💘03 過保護な昼下がり

「あー、お腹減ったぁ。今日の学食の日替わりランチは何かなー」

「今日は木曜日だから学食混んでるんじゃない? たまにはカフェテリアの方に行く?」

「お天気良いし、三限は休講だし、散歩がてらにいいかもね!」


 二限目の講義が終わった。

 あたしは同じ文学部日本文学科の友人である真衣や渚と学部棟を出て、講堂にあるカフェテリアに向かう。

 あたしの後ろにはリュカがぴったりとくっついているけれど、真衣や渚は当然ながら彼の存在にまったく気づいていない。

 さっきから『学食の方が小鉢もあって栄養バランスが取りやすいのに……』とか『パスタだけじゃなく野菜もしっかり摂ってくださいよ? サラダは体を冷やすのでスープにしてくださいね!』とか、鬱陶しいくらいブツブツ言い続けてるんだけど。



 一般道に隔てられたキャンパスをつなぐ歩道橋を上りきったときだった。


 反対側の階段から上がってきた男子学生グループの一人が視界に入り、心臓が大きく跳ね上がった。




「あ……」




 相手もまた私に気づいて、ほんの一瞬立ち止まる。


 けれど、お互い目を伏せて、友人を盾にしながらぎこちなく歩み寄っていく。




 すれ違う瞬間心がちくんと痛んだけれど、かける言葉が見つからない。

 そのまま話しかけることも振り返ることもなく歩道橋を下りた。




「ちえり……。今の……」

「大丈夫? 顔、引きつってるよ?」


 真衣と渚が心配してくれたけれど、「大丈夫! 気にしてないから!」と強がるのが精いっぱいだった。



 👼



『……で、さっきすれ違ったのは、二か月前に別れたちえりの元彼だったんですね?』


 カフェテリアを出た後に購買部に行くといった真衣や渚と別れ、あたしは噴水広場のベンチにリュカと座っていた。

 もっとも、周りから見ればあたし一人がぽつんと所在なげに座っているように見えてるんだろうけど。


「そう。古藤こどうわたる君っていうの。工学部の同じく二年生。三ヶ月くらい付き合ったんだけど、ケンカ別れしちゃって……」


『ケンカの原因は何だったんです?』


「説明するの、めんどくさい」


『もう、どれだけめんどくさがりなんですか。……その様子だと、彼にまだ未練があるんじゃないですか? 僕なら何か力になれるかもしれませんよ?』


 リュカの言葉が、心の柔らかで繊細な部分に触れた。

 とくん、と心臓が小さく跳ねる。


 真衣や渚にも詳しく話してはいないけど、リュカになら教えてもいいかなって思った。


「……ケンカの原因はね、渉があたしのアパートに来ることを、頑なに拒否し続けたこと」


 あたしがそう言った途端、リュカの唇からぷふっと息が漏れた。


「あっ! 笑うってひどくない!?」


『すみません。でもまあ、あの汚部屋ならば確かに恋人は呼べないでしょうね』


 慌てて神妙な顔を取り繕うけれど、端正な顔が笑うのをこらえて歪んでいるのがイラッとする。

 そこに構っていると話が進まなくてめんどくさいので、私はスルーを決め込むことにした。


「渉は自宅通いだから、会うのはいつも外のデートか渉の部屋でね。彼としては、あたしの一人暮らしのアパートで気兼ねなく過ごしたかったみたい。

 一度は頑張ってちゃんと片づけて、彼を部屋に呼んだよ?

 けど、一度うちに来たら、渉が何度も来たいって言うようになっちゃって。

 彼のために部屋を綺麗にキープしておくなんてあたしには無理だったから、なんだかんだ理由をつけて断ってたの。

 ……それで彼と言い合いになって、カッとなったあたしは彼にひどいことを言っちゃったの」


 リュカの喉仏がごくりと動いた。


『……ちえりは、彼になんて言ったんですか?』


 あたしの心に渦巻く後悔の底から、リュカがその時の言葉を引き上げようとする。


 刺々しいその言葉を形にするのは心が痛むけれど、思い切って口に出した。




「“えっちの時にグ〇ゼの白ブリーフなんてマジあり得ない!” ……って」




『……は?』




 どうしてあたしはあんなことを口走ってしまったんだろう。

 傷ついた渉に、どうしてあたしは謝ることができなかったんだろう――。




 しばしの沈黙。

 キャンパス内を行き交う学生達の楽しげな声がせせらぎのように微かに耳に届いてくる。




『えーと、それは……。彼と下着の趣味が合わなかったと。……そういうことですか?』


 慎重に言葉を選びながら、リュカがあたしに確認する。


「そうなの。カッとなって言うべき言葉じゃなかったってのはわかってる。でも、前からずっと気になって許せなかったの。

 ……そういう雰囲気になって盛り上がってる時に、一瞬でも彼が白ブリーフ一丁になることが!

 フィット感を求めるならボクサーブリーフでもいいじゃない!? 十歩譲って黒や柄もののブリーフでもいい! けどなんで二十歳の若人がよりによって白なの!? ふんどしの白なら勇壮だし全然ありだと思うっ! てかむしろ好物よっ! けど、ブリーフの白はあたしの中ではおじさんのパンツなの! 今どき小学生だって白ブリーフは履かないでしょっ!!」


『ちょ、ちえり!? 声が大きいですって……!』


 リュカが大きな両手で慌ててあたしの口を塞いだ。

 はっと我に返って見回すと、周囲の学生があんぐりと口を開けて一人でブリーフ! ブリーフ! と喚き散らすあたしを見つめていた。


 ヤバい。完全に痛い子だと思われた……!


『ケンカの理由はわかりました。とにかく、ちえりは勢いで彼を傷つけてしまったことを後悔しているのですね?』


「うん……」


『もしも彼とよりを戻せたら、ちえりは幸せになれますか?』


 深く穏やかな湖の瞳でリュカがあたしをまっすぐに見つめる。


「……わかんない。けど、こんな別れ方のままじゃ嫌だとは思ってる」


 そんなの本当にわかんない。

 渉があたしを許してくれるかどうかもわかんない。

 でも、お互いもやもやした気持ちを抱えたままでは、新しい一歩を踏み出すことも難しい気がする。


『わかりました。ちえりの幸せのために僕がひと肌脱ぎましょう』


 たおやかに微笑むリュカの顔を見て、ふと思った。


 そう言えばリュカが突然現れてからの半月、いつも傍にリュカがいて、いつも細かく世話を焼かれて、こんな風にちくちくと痛む悲しみもぐるぐるとかき乱れる後悔もほとんど感じる暇がなかったなぁ。


 そう考えると、やっぱりリュカの存在は迷惑なだけじゃない気がする。


「……じゃあ、リュカの力を借りてみようかな」


 そんな言葉がするりと出てきて、素直すぎる自分に驚いた。


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