたまたま、元の世界に居たくない事情があったドルテは私の召喚に応えて、こちらへとやってきた。だから私の功績というとちょっと違う。


 とはいえ、実績は実績。箔がついてしまった私は、こうして自分の育った場所と、祖父を守れる可能性を掴んだのだ。禁忌に触れることは研究者として興味深いし、悪いとは思っていない。だから、やるのだ。


「行くよドルテ。ちょっと下がってて」

「はいマスター」


 触媒と、場所の稼働は気に食わないけど王が用意してくれていた。魔法陣は私が三日かけて描き上げた。パスを繋ぎ、異世界へのルートを繋ぐもの。


 召喚にはいくつか種類があるけれど、今回行うのは戦力確保。つまり、ドルテと同じく永続だ。低位から数えて、短期召喚、憑依召喚ときての永続召喚。


 短期は一時的な幽体としての顕現。能力の行使だけでお還り頂く。憑依は、その幽体をこちらで用意した人形などに降ろし、実際の戦闘や物理的干渉を求める。そして永続は、実体としてあちらの住人をこちらに取り出してしまうこと。一度決めれば、もう還ることはできない。


 床にびっしりと描かれた幾何学模様の上に、私は立った。そしてアドとマナを操作し、ゆっくりと丁寧に陣を起動していく。一定量の力が陣に充填されるのを待ってから、私は目を閉じた。


 イメージするのは異界。この祭場で祀られた先は文献が少なく、あまり縁が残っていない。だから、王の用意した触媒だけが頼りだ。


 それは変わった刀剣で、細身に片刃の、それでいて持ち手には技巧が。鞘は朱色に塗られた豪華なものだった。過去の召喚時に、あちらから持ち込まれたものらしい。だから私は、その刀剣に縁のあるものを、深く深く喚ぶのだ。


 ああ、繋がった。歯車が噛みあうかのような、確かな手ごたえを私の感覚は捉えた。今、刀剣をもとに、その異界とパスが合ったのだ。起動した陣が本格的に動き出す。

 道を構築する式。言語を構築する式。能力を付与する式。権限や主従関係を入れる式。そうした様々な術式が陣には組み込まれており、こちらにくる何ものかが、こちらの法則で形を得る時に、そうしたものを滑り込ませるのだ。


 異界には、目や口を持たぬ霊界のもの。酸素が毒となるような生態のもの。毒素をばらまくもの。様々な存在がおり、それらをそのまま持ってきては色々と立ち行かないから。


 陣の起動を感じた私は、術式の詠唱を開始する。


「数多の階層にまたぎし法則の神託よ。我が求めに応じ、縁ありしものへと導け。因果はここに在り。我が力、我が粋をもち、届き得る可能性をここへ。繋がる先はただひとつ。幾重の夜を超え、道を造りしはルニエ・ツェルニク……!」


 ばちん、と空気が破裂するような音が響いた。空間を飛び越え、質量の違うものが、圧縮されたものが戻ったような、そんな現象が起きたのだ。流れていたアドが静まり、反応がなくなったことが、目を閉じていた私にもわかる。


 これだけあった力が消費されたのだ。成功、したのだろう。だが、目を開けるのが少し怖かった。これに失敗すれば、最悪私を含め、私の育った場所と、家族のように一緒に居てくれた皆は――。


 そっと、目を開けた。おそるおそる。怖かったから。

 でも、だからこそ。私の第一声は間の抜けたものとなった。


「……どこここ?」

「いやお前が誰だよ」


 目を開くと、非常に狭い一室に立っていた。四方を白く、材質のよくわからない壁に囲まれ、真ん中には台座のような四角く背の低い机があった。私はそこに立っている。

 周囲を見渡すと、さきほどこちらの問いに応えた少年が床に這いつくばっているのと、壁や調度品に並べられた細々としたものが目に付いた。


 部屋ごと、召喚した……?

 都合の良い解釈をしてみた。


「なんだお前、どこから来たんだ。いきなり現れやがって」


 嘘。まさかリバウンド? 私がやったのは永続召喚なのに。もし、部屋ごと召喚したのでないならば。

 ここは。ここに来た私は、どうなるのだろう――。

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