💘02 過保護な通学路

「ねえ。ほんっっっとーーーに?」

『ええ。本当です』

「ほんっとーーーに、この姿を見てもムラムラもドキドキもしないわけ?」

『勿論ですよ。これでも僕は元天使なんです。天使がムラムラ発情するとか聞いたことありますか?』


 エプロンをつけてキッチンで洗い物をするリュカのすぐ横で、あたしは下着姿で仁王立ちしていた。


 ズボラで部屋は散らかすけれど、お洒落は嫌いじゃないから下着だって上下揃いの可愛いヤツを着けている。

 プロポーションだって、そんなに悪い方じゃないはず。寄せて上げてるから、Cカップの胸だってそこそこな谷間は作れている。

 顔だって、男子がよく話題にしている学年で可愛い女子トップスリーには中学の頃から欠かさず名前が挙がっていたあたしだ。


 それなのに、そんなあたしのセクスィー! な下着姿を見ても一ミリも動揺しないなんてことあるの!?


「だって、リュカは今は堕天使なんでしょう? 堕天使だったら性欲とかもあるんじゃないの? ほら!ほら!」


 腕をキュッとしめて谷間を強調し、リュカに近づいてみたけれど『洗い物の邪魔になるんで離れてください』とフツーに窘められた。


『僕が堕天使になったのは、僕自身が罪を覚えたからではありません。

 ……聞きたいですか? 僕が堕天した理由』

「どうせ長くなるんでしょ? めんどくさいからいいや」

『だったらさっさと服を着てくださいよ。山尾教授の講義に遅れますよ!』

「へいへい」

『あっ! 今日はいつもより涼しい一日だって天気予報で言ってました! 薄手のカーディガンを羽織ってくださいね』

「へいへーい」

『あっ! あと昨日バッグに入れっぱなしになってたハンカチ、洗濯しておきましたから。新しいものを入れるのを忘れないでくださいよ!』

「へいへーい……」


 リュカは過保護で細かい。

 そして料理オタクで健康オタクでもある。

 それが半月の同居であたしが把握した堕天使の属性だ。

 そして今日、彼には一欠片の性欲もないということが新たに判明。


 この堕天使はあたしに何か見返りを求めるつもりはどうやら本当にないらしい。


 脱ぎ散らかした服はすぐに綺麗に整えてくれるし、炊事洗濯掃除もしてくれる。お洒落以外の労力をなるべく避けたいズボラな私にとっては彼は非常にありがたい存在だ。


 なのに、あたしは未だリュカの贖罪と成り得るほどの幸福を感じられていない。




 それはひとえに──


 リュカが細かすぎるからだ!!





『どうです? 僕が来てからこの半月、ちえりは幸せを感じてます?』


 新緑のケヤキがさわさわと柔らかい葉を揺らす街路樹の下を、リュカがたおやかに微笑みかけてくる。


「んー。どうだろ。不幸ではないけれど、幸せにもなってない気がする」


『えっ!? そうなんですか!? ……僕がこれだけ献身的に尽くしているのに?』


 深い湖の瞳を翳らせてリュカがため息をつく。


「だってさぁ、リュカが来てからっていうもの、なかなかぐうたらできないし」

『ぐうたらするのがちえりにとっての幸せなんですか?』

「まあね。二度寝もしたいし、コンビニスイーツを夕飯代わりに食べたいし、ベッドから手の届くところにすべてのリモコン類と携帯とティッシュと雑誌とペットボトルの紅茶を置いておきたい」

『……それだったら、僕に欲しいものを言ってくれれば何でも持ってきてあげますけど』

「それをいちいち口に出して頼むのがめんどくさいんだもん」


 そんな会話をしながら、大学行きのバス停に向かって歩いていく。




「そぉね。リュカは過保護すぎるのよ。過ぎたるは及ばざるが如しって言うじゃない?」




 突然ダミ声の降ってきた方を見上げると、ケヤキの枝に一羽のカラスが止まってこちらを見下ろしていた。


『ガブリエル、いたんですか。おはようございます』


 リュカが親しげに挨拶すると、カラスも「おはよ」とダミ声を返す。


 彼(彼女?)はリュカと一緒に地底界から来たという使い魔で、リュカは未だ悪魔サタン預かりの堕天使という身分のため、お目付役として地上界に付き添ってきたらしい。

 リュカがうちに来た翌日に会ったときはオネエ言葉を話すカラスにぎょっとしたけれど、有り得ない存在のリュカを受け入れた後だったせいか、ガブリエルのことはわりとすんなり受け入れることができた。


「リュカ、あんたそのお嬢ちゃんを幸せにしたいんでしょ? そんな調子じゃいつまで経っても無理なんじゃないの? 諦めて地底界に戻ったら?」


 ガブリエルの刺々しい言葉に、リュカは困ったように眉根を寄せる。


『確かに僕はちえりに幸せになってもらわないと困るのですが……。

 ちえりは僕が傍にいることの幸せに気づいていないだけじゃないかと思うんです』


「あたしが気づいていないだけ?」


 不本意なリュカの言葉に、この半月の同居生活をぐるりと思い返してみるけれど、それっぽい節なんて何も思い当たらない。

 首をひねるあたしを見て、ふふっと嬉しそうにリュカが微笑んだ。


『ちえりは僕が作ったご飯を食べる時、すごく美味しそうに食べてくれます。僕が整えたベッドに沈む時、子どものように安らかな顔で眠りにつきます。そんな姿を見ていると、ついちえりのために色々としてあげたくなるんですよね』


 リュカの瞳が風のない日の湖面のようにキラキラと穏やかな光をたたえている。

 その美しさに惹き込まれるけれど、言うなればそれは名画に惹き込まれる感覚に近い。

 ドキドキするというよりも、心が吸い込まれるような、不思議な感覚。


「そうかなあ? そんなに幸せそうかなあ? 全っ然自覚はないんだけど」


『ちえりの自覚がなければ僕が罪を贖ったことにはなりませんから困ったものです。まあ、ちえりに尽くすことが僕自身の喜びでもあるので、自覚を持ってもらえるまで頑張りますけどね』


 ぐうたらな生活も恋しいけれど、この美しい堕天使に身の回りの世話をしてもらえるのは悪くない。

 でもやっぱりリュカは細すぎるんだよなぁ……。


 複雑な心境のままバス停に立っていると、程なくして通勤時間帯の自家用車に混じりイエローベージュの路線バスが姿を現した。


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