💘05 過保護なフォロー
工学部棟の中庭。
三人掛けベンチの端と端に、あたしと渉は微妙な距離を開けて座る。
『いたた……』と擦り切れた燕尾服の袖の汚れを払いながら、リュカはあたしの後ろに立った。
「話って、何……?」
少し童顔の渉の表情がとても不安気で、彼を傷つけてしまったことに改めて心が痛んだ。
「あのね。こないだケンカして言ってしまったこと……。ずっと謝りたくって」
思い切って口に出してみると、どうしてこの一言があの時出てこなかったんだろうと不思議なくらいするりと言える。
「ごめんなさい。あたし、渉を傷つけた」
渉に向き合って、ぺこりと頭を下げた。
渉がふっとため息のような笑いをこぼす。
「……正直、ちえりが俺のブリーフをそんなに嫌がってたなんて気がつかなったし、言われてショックだった。男って結構凹みやすいからさ」
「……ほんとにごめんなさい」
「もういいよ。あれからさ、俺もそれとなく友達にリサーチしたんだ。ちえりに言われたことはもっともだなって思った。
我が家は親父も兄弟も昔からグ〇ゼの白ブリーフ一択でさ。おふくろも清潔感があっていいって言うし、俺自身もの心ついたときからそれだったから疑問にも思わなくて。
……しかも、ちえりがそういうことをした初めての彼女だったからさ。誰かに指摘されたこともなかったんだ」
「でも、言い方ってものがあったよね?
あたしがもっと気を遣って、それとなく伝えられればよかったのに、感情的になっちゃって……」
「感情的になったのはお互い様だよ。俺だって、今思えばなんであんなにちえりの部屋で会うことにこだわっていたんだろうって思うし。
ちえりと会えるなら、どこで会ってたって楽しくて幸せだったはずなのに。
……今日こうしてちえりに誘われなければ、俺はずっとそのことを伝えられないままだった」
「渉……」
言葉を重ねるごとに、二か月前に凍りついた二人の間の空気がじわりじわりと溶けていく。
「俺さ。あれから下着は自分で買うようにして、今はボクサーブリーフ履いてるんだ。それで……」
言葉が一瞬途切れて、あたしは伏せていた視線を渉に向けた。
頬を染めた渉の瞳が熱を帯びて揺れている。
「俺が白ブリーフを履かなければ……。ちえりはまた俺と付き合ってくれる?」
心臓がきゅうって鳴った。
あたしの背中越しに『やったっ!!』とリュカが声をあげた。
そのとき――
バサッ。
バササッ。
空の上から何かが落ちてきた!
「えっ……? 何……?」
ベンチの周りに落ちてきた、数枚の衣類らしきもの。
これって――!!
あたしの部屋着ジャージッッッ!!!
さらには週末限定の――
ボロ下着ッッッ!!!
「んなっ!? なんでっ!! ?」
「何だこれ?……中学校のジャージ?……え、藤ヶ谷って……」
二人の間に落ちてきたジャージのゼッケンに書かれた名前を渉が読み上げる。
それから、その横に落ちてきたボロボロのブラジャーをつまみあげる。
『これは一体……!?』
「これって、ちえりの……?」
「い……いやぁぁぁーーーーーっ!!!」
あたしの絶叫が、夕暮れの色を壁に映す五階建ての工学部棟の建物にこだました。
👼
「それにしても、なんであたしの部屋着ジャージとボロ下着が空から落ちてきたんだろう……」
街灯の明かりがケヤキの葉の合間から細く零れて、薄暗くなった舗道の上にあたしの影を淡く落とす。
『誰かの悪戯としか思えませんが、よりによってあんなタイミングで……。
――あ! もしかして僕を疑ってます!? 僕じゃありませんよ? 信じてください!』
あたしの横を、あたしよりも肩を落として歩いていたリュカが両手をぶんぶんと振る。
その慌てようを見てくすりと笑いを漏らした後で、あたしは悪戯っぽくリュカを睨みつけた。
「そんなの疑うわけないでしょ?
全力でタックルかましてあたしを転ばせてまで渉と話すチャンスを作ろうとしたリュカだもん。
……それにしても、あれってもうちょと他に方法はなかったわけ?」
『そうは言っても、あの場で話しかけなければ完全にチャンスを失うと思ったんですよ。お互い話し合うべきタイミングというのがありますからね』
性欲はなくても、男女の心の機微はわかるんだ。
それも地底界での謹慎期間中に集めたっていう新聞のスクラップで学んだのかな?
「元天使でも恋心ってわかるものなの?」
からかい半分でリュカの顔を覗き込む。
深い湖の色をした瞳をほんの一瞬揺らした後に、リュカはいつものようにたおやかに微笑んだ。
『それはもちろん。
天使だってプラトニックな恋愛はしますから』
意外な言葉が返ってきて、心臓がトクンと跳ねた。
「ってことは、リュカも恋してるってこと? 相手は誰? 天使なの?」
『ちえりが僕のことを聞いてくるなんて珍しいですね。長くなりますが聞きたいですか?』
「長くなるんなら……どうしよっかなぁ」
くすくすとリュカが笑う。
今回のあたしの選択を責めるつもりのなさそうなリュカに、心の隅っこがちくりと痛んだ。
「リュカ、ごめんね。
あなたが頑張ってくれたのに、天上界に戻してあげられなかった」
リュカがせっかくお膳立てしてくれたのに。
渉がよりを戻そうって言ってくれたのに。
あたしは、渉とお別れすることを選んだ。
ケンカ別れしたままのお互いのもやもやを取り去って、取り繕って自分を棚に上げていたあたしの狡さを暴露して、そしてきちんとお別れした。
これでよかったんだ。
その気持ちが揺らぎそうになるのを知ってか知らずか、リュカがあたしの頭にぽん、と大きな手をのせて微笑んだ。
『気にすることはありませんよ。
地上界でちえりのお世話をするのはなかなか楽しいものなのです。
元来僕は世話好きな
それにしても、と彼は続ける。
『あの時どうして僕の言うように “押入れを整理して捨てたばかりの衣類をカラスに漁られたみたい” って言い訳しなかったんですか?
“ジャージを着てぼろぼろの下着をつけて汚部屋に住んでる” なんてことまでわざわざ暴露することなかったのに』
「嘘をついて渉とよりを戻しても、あたしが上辺を取り繕ってる限りは本当の恋愛はできないし、本当の幸せはやってこないんだろうなって思ったの。
自分が変わりたい!って思うほど好きな人ができたら、その時はズボラなあたしでも少しは頑張れるかもしれないし」
リュカが渉と話すチャンスを作ってくれたから、あたしはそれに気づくことができた。
『ちえりのズボラを変えられるほどの恋は、なかなか見つからないかもしれませんけどねえ』
大袈裟にため息を吐くリュカの脇腹に軽くワンパンを入れると、『いたっ!』とまたもや大袈裟にリアクションする。
「あー、なんかお腹減ったなぁ。
リュカ、今日はあたしハンバーグが食べたい!」
『ハンバーグですか。今日はちえりの失恋記念ですから、リクエストに応えますよ。この足でスーパーに寄ってから帰りましょう』
「了解! けどこないだみたいにゴボウのすりおろしを入れるのはなしね!」
『あ、あれ気づいてたんですか? 』
「嫌いな食べ物の味って、ちょっと混じってるくらいでもわかるものなのっ」
夏の手前、夜の帳はゆるゆると時間をかけて下りていき、白さを増す街灯はあたしの影ひとつだけをくっきりと塗り重ねていく。
けれども、あたしは自分の左横に存在する温かい夜闇の
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