第3話


『………………』


 突如迷い込んだ、この世のものとは思えない空間。

 そこは、痛々しい程の静寂に包まれていた――主に、『あなた』の先の発言のせいで。


『……オ、ホン。で、お主一体、どこから此処に迷い込んできた? 魔力まりき使いにも、ましてやその他の力の使い手にも見えんが?』


 人のような相貌を持たないながら、なんとも言い難い雰囲気を醸し出していた黒い竜が、口を開かず言葉を発する。その声は、どこか『あなた』を警戒しているようにも思える。

 傍から見ればとても奇怪な光景には間違いないのだが、生憎と、そのような空気は先程壊されたばかりだ。

 キラキラと瞳を輝かせながら、『あなた』は此処に来た経緯を話した。

 特に隠す事も何もない。それはそうだ。眼前の存在が何なのかも知らないし、あの扉が何なのかも知らない。ついでに言うと、さっきから黒い竜が言っている専門用語めいたものも分からない。何となくイメージはできるが。マリキ使いの『マリキ』とは、恐らくゲームや小説でよく出てくる『魔力まりょく』の事だろう。


 『あなた』の話を聞いた黒い竜の黄金の眼が細められる。


『……どうやら、嘘はついておらぬか。なれば、少なくともこの世界の、どの勢力に属する者でもないか。いやはや、存在は知っておったが、まさか本当に異界から飛んでくる者がおるとはな』


 とりあえず『あなた』の言葉を信用したらしい黒い竜は、今度は興味深そうに、様々な角度から――上から目線ではあるが――『あなた』を観察しだす。

 ゆらゆらと首を動かしながら『あなた』を見るその仕草が、『あなた』の心にグッとくる。


『……なんだ、その目は。一体何を……ああ、いや。言うな。何も、言うな。……言うなと言っとろうに!』


 『あなた』は、どうやら自分でも気づかない内に「可愛い」と、そう口に出してしまったようだ。本当なら心に秘めておくつもりだったのだが、出してしまったものは仕方ないと、『あなた』は逆に開き直り、相次いで「かわいい」のラッシュを黒い竜に浴びせる。


『……全く。狂信者は腐る程見てきたが……否、見てきたつもりであったが。ここまで妙な者は初めてだ』


 どこか呆れるような口調で、黒い竜が呟く。

 しかしながら、無駄に荘厳な声なだけに、当然の如く『あなた』の耳にも届く。

 そして、一言。


――そうですね。 こう、貴方に焦がれる感じというか……これが、愛に狂うって感じなんですかね? 愛の狂信者……駄目だ。クサすぎる。

『お主、何を言って……』


 もはや、黒い竜も『あなた』の言葉に着いていけなくなったらしい。

 人間のように感情を表現できたのなら、恐らく渋い顔をしていただろう。


 一方で、『あなた』は高鳴る心臓の鼓動を抑えるのに必死だった。

 何故だろう。今日に至るまで、このような事はなかったのに。だが、これが恋なのではないかとは、直感的に察する事はできた。

 まさか、人ならざる存在にトキメキを感じる日が来ようとは、夢にも思わなかったが。


『ぬゥ……この小僧、どうしてくれようか……』


 対して黒い竜はと言えば、唐突に現れ、更には「あなたを愛してます」などと言われては、困惑するしかない。『あなた』は一目惚れしたが、黒い竜はそうではない。どちらかと言えば、不思議なものを見たかのような、そんな反応しか取れない。

 自身も十分不可思議な存在であるというのはとりあえず棚に上げ、まずはこの奇妙な少年をどうするか、それを考える。


『……とりあえず、お主』


 しばし思案した後、黒い竜は再び、黄金の一つ目で『あなた』を見下ろす。


『これは、夢だ』


 突然何を言い出すのか。そんな事を思いながら、『あなた』はどうしてか、吸い込まれるようにその黄金の目を見つめ返してしまう。


『そう、夢幻。お主の精神構造体に幾らか負荷が掛かるであろうが、今の我は人を襲うつもりも、予定も無い。故に、お主が元居た場所へと、なんとか返そう。……これでも、邪神格であるが故、お主が通ってきた回廊から逆に返す事など、造作も無し』


 その言葉を聞いている内に、『あなた』は頭がぼんやりとしてくるのを感じる。

 それは、まるで夢心地のようで、ベッドで寝ている時のような気持ちよさが身体を包む。だが、『あなた』のなけなしの意識が、理性が、それを頑なに拒もうとする。


『さぁ。帰れ、迷い子よ。お主の世界へ――』


 快楽に身を委ねたいという本能に必死に抗う『あなた』だったが、「待って」の一言も言えない内に、視界は暗転し、意識が闇に溶けるように遠のいていく。





――終ぞ、黒い竜からの返答は、何もなかった。



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突然ですが、異世界通い夫始めました。 Mr.K @niwaka_king

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